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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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《しかし、もうこれ以上彼等を側に置く事は出来ない。ローダーを取り戻した後、直ぐに彼等をシスルに帰す》
 突然の話にハーパーは目を見開き、考え直せと言うつもりだったが、ソルティーは彼を真っ直ぐに見つめ、彼の声に出来なかった言葉に首を振った。
《ローダーが揃えば、私の居場所は知られるだろう。――お前には教えていなかったが、今のローダーはそう言う力の塊だ。そうなれば今以上に私自身が火種となる。――それに万が一アストアに入る事となったら、彼等が何を知るかも判らない。それだけは避けたい》
 巻き込みたくないと思うよりも、恒河沙達に知られたくなかった。
 アストアへは、未だに行く気にはなれない。目的の場所へ向かう道程や、そこに潜むだろう障害を第一に考えれば、最早避けては通れないだろう。
 そしてそこに足を踏み入れた時に、恐らく彼等は気付いてしまう。自分が彼等と同じでは無い事を。
 決して知られたくない事実を。
《どうせ巻き込むなら、アスタートを巻き込んでやる》
《主、それは逆恨みと思わぬか?》
 意地の悪い微笑みを呆れつつ眺めると、今度は楽しげな笑みへと変化する。
《思わないな。今までのうのうと護られていたんだ、少し位は火の粉を被っても良いだろう?》
 ソルティーはどうやら本気でそう願っているらしく、言葉には何の後ろめたさも感じられない。
《ああ、思い出したら腹が立ってきた。少し外に出てくる》
《何処に行かれる?》
《……煙草を吸ってくる》
 最後にはまた悪戯をする様な笑みを見せ、ソルティーは扉に向かった。
 ハーパーは彼の背中を扉が閉まるまで見つめ、自然と肩の力を抜いた。
《矢張り、主は変わられた》
 ソルティー自身にしか解決できない遺恨は燻り続けるものの、アストアの名を平気で口に出来る様になった。
 それだけでも素晴らしい変化だと感じつつ、今度は恒河沙によって奏でられた扉の音を聞きながら、ハーパーは静かに目蓋を下ろした。

「ああ! グルーナ様! やっとあたしに会いに来てくれたのね」
「違う」
 両手を後ろで握り併せ、体をすり寄らせてくるミルナリスをソルティーは片手で退けた。彼女が居る事を忘れたいたのではなく、気にしない事に決めたのだ。
 熱はいつかは冷める物。
 冷たくあしらえば済むと思っていた彼女への態度が、こうも逆効果となったのなら、適当にあしらった方がマシな結果になるかも知れない。
「ソルティーに触るな。嫌がってるだろ!」
 払い除ける腕にまとわりつくミルナリスに、後を追ってきた恒河沙がむっとしながらその腕を無理矢理解く。
「何よ、恒ちゃんはあたしの味方じゃないの?」
「俺はソルティーの味方」
 ソルティーとミルナリスの間に体を押し込み、身を挺してソルティーを護る。
「勝手にしろ」
 本人を無視した言動に呆れ、さっさとソルティーは宿の出口に向かって足早に歩き出した。
「待ってよぉ、グルーナ様ぁ〜」
「ひっつくなっ!」
「恒ちゃんこそっ!」
「俺は良いんだよ!」
 駆け足でソルティーを追いかけ、彼の腕を思いっきり掴んで、その反動で彼が転けそうになったのにも気付かず、自分の立場をミルナリスに見せびらかす。
「ずっるーい。いいもん、あたしはこっち側貰うから」
 負けるつもりのないミルナリスにも腕を取られ、ソルティーは身動きがとれなくなる。
 宿の他の客が見せ物を見るように周りに集まりだしたが、羞恥心のない二人は全く気にしていない。
 それどころか何か言い合う度に声は大きくなり、腕を引く力も強くなっていった。
「恒河沙、ミルナリス、いい加減外に出させてくれ」
 眉間に皺を寄せ、震えた声に思わず手を放したのは恒河沙だけで、
「初めて名前呼んで貰っちゃったぁ! さっ、行きましょグルーナ様」
 ミルナリスは喜んでソルティーの腕に絡んだまま、彼を力の限り引っ張った。
――どっちがずるいんだよ。
 強引なミルナリスを見て手を放すんじゃなかったと思う。
 しかしもう一度同じ事をすれば、またソルティーを困らせてしまう。
「恒河沙、来ないのか?」
 争奪戦に負けて立ち止まった恒河沙に、ソルティーは振り返って手を差し出す。
『彼女と二人にさせないでくれ』
 情けないが今は恒河沙に頼るしかないと言うのもあるが、こんな事で彼を気落ちさせたくもない。
 そんな気持ちからソルティーは助けを求める様に手を伸ばした。
『しかたないなぁ』
 言葉とは裏腹に、表情がパッと明るくなる。
 直ぐに差し出された腕に追いつくと、その手が頭の乗るのを無意識に待った。
『ありがとう』
『こんなやくのたちかたは、いやだぞ』
 そう言っても乗せられた手に表情が緩んでしまう。
『ごめん』
「もう〜〜、ずるい〜〜、二人で内緒話なんて。あたしも加えて!」
「嫌ぁだよ。ミルナリスは交ぜてやらない」
「恒ちゃんの意地悪っ!」
 ソルティーを挟んでぶつかり合う火花。ただ二人が本気で喧嘩をしているわけではないのは、その表情で判る。
 どうやらミルナリスは恒河沙を気に入っているようで、ソルティーを独占したいと思っていも、彼に調子を合わせて言い合いすることも楽しんでいた。
 そんな子供っぽい言い合いはどちらが負ける事なく続き、それに引きずられる様にソルティーは笑みを漏らした。
「あっ! 笑った。グルーナ様が笑った。やっぱり笑ってる方が素敵で、あたしは大好き。ねぇ、もっと笑って」
 勿論自分に向かって笑って欲しいと言うミルナリスの言葉は、ただ金の為に道に立ち続ける女達とは違う、あざとさの無い素直な本音だった。

『ソルティアス様の笑った顔が好き』

 顔も、姿も、育った場所さえ違う、アルスティーナとミルナリスの言葉が重なる。
 時間を掛けてゆっくりと育んだ想いと、瞬間的な閃きの様な想い。
――同じ……なのだろうか。
 曾て感じた事のあるこそばゆい淡い想い。もう二度と感じることは無いだろうと思っていたそれが、燻るように胸の片隅で痛みを放つ。
「ねぇ、何処に行くの? あたしこの街の事ならなんでも知ってるわ。何処にでも案内してあ・げ・る」
 どんな言葉で斬りつけても、どんなに突き放した態度をぶつけても、変わらない笑顔でソルティーに語りかけるミルナリス。女性として見ることは出来ないが、人としてその行動力には惹き付けられそうだと感じてしまう。
「煙草を買いに行くだけだ」
 感じないように、気付かないように。
 どれだけそう願っても、人としての当然の権利の如く、与えられる温もりが愛おしく感じた。
「任せといて、品揃えの良い店知ってるから。それと、一服するのに丁度良い場所も」
 人差し指を前に突きだし、張り切ってミルナリスは前へと向いた。
 その瞬間、ソルティーは本当に優しい笑みを浮かべた。



「あれ? 二人は?」
 念入りに体を洗い終えた須臾がハーパーしか居なくなった部屋を見渡す。
「出掛けられた」
「いや、それは見れば判るって……」
 長い髪をタオルを使ってひとまとめにし、どうも間が持たない者と置き去りにされた事に肩を落とす。
――恒河沙ってば、待ってなさいと言ってたのに。
「何処に行ったか知ってる?」
「否」
「あっそ」