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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 ベッドの上で脚を抱え込む恒河沙に、鼻筋に皺を寄せるハーパーを眺めて頭痛を感じてしまった。
 何時来るか判らない迎えを、これからどれ程この雰囲気の中で過ごさなければならないのか、考えるだけでも考えたくない。
「ねぇハーパー、少し聞いて良いかな。まあ話たく無ければそれでも構わないけど」
 これ以上考え疲れるのが嫌で、まだ話し掛けやすそうなハーパーの横に座り、些か強引な切り出しをした。
「何をだ」
「んん、一寸不躾だけど、ソルティーの婚約者の事。亡くなってるって聞いたけど」
「……何故聞く」
「好奇心。ソルティーがあんなに想ってる人が、どんな人だったか知りたいじゃない」
 俯いたままの恒河沙を眺め、何も考えないふりの言葉を並べ、ハーパーはそんな須臾の気持ちが判るのか、溜息を一つ吐きだしてから重い口を開いた。
「主とアルスティーナ……いや姫と呼ばして貰おう」
「げ、お姫様!」
「否。その名が似合って居ったのだ。姫は侯爵家の血筋故に、地位的にはそれ程のものでは無かろう」
――それだけでも充分じゃない?
 一般庶民には理解できない感覚だと須臾は呆れた。
 しかし同時に、侯爵家を見下ろす立場を臭わせたハーパーに、何となく嫌な予感を感じた。
「姫は主より四つ年下で、お父上が決められた許婚で在られたのだが、主にとってそれは些かの問題も無かった。真に仲睦まじく、大切になされた方だった。そして彼の姫は、主にとって掛け替えのない、唯一の理解者と言えるだろう」
「どう言う意味?」
「言葉通り。主は誰一人として、心を許せる者が存在して居なかったのだ。年に一度ご両親方と面会を許されるのみ。御兄弟とも公の場を除いては、一度もお会いに成られた事もなかったであろう。周りは総て我と同様の者達。幼き頃より息を抜く時も、場所も無かったのだ。閉鎖された場所に繋がれ、喜びも楽しさも感じては居られなかった」
――うーん、やっぱ妾腹かな?
「それがアルスティーナで変わった?」
「正確にはそうとも言い切れまい。姫が現れたからとて、主を取り巻く環境が変化はしない。ただ、主の総てを容認してくれた姫の存在は、それだけで主の救いとなったのは事実。強さだけを主に求めた我等に応えようとする心には、姫の優しさは救いであっただろう」
 周囲が変わらなくても、ソルティー自身の心が良い方向に変わったと、当時のハーパーはアルスティーナに感謝の言葉を繰り返した。
 その彼の言葉をアルスティーナは、「どうして?」と不思議そうに聞き返した。彼女は当たり前の事を、当たり前にしていただけなのだ。その当たり前の事がハーパー達には出来ない事でもあった。
「本当に居なかった?」
「うむ。お父上が偉大で在れば在る程、主に我等は期待し、主は我等の期待に応えようとし過ぎていた。主は何時しか、人に頼る事が出来なくなったのだ」
「辛いな。その気持ち、僕にはよく分かる」
 天井を見上げ、須臾は自分の子供の頃を思い出す。
 子供に期待する親は多い。ソルティーとは立場や地位が違うとしても、それに応えようとして何も見えなくなっていた子供の自分と重ね合った。
――でも、僕にはまだ沢山の友達が居たし、味方だった姉さんも居た。……それに恒河沙も。
 横目で見た恒河沙は、今も顔を膝に埋めていた。
 しかしハーパーの話を聞いていないわけではなさそうで、それだけは安堵した。
「主は誰に対しても優しき方。それ故に、己に枷を填める生き方しか出来ぬのだ。姫はその主に、一時の安らぎを与えた存在だと我は思う」
「愛してたと思う?」
 今でもソルティーを支える想いが、一体何なのか知りたくなる。
「我には理解できぬ。しかし、主には主自身を認める存在が必要なのだ。どの様な事となっても主を許せる存在を、主はずっと求めていた。それがお主の言う愛だと言うのなら、そうかも知れぬ」
「優しい人だった?」
「優しさと強さを兼ね備えた方であった」
 そう言ってからハーパーは何かを思いだしたのか、小さく笑いを漏らした。
「一度、主が剣の教示中に師に負けたのを御覧になった姫が、剣を取り師に斬り掛かった事が有った。その後、姫は主を護るのだと剣を習い始めた。主に剣を持たせぬと言われた姫は、男子顔負けの頼もしき顔であった」

『この世の総てがソルティアス様の敵となっても、私はソルティアス様の味方。だからソルティアス様が剣を持つなら、私も剣を持たなければならないの。判る? ハーパー』

 腕や脚に擦り傷を造りながら笑ったアルスティーナの顔は、ハーパーから見ても美しかった。
 姿形ではなく、その心が誰よりも澄み渡る空のように美しかった。
「なんかソルティーが羨ましいな。そんな人、そう滅多に居ないよね」
「もう現れまい。現れたとして、主はもう……」
 首を振って言葉を無くす。
 残された辛さはハーパーも同じだ。しかし、彼以上の辛さを背負ったソルティーの気持ちを理解できる筈もない。
 結局は再会した時の表情に戻ってしまったソルティーに、もう一度とは言えないのだ。
 言葉に出来ない苦しみを抱くハーパーを見ていると、須臾は最後の疑問をぶつける事は出来なかった。
 何故、誰にアルスティーナが殺されたのかを。
 それからまた重苦しい沈黙が続きそうになったが、それを打破したのはハーパーだった。
「恒河沙…今までよく主の支えと成ってくれた。礼を言う」
 深く考えなくても、ソルティーが今日にも彼等の“これから”を口にするだろう。それが解約となるのは、誰にでも判る事かも知れないが。
「……俺は………」
 何もしていない。与えられた事と、与えた事の何と釣り合っていない事か。「嫌いにならないで」と言い、「嫌いな所なんか何処にもない」と優しく言ってくれたのに、自分が言い放ったのは何だというのか。
 謝りたい。どんな手を使っても、あのたった一言をこの世界から消してしまいたい。しかし一度出してしまった言葉を消し去る方法は、何処にも見つからない。
 自分に嫌われたくないと言ったソルティーの言葉が、ハーパーの話で本心からだと知る事が出来ても、それが遅いことだと判っている。
 “アルスティーナ”に向けられた“一人は嫌だ”と言う言葉が、何よりの彼の真実だったのだろう。
 そして誰も必要ではないと言った彼の本心も。
――ソルティーが必要だったのはアルスティーナだけなんだ。俺じゃない。
「俺は何もしてない。出来なかった。なんにもソルティーの役に立てなかった」
――何が護ってやるだよ、役に立つだよ。俺がした事ってソルティーに嫌な思いさせただけじゃないか。剣を持たせないって約束したのに、ソルティー、いっぱい人殺しちゃったじゃないか。俺がしなくちゃなんなかったのに、俺が変わりに殺さなきゃなんなかったのに。
 組んだ膝に顔を埋め唇を噛み締めても、現実から逃げ出す事は出来ない。
「お主はよくしてくれたと我は思う。お主が居らねば、とうに主は壊れていた。此処まで来る事が出来たのも、総てお主達のお陰だ」
「……壊れていたって、どう言うこと?」
 須臾の言葉にハーパーは瞼を下ろし、言葉を何度も思索した。
 言えばソルティーは自分を憎むかも知れない。しかし、言う事で何かが変わるかも知れない。