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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 気を張りつめた看病は流石の竜族であっても疲労を伴い、ハーパーはこの数日間の気疲れで目を覚まさない。しかも声を出すだけが、かなり負担を感じた。
 そこでソルティーは意識を指先に集中させ、恒河沙が握ったままの右手を少しだけ動かす。
「……ん…?」
 意外と早くソルティーの動きに気付いた恒河沙が、ゆっくりと頭を上げる。
 いつの間にか自分が眠っていたことにも気付いていなかった恒河沙は、半分寝ぼけた目に映った光景にも、最初は気付いていなかった。
 しかし今までと明らかに違う、“二つの青”に釘付けにはなっていた。
「…は…よ……」
「え、あっ、ソッ!!」
 やっと目覚めたソルティーに驚き、咄嗟に名前を叫ぼうとしたが声が詰まって言葉にならなかった。続けて椅子から勢いで立ち上がり、上からまじまじとソルティーを見てから、腰が抜けたように床に座り込んだ。
「おはようじゃないよ〜〜もう夜だよ〜〜」
「……ごめん…」
「でも良かったぁ、目が覚めて」
 ソルティーの顔の横に自分も頭だけをベッドに乗せ、恒河沙は安心して気が抜けた声を出す。
「何日…寝て…た?」
「えっと、いち…にい………六日? でも大丈夫? ハーパーは医者呼ばなくて良いって言ってたけど、呼んでこようか?」
 それにソルティーは微かに首を振る。
「でも……」
「もう、大丈夫……だから」
「……うん、それなら良い。ハーパー起こすな、一番心配してたから」
 ハーパーの元へ向かおうとして漸く、自分がまだソルティーの手を握ったままなのを思い出し、慌ててそれを放した。
「ご…ごめん。その、ソルティーがなんか握って欲しそうだったから……つい…」
 その時の自分の必死さが妙に恥ずかしく、出てくる言葉が言い訳になってしまう。そんな恒河沙の様子に、ソルティーは微かな笑みを浮かべた。
「ありが…と…」
 長く続いた夢の中は、最後まで誰にも触れられずに終わってしまった。しかし求めていた者とは違うけれど、現実でしっかりと握りかえしてくれていた手があったことが、嬉しくもあり悲しくもある。
 それでもハーパーだけではなく、恒河沙さえも自分のことを本気で心配してくれた事へ、ソルティーは素直に感謝した。
「うん……」
 礼を言われる事では無いが、恒河沙もソルティーの言葉に頷き、ハーパーを起こすために背を向けた。
「ハーパー! 起きろよ、ソルティーが目を覚ましたんだよ!」
 力任せにハーパーの巨体を揺り動かし、最後には殴り飛ばした。そこまでしなくてはならない程、彼は心身共に疲労を感じていたのだろう。
「ハーパー、目が覚めた?」
「……もう少しましな起こし方は用意できなかったか?」
「ソルティーが起きたのに、ゆっくり起こせるかよ、ったく」
「何! 主、ご無事か?!」
 待ちに待った時にハーパーの行動は早く、恒河沙が避けなければ跳ね飛ばされていた。
 普段なら文句の一つも口にしていたが、無理もないことに見守るだけにした。
「ああ、心配……かけ…た…」
 ハーパーはソルティーの傍に駆け寄ると、しっかりと目を開けて自分を見つめ返す姿に安堵の息を吐き出し、力尽きたように床へと座り込む。全く恒河沙と同じ行動を見せられれば、そこまでの心配を掛けた者としても思わず本気の笑みを浮かべてしまった。
「俺、洗ってた着替え取ってくる。着替えないと別の病気になるから」
「う、うむ。頼む」
 本来ならばまっ先に自分が気を利かさなければならない所を恒河沙に奪われ、少々ばつの悪い返事をハーパーがし、恒河沙は気にもせずに部屋から出ていった。
「主……我は寿命が百年は縮んだ」
「すま……い…」
 近付いたハーパーの肩に手を乗せて安心させたいが、まだそこまで体が動かない。
「ハ……パー…、剣を…」
 右手の指を微かに動かし、そこへ剣を握らせてくれとソルティーは語る。ハーパーも判っているのか、頼まれるままソルティーの剣を鞘から抜き握らせた。装飾の施された方の剣を。
「大事無いか?」
「ああ」
 力が無くても持てる様に、ベッドに置かれた剣の柄を握ると、それは緩やかに光を放ち始めた。
 徐々に光を増す剣の周りには、光に反抗するかのように闇が生まれ、放たれる光を喰らい始める。その奇妙な光景をハーパーは忌々しく見つめ、心の中では表現できない程の憎しみに彩られていた。
「はあ……少しだけ楽になった」
 息を吐くと同時に、剣に宿った光も闇も消え、ソルティーの声色は普段ほどでは無いが、はっきりと聞き取れる迄に戻っていた。
「流石に今回は、何度か行わなければ治らないな」
 剣をハーパーに預ける為に腕を動かすまでにはなったが、体の回復までには至ってないのか、ベッドから起きあがる事はしない。
「主よ、もう二度と無理はなさるな」
「そのつもりだ。しかし今回だけは仕方がない、少しは大目に見てくれないか」
 そう言ってもハーパーは顔を歪めたままだ。おそらく何を言った所で、彼には同じだろう。
 全てを理解しているからこそ浮かべられる表情からソルティーは目を逸らし、どこか虚ろな視線を天井へと漂わせた。
「……ハーパー、アルスティーナの夢を見た」
「姫の?」
「ああ……、私に生きて、今生きている人々を護れと言った」
 あの夢が、彼女の言葉が、真実だとは思いたくはない。しかし本当にただの夢だと言うならば、おそらくハーパーの姿がどこかにあったはずだ。
 いや、自分の願望や悔恨を形にしていたのならば、彼女の言葉は何一つとして当て嵌まりはしない。
 だからこそ夢の中の彼女の言葉が、嫌でも現実として残っている。そして、
「姫らしい言葉だ」
 幼少の頃からしっかりとした考え方を持ち、優しく気高い少女の面影を思い出し、ハーパーは深く頷いた。
「それでも、判っていても、彼女だけを今でも護りたいと願ってしまうのは、愚かな事なのだろうか」
 ソルティーは天井を見上げたまま、声もなく涙を流した。
「ハーパー、私は直に狂うのだろうか? アルスティーナに、もう私の心を護れないと言われた。後は壊れるだけなのか?」
 彼女の為に、遂げなくてはならない目的の為に、それだけは避けなければならないのは分かり切った答えだ。
 なのに心の奥底は、その刻を待ち望んでいる。
 悲鳴と幻にひび割れ砕けていった心が、現実でもそうなればと願っている。
「何故その様な事を言うのか、主はその様に弱い方では無かった筈ではないか」
「強くなりたかった。父上の様に、誰をも護れる人になりたかった。……しかし、私はアルスティーナ一人さえ護る事も出来なかった。――無力だ、私にはもう心を支える人が居なくなった、ただの壊れかけの人間なのだ。ハーパーの思うような者にはなれない」
「主よ……」
「だが、使命を果たすまで、彼女の敵をとるまでは消えることは出来ない。それでも、もし私が正気を失う事が有るなら、ハーパー、君が私を消してくれ」
「…………御意に……従おう」
 言葉とは裏腹に、本心は真っ向から逆らっていた。しかし、ソルティーが今此処に居る理由と、自分が主の側に居る理由は、他に言葉を捜せない程に簡単な理由でもある。
 ソルティーが正気を失う時に、自分が彼を殺す事。