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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 最後までソルティーとの同室を要求していたハーパーだったが、男の脅迫めいた言葉とソルティーの「従え」の言葉に頷くしか無かった。
「お主達、夜明けまでそう幾ばくも無きに、今の内に浴室を使え」
「あーうーん……恒河沙が先に入る?」
「どっちでもいい」
「フゥ………入って来な」
 本当にソルティーは、最後まで恒河沙を見ようとしなかった。たった半日で変わってしまった彼等の関係を修復するきっかけも、恒河沙を元気づける言葉も須臾は持ち合わせていない。
 せめて原因が恒河沙に無ければ、どうにかなったかも知れない。けれどそれは無い物ねだりと言うものだ。恒河沙が拒絶してしまったから、暴挙が行われてしまったと考えれば尚更に。
「ほら、着替え持って。ちゃんと肩まで浸かるんだよ」
 替えの服を持たせ、浴室まで恒河沙の背中を押して扉を閉める。
――自分でなんとかしなくちゃ。自分で考えて答えを見付けなきゃ、お前、絶対後悔するよ。
 言葉にするのは簡単だから、あえて須臾は何も言わない。
 何時かは自分は恒河沙の側に居られなくなる。だからもっと恒河沙には強くなって欲しいと願う。
 その為には、今回の事は恒河沙には良い経験のように思えた。

 服を脱ぎながら、浴室に掛けられた鏡に映る自分を見る。
 この目を見ても、目の前で髪の毛の色が抜け落ちても、気持ち悪がらなかったのはたった一人だけ。
 須臾は昔から自分を知っていたから、もしかしたら自分が覚えていない過去にそう思ったかも知れない。だから一人だけ。
 たった一人だけが、今の、この鏡に映される今の自分を認めてくれた。
「……ソ…ルティ…」
 鏡の中の自分の顔が歪んでいく。
 ずっと自分を真っ直ぐに見てくれていた瞳が、二度と自分を見ないのだと思うと、消えて無くなっても良い。
「…らいだ……嫌い…だ…お前なんか、大っ嫌いだ!!」
 鏡に映った姿に拳をぶつけても、消えてくれない自分が許せない。
「大嫌いだっ……ぁ…あああああっ」
 泣いても、叫んでも、優しく触れてくれた手は二度と戻ってこない。それだけが真実で、どうしても許せなかった。



 豪華で煌びやかであればあるほど、それがソルティーには空虚に感じる。
 昔は当たり前に自分を取り囲み、何の疑いもなく収まっていた。誰がそれを自分にもたらし、誰が造った等、到底考えもしなかった。
 今にすれば、それがどれ程無知で愚かな事だったのか判る。
 多くの人に支えられ、生かされていたのか。
「馬鹿な男だ」
 鏡に映る己に笑い掛ける。
 浴室の片隅に置かれた籠には血の付着したズボンがあり、それを屑入れに入れ直してから扉を開けた。
「長かったですわね。何か考え事でも在ったのかしら?」
「ノック位は礼儀だろ」
「あら、失礼しましたわ。でも私、扉を開けて来たわけでは御座いませんから」
 紅茶の入ったカップを片手に、優雅さを持ち椅子に腰掛けたミルナリスは、悪戯な笑みを浮かべてソルティーに視線を投げかける。
「今度からは扉を使ってくれ。その為の道具だからな」
 ソルティーは髪を拭きながら、空いている椅子にミルナリスと向かい合って座った。
「ええ、気が向きましたら」
 多分そんな気は永久に向かないと含み、テーブルに置かれたままのカップに新しく紅茶を注ぎソルティーに渡す。
「で、何の用だ」
 肩にタオルを掛けて彼女の煎れた紅茶を口にし、さも煩わしそうな言葉を使った。いや、実際にまだ暫くは一人で居たかったのを邪魔されたのだから、それは演技ではない。
「女が男に会うのに、理由など在りませんわ。と、彼女は言いませんでしたか?」
 それが彼女自身の持論なのか、当たり前に語る姿にソルティーは呆れると溜息を零す。
「完全な同体なのか?」
「いいえ。私は彼女ですが、彼女は私では在りませんわ。そうでないと、彼女が居る限り私は私では有り得なくなりますもの。彼女は彼女の意思が存在しますから、彼女が彼女自身で考えて、貴方の剣を持ち帰った。それは私にとっても都合が宜しくて、彼女は今までの中で一番気に入って居りましたが、そのままにして置きました。私ではその剣に触れる事は、悔しいですが出来ませんでしたから」
 ソルティーから視線を壁に掛けられた剣に移し、僅かに顔色を変える。
 近付くだけでも恐ろしいと彼女が思うそれをソルティーも見つめ、納得する笑みを彼女に見せた。
「本当に恐ろしい方ですわね、この世界であの様な剣を持つなんて」
「ならば、私に関わらない方が利口だと思わないか? 何時あの剣が君に触れるか判らないのだから」
「ええ、そう思いますわ」
 そう言ってミルナリスは椅子から降りると、ゆっくりとソルティーの傍らに立つ。彼が座ってもまだ遠い彼の頬を、背伸びをしてやっと両手で包み込み、自分の方に引き寄せて優しく唇を重ね合わせた。
「でも、命を賭しても愛する価値の在る男性には、滅多に巡り会う事は出来ないわ」
 唇を離し、艶やかに微笑む。
「私にそんな価値が在るとは思えないな」
「それを決めるのは女ですわ。男はそれに跪けば宜しいだけ」
 ミルナリスはもう一度唇を重ねソルティーの膝の上に腰を下ろす。
「応えられなくても?」
 首に廻された腕を払う事もせず、ミルナリスのする様にさせておく。
 あくまでも此処は彼女の領域であり、其処に匿われているのは自分であると知っているのと同時に、今の彼女に興味が湧き、それに逆らえない自分を感じた。
 心の奥底にあった、今では手を伸ばさなくても良いような場所にある、暗い闇の部分が感じるのだ。
「応えて貰わなくても」
 ソルティーの胸に当てる頬に温もりはない。しかし這うように蠢く指先には、確かな意志が宿っていた。
「此処に私の入り込む隙間は、残念ながら御座いませんわね。ですからと言って、無かった事に出来る程、私は強くも弱くも在りませんわ。愛される事だけが統べてでは無い事も知っていますから、私は貴方を愛する事に決めました」
「そうか」
「それに、貴方のその自虐的な所がとても気に入って居りますの。私の愛を受け入れられないと思いながら、拒絶出来ない愚かさがとても感じてしまう所ですわ。ですから、もっと苦しんで、もっと傷付いて、私の想いに心を痛めて戴きたいわ」
 撫でていただけの指先に力を込め、彼の肌に爪痕を残す。
 血を流す事に快楽を感じる彼女の言葉が、ソルティーには楽しく聞こえる。もう痛める心など残っては無いと感じているから、彼女の言葉は狂言にしか聞こえない。
「愛しているわ」
 ミルナリスの言葉が遠くに感じる。
 聞かないようにしなくても、心を閉ざそうとしなくても、誤魔化しの言葉を口にしなくても、もうその必要が無くなったのだ。誰を気にする必要も無い、凍り付いた心を解かす必要もない。


『ソルティーなんか大っ嫌いだ!』

 もう、誰も必要とは思えないのだから……。





 ハーパーが背にしていた窓から僅かな光が射し込んだ。
 長かった夜が漸く終わったが、この先どうなるのかハーパーには予想が出来なかった。
「はぁ…気持ちよかった」
 恒河沙と交代して浴槽で疲れを流し終えた須臾が、髪を束ねながら部屋に戻る。
――く、暗い……。