刻の流狼第二部 覇睦大陸編
ソルティーが見る限り、それ程素晴らしい芸とは思えないが、恒河沙は必死にそれを見ようとしていた。
「うん。だいどーげーって言うの、見たこと無い」
「そうか、向こうには無いのか」
「うん、……多分」
少なくとも恒河沙の記憶にはそれが無いと言う事だ。
――これ以上は前に行けそうにないな。
まだ自分達の前には何重にも人の輪が在り、とても掻き分けて行ける隙間は見えない。
「……仕方ないな」
「えっ…! わぁ」
急にソルティーが恒河沙の腰に腕を廻し、軽く持ち上げる。
一気に開けた視界の向こうに、ナイフを投げ合う二人の女性が見えた。
「見えるか?」
「うん! うわぁ、すっげぇ」
下の支える苦労も忘れ、視界に飛び込んでくる初めての世界に恒河沙は無我夢中だ。
――中身も外も、本当に子供だな。
まだ大人に成長していない少年の体は軽く、両腕を使わなくても持ち上げる事が出来た。
一心不乱に前だけを見つめ、見せ物に夢中になる未成熟な心。これからの成長していく過程が、此処にある。
ソルティーには無かった過程が、此処に存在していた。
――お前はどんな大人に育つのだろうな。
「ソルティー、今の見た? 十本も一回に投げたぞ!」
「あ、ああ。凄いな」
「うん、凄い!」
これからどうなるかの不安など吹き飛ばす様に、恒河沙はただ前だけを見つめ、感動を素直に受け止めていた。
その頃、須臾達は街の外れから、ハーパーの翼を使って城を飛び越え、裏の城門が遠くに見渡せる場所へと来ていた。
「いやぁ、予想通り街に向かっての警備が中心になってるみたいだね」
きっと恒河沙が羨ましがる上空からの眺めは最高であったが、目的に沿った内容で考えれば、あまり良好とは言えそうにない。
民衆の命さえも脅かす悪政を用いるだけあって、二重三重の警備体制が敷かれている。城壁には八つの見張り塔、城を取り巻く堀は幅も深さもかなりに見え、跳ね橋は上がったままだ。
如何に現王の愚かさや弱さが手に取るように判るとは言え、それを呑気に笑ってはいられない。
「ここに忍び込むのって……」
夜闇に紛れてならまだしも、警備が手薄でも昼間だ。見つかれば忽ち取り囲まれてしまうだろう。
「ハーパーが術でも掛けるわけ?」
「うむ。長くは保たぬが、主ならば心配は無用」
「へぇ〜、自信満々だねぇ。まるで前にも同じ事を成功させてるみたいだ」
城だけに目を向けたまま須臾は感想を述べ、ハーパーは何の反応も返さずに終わらせた。
――流石にこんな簡単に引っかかってはくれないか。
疑いや悪意があってではなく、探りを入れてしまうのは癖のようなものだ。気にはなるがここで下手に首を突っ込んでも無駄だとばかりに、須臾は裏門から続く道の警備へと目を移した。
「まぁしっかりと固めてくれちゃって、臆病にもほどがあるよ。そんなに怖ければ、悪い事なんかしなけりゃ良いのに」
何事も程々が一番だと、今度は普通の感覚で言えば、思いもよらない返事が返された。
「民衆は王を選べぬが、王とて民衆を選べはせぬ」
「なにそれ、まるで王を民が追い詰めた見たいな言い方だね」
金持ちや権力者嫌いの須臾から見れば、国王はその頂点に君臨する諸悪の根源だ。
しかしそこまで言って、ハーパーとソルティーがどこかの国に仕える者だと思い出した。
――でもソルティーなら言わないね。きっと。
もしかすると王も民も等しく下等と感じている竜族故の発言かとも考えた時に、ハーパーは長い首をわざわざ横に振って見せた。
「王は出自を選べぬ。世に生まれ落ち、産声を上げた瞬間に王としての役目を負わされし存在。どの様に己を呪おうとも、出自と共に背負わされた重みから逃れる事は不可能。さりとて王と言えども人。人は弱き者。弱き者は、時には目も覆わんばかりの愚かな所行に走らねば、己を保つ事も出来ぬ」
「それは……そうかも知れないけど……」
ハーパーの言う通り、普通の民の中にも役目や責任に押し潰されてしまう者は居る。傭兵でさえも、戦いの場から逃げ出す者や、気が狂った者は少ないとは言えない位だ。
「だけどハーパー、今あそこに居る奴は違うでしょ。自分の享楽の為に民を苦しめ、沢山の人を殺してきた。それでもただ弱いってだけを言えるわけ?」
「否。我は咎人を庇い立てするつもりは毛頭無い。ただ、逃れられぬ宿命を背負わされるは、時として哀れと……そう思うだけ」
何かしら万感の思いがあるのか、ハーパーの言葉にはやけに説得力を感じる。
これ以上はどう言葉を返して良いのか判らず、結局それからずっと須臾はハーパーと会話する事無く、王城の周りを固める警備兵の見回りの間隔を数えるだけだった。
祭りは陽が沈んでもその姿を変える事はなく、蒼陽が昇って子供連れが家路に着く頃となってもまだ、通りの人並みは途絶える事もなかった。
「綺麗だなぁ」
屋根伝いに吊された色とりどりの灯りを見上げ、口を開いたまま恒河沙が言う。
「何色が在るんだ?」
「ええっと、右から、赤、緑、黄色、薄い青、それから……紫と白の順番。判る?」
「ああ、想像できる」
自分と同じように灯りを見つめるソルティーに視線を移し、もっと想像しやすそうな言葉を探した。
「ごめんな、上手に説明出来なくて」
「どうしてお前が謝るんだ。今ので充分判ったよ」
気落ちする恒河沙の頭に手を置き「ありがとう」と言えば、ホッとしたような笑顔が浮かんだ。
「さて、これからどうする? 祭りは明日も見に行ける筈だが」
「トクストクス食べたい!」
「? ……ああ、あれか」
恒河沙が別の街で好んでよく食べていた品物を思い出し、ついでに胸焼けまで思い出す。
トクストクス、文字通り強烈に甘い果実の実のトクスが一杯の、主食にはなりえない子供向けのデザートだ。
「しかし、この街では見なかったと思うが」
出来れば見たくないと言う念が籠もったソルティーの言葉を、嬉しそうに恒河沙は否定した。
「でも昨日一杯トクスの実が運ばれてたから、絶対どこかの店に在ると思う」
絶対の推測を自信たっぷりに言うと、捜しに行こうとソルティーの手を掴んで歩き出した。
それは壮絶な道のりだった、と、後々ソルティーの記憶に残る店捜しだった。
大凡途絶える事の無い人混みの中を、時には流され、時には逆らい、十七件目にして漸く辿り着いたと言うか、見つけてしまったと言うかの『ハットタト間限定トクストクス!!』の張り紙。
目をキラキラと輝かせた恒河沙に引っ張り込まれた店で、ソルティーは椅子に座るなり完全燃焼した自分を感じた。
「お前……本当に、元気だな」
「うん!」
遠回しの嫌味が恒河沙に通じる筈もない。
今彼の頭の中に在るのは、もうすぐ運ばれてくるトクストクスだけだ。
「食ーべた食べた、おー腹一杯!」
「はいはい、良かったな」
「お腹ぽこんぽこん。触ってみる?」
「いや、いいから……お腹を出すな」
わざわざシャツを上げて出された丸くなった腹の中には、店員でさえも顔を引きつらせた大盛りトクストクスが、四皿分詰まっている。
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい