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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 行き場を与えられない負の感情が、徐々にソルティーの表情を冷酷なそれをへと変貌させていく。
《お前が行きたくなければ一人でも行く》
《……我が主を一人にする訳は無かろう》
 何をするつもりか言われないでも理解でき、そして、それに反対する気持ちは抑制された。
《ありがとう》



 須臾は自分達のベッドに、まだ温もりが微かに残っているミルナリスを寝かせ、濡れた髪を乾かし何度も櫛を通した。
――人の死なんて、呆気ないね。
 こうして須臾が二度と目覚めない女性の髪をとくのは、何度目だろう。
 とく度に、もう二度としたくないと思うのに。
「ミルちゃん、綺麗だよ」
 初めて出会った時の様に二本の三つ編みを作り、最後に彼女の唇に薄く紅を差す。
 もう二度と彼女の笑顔が見れず、二度と彼女の陽気な踊りが見れない事が悔しくてたまらない。
「……須臾」
 自分で思っている以上に気落ちは大きかったらしく、声を掛けられるまで恒河沙が帰ってきた事に気が付かなかった。
「恒河沙おいで、ミルちゃん綺麗だから、見て上げなよ」
 見るからに憔悴しきった恒河沙を呼び寄せる。
 何も言葉が浮かばないまま恒河沙が見下ろしたミルナリスの表情は、少し嬉しそうで、少し悲しそうに見えた。
 しかし、決して何かを後悔している寝顔では無かった。
 だからこそソルティーの態度が、もう一度許せないと感じた。
「どうして、ミルナリスが死ななきゃならなかったんだよ」
「それだけ彼の事が好きだったんだよ。こうなる事が怖くない位、好きで好きでたまらなかったから、これしか出来なかったんだよ」
 少しでもミルナリスに向けられるソルティーの好きが増える方法を、彼女なりの方法で見つけただけだ。
 決して良くやったと誉められた結果ではないけど、こうなってから悪かったと言える事ではない。少なくともこんな結末を迎えた彼女自身は、一欠片の後悔もしていないだろうと須臾だけは感じていた。
「でも、ソルティーは、ミルナリスの事好きじゃないって。関係ないって。…何回も何回も関係ないってっ! ……そんな奴の為に、死ぬことないじゃないか。バカだよミルナリス」
 言葉を絞り出す恒河沙に須臾は眉をひそめる。
 確かにソルティーの態度は褒められはしない。しかし恒河沙のあれだけ懐いていた相手に対しての暴言は、外での口論を容易に想像させた。
 まだ恒河沙には理解出来ない恋愛の激しさ。
 愛すれば愛しただけ愛される、そんな関係は少ない。だから判らせようとする。どれだけ自分が相手の事を愛しているのか、どれだけ心を支配されているのか。
「これしか勝つ方法が思いつかなかったんだよ、多分」
「勝つ?」
「婚約者に。ミルちゃんがソルティーの婚約者に勝つ方法は、今彼の役に立つしかなかった。そうすれば、どれだけ自分が本気だったか、どれだけ自分が彼の役に立つ存在か、教えたかったんだよ」
 たとえ一方通行の想いでも、気付かせる事がまず彼女の始まりだったのだと須臾は想像する。
「ソルティーの婚約者、ずっと前に死んでるってハーパーが言ってた。……殺されたって」
 恒河沙には判らない。
 死に方がどうであれ、既に存在しない事には変わりはない。ミルナリスを否定したソルティーの考えだけが、どうしても理解できないし、理解したくもない。
――ほんと、不器用な男だな。
 須臾は額に手を当て、ソルティーのつき通した嘘を哀れむ。
――同じ嘘なら、嫌いだって言えば良いのに。
 ソルティーの本心は判らないけど、恒河沙が思っている程彼はミルナリスを嫌ってはいなかったと思う。むしろ好きにならない様に努力していたから苦悩した。
 どのみち彼女が自分達の話を聞いた時点で、この結果は避けられなかっただろう。
 須臾にはソルティーの気持ちが理解出来た。だからこそ、彼の貫こうとした嘘を、恒河沙にわざわざ説明しなかった。
「……須臾…」
 黙って思考に入っている須臾の腕を恒河沙が引っ張り、目の前で起きている不可思議な光景を見ろと急かす。
「……!」
「なにこれ?」
 二人の目の前で、ミルナリスの体が淡い光に包まれていた。
「……精霊…だったの」
 光に包まれたミルナリスの体は、徐々に細かな光の粒子に変化し、大気に溶ける様に消えていった。
 暫くすると服と髪を留めていたリボンだけが、静かにベッドに残された。
「…ミルナリス」
 恒河沙は信じられない光景にただただ呆然とし、須臾は昔一度だけ見た光景を思い出していた。


episode.14 fin