刻の流狼第二部 覇睦大陸編
何処をどう受け取ればそう思う事が出来るのか疑問に思うが、彼女はしっかりと腕を掴んだまま、言葉を濁す真似はしなかった。
「だって、あたしみたいな単純な女、遊んで捨てるなんて簡単でしょ?」
「………」
「自分でもバカだって判ってるけど、踊る事以外に取り得ないから、何度も騙されちゃう。騙されて、捨てられて、その時はもう騙されるもんかって思うのに、直ぐ同じ手に引っかかっちゃうんだ。でもグルーナ様は、そうしなかった。それだけでもあたしには嬉しかった」
「……はない」
「えっ?」
「優しい訳ではない。ただ、他人の気持ちを支えられないだけだ」
――ただ逃げ出したいだけの臆病者だ。後始末も己で出来ないくせに、中途半端な期待をさせる卑怯な人間だ。
今でさえ腕に触れるミルナリスを振り解く勇気も、彼女を見る強さも無い自分を嘲笑うしか出来ない。
「ほら、やっぱり優しい」
ミルナリスは頬を腕にすり寄せながら、苦痛を訴えるソルティーの顔を見上げる。心の底から嬉しそうに笑みを浮かべ、幸せを噛み締める様に言葉にしながら。
「あたしの話なんか、無視すればいいのに、馬鹿な女って笑い飛ばせば良いのに、絶対にそうしない。本当は聞きたくないって思っているくせに、ちゃんと聞いててくれる。嘘でも良いから聞き流せば良いのに、考えて言葉にしてくれる。本当は言いたくない言葉を、あたしなんかに言って、……優しいよ、本当に、凄く優しい。でも、それが一番辛いんだね。初めて知った」
徐々に小さくなる声が震えだし、前に向かっていた足が止まった。
ミルナリスは突然ソルティーの腕から離れ、彼の前に回ると、思い詰めた顔を真っ直ぐに向けた。
「そんな言葉返されたら、少しでも期待したいのに、期待できないじゃない。夢見る事も出来なくなるじゃない。あなたの迷惑にはなりたくないって、思っちゃうじゃない」
流れ出す涙を止めようとせず、詰まりそうになる言葉を懸命に吐き出していた。
その気丈さを残しても尚優しい大きな瞳を、ソルティーは初めてちゃんと見つめる事が出来た。
「最初から判ってた。……釣り合わないって、知ってた。諦めなきゃ駄目だって思ってた。……なのに、こんなに優しいんだもん、もう他を見れなくなっちゃったじゃない!」
腕がもう一度ソルティーに伸ばされ、泣き顔を隠すように彼の胸に納める。
「あなたが好き。諦めたくなんかないっ! あたしを見なくても良い。あたしがあなたを好きだから、あなたがあたしを好きにならなくても、あたしはずっとあなただけを好きでいる」
誓いにも似た言葉をソルティーにぶつけ、僅かな期待で彼の腕が背中に廻されるのを待ったが、力無く下がった彼の腕は一度も動く気配は無かった。
それすらも彼の優しさなのだと判ってしまう自分が悔しい。
「信じなくても良いから、ただ知っていてね。あたしが、あなたを好きだと言った事だけは、お願いだから忘れないで」
ゆっくりと腕の力を抜き、ミルナリスはソルティーから離れた。
一度俯いて大きく深呼吸してから顔を上げたミルナリスは、頬の涙を自分で拭うと最高の笑顔を彼に見せた。
「じゃあ、此処までで良いから。これ以上一緒に居ると、本当に部屋に引きずり込んじゃいそうだし」
何かを吹っ切る様に大きく声を出し、ソルティーの持っていた自分の荷物を手にすると、彼に背を向けた。
「おやすみなさいグルーナ様」
「……ああ、気をつけて」
それだけを言葉にしたソルティーは、彼女よりも先に踵を返した。
自分が動かない事には、彼女は一歩も前に進めない。背中で「早く行って」と訴える彼女の気持ちを傷付けたくないあまりの、愚かな気遣い。
一度も振り返らず、背中にミルナリスの視線を感じつつも、前だけを見つめ歩き続けた。
夜の街に消えていったソルティーを黙って見つめ続けたミルナリスは、彼の気配の余韻さえも消え去るのを待ってから、本当に小さな呟きを漏らした。
「………本当に優しいな。だからあたしは、あなたの為ならなんでも出来る」
地面に何粒もの涙を落とし、それが乾く前に彼女は決意を胸に歩き出した。
向かうのはずっと戦い続けた憎むべき城。
二度と帰って来られないかも知れない街を一度も見ずに、ただ暗く佇む王城へと足を進めた。
四人の目覚めは、途方もない大音響でもたらされた。
朱陽が昇ると同時に、街中の音色と言う音色が一斉に奏でられ、その音を待ち侘びていた人々のざわめきが、反響するように重ねられたのだ。
「派手だねぇ」
「ソルティー行こう!」
窓を開けて外の様子を眺める須臾は、外を歩く数人の女性達に手を振り、急いで着替えを済ませた恒河沙が、約束通りにソルティーを祭りに誘う。
「それでは頼むよ須臾」
「了解。それじゃあ行きますかハーパーさん」
「うむ」
宿の前で二手に分かれ、各々目的の場所へと進路を決めた。
須臾とハーパーは王城の周辺警備を確かめに一方、ソルティーと恒河沙は普通に祭りの見学である。
偵察に恒河沙が向いていないのは当然であるが、この割り当てを言い出したのは須臾だった。目的への一番良い組み合わせは、自分とソルティーが偵察に回る事だろう。しかしそうなればハーパーと恒河沙の組み合わせになってしまう。
ハーパーは子守りも祭りの喧噪も嫌がるのは目に見えているし、そもそもあの巨体では、元気いっぱいに駆け回るだろう恒河沙に合わせる事は不可能だ。
もちろん自分と恒河沙がと言うのが一番妥当だが、目的地を自分で確認しなければ後々困りそうだ。ついでに言えば、今日恒河沙に付き合うよりも、明日の方が彼の興奮が低くなり、疲労はかなり少なくなる。そして何よりの打算は、ソルティーに押し付けてしまえば、自分の懐が痛まない事だ。
要は、ソルティーは須臾とハーパーから、体よく元気の有り余った子供を押し付けられたのだった。
「うっわぁ〜すごぉ〜〜」
両手に屋台の食べ物を持ち、何を見ても恒河沙はこう言い続けた。
確かに祭りの規模は途轍もなく巨大で、街全体が会場となっていた。その分道を埋め尽くす程の人・人・人。もまれる、踏まれる、押されるが何処に行っても行われる。
何も考えずに本能のままに動き回る恒河沙を助けるのに、どれだけソルティーが苦労したか。
「なぁなぁ、あそこ何かな?」
一際人が集まる場所を指さし、恒河沙が既に疲れ果てたソルティーを期待の眼差しで見た。
ただそうしながらも好奇心に負け続けの体は勝手に走り出そうとして、ソルティーが服を掴んで引き留める。内心、縄でも用意していれば良かったと感じながら。
「大道芸らしいな、ナイフ投げらしい」
高見から見下ろせるソルティーが説明し、恒河沙がその場で何度も飛び跳ねるが、見えるのは人の頭だけだった。
「ソルティー、もっと前行こう。此処からじゃ見えないよ」
そう言って恒河沙はソルティーの手を握って前に進むが、途中で人の壁に阻まれ、幾ら根性を出してもそれは崩れてくれなかった。
「見え…ない〜〜」
前にいる女性も男性も恒河沙より高く、頭の隙間からも前を覗く事が出来ない。
「そんなに見たいのか?」
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい