刻の流狼第二部 覇睦大陸編
episode.13
人の一生の間に、人はどれだけ他者に好意を抱くのだろうか?
時には好きと言い、時には恋だと語り、時には愛だと囁く。そのどれもが形の違う好意の一種だと人は感じる、本当にそれらは違う想いなのだろうか?
延長線上に繋がるかも知れない人の想い。浮かんでは沈み、沈んでは浮かぶ川を流れる木の葉のような想いを、時に併せて言葉とする事自体が、愚行とも言えるのではないだろうか。
何より、人はその好意に反旗を翻させる事もある。
好きは嫌いへと、愛は憎しみへと。
しかし恋は……。
* * * *
《近く行われる祭祀での警備体制は、三倍程度の強化が考えられる。逃げる事を考えれば、その賑わいに紛れ込むのが一番だと思う》
《しかし肝心の城内の調べがまだでは、迂闊には動けまい》
《賭をするしかない。もしかすれば、近付けば何かが感じられるかも知れない》
《し損じる事は許されぬ。我にはもう暫くの調べを必要と》
《判っている。だが昨夜聞いた話からは、とてもこれ以上の調べをする事など不可能だ。今は祭りの前だと言う事もあって、街にも他国の者が多いが、王城の調べをしている者が居ると通報される危険性も大きい。そうなっては遅い》
《我は承諾しかねる。更なる調べを。王城には侵入者に対する仕掛けも多く、特に愚王は愚か故に味方をも疵付ける作を――》
《そんな事は判っている!》
《主は何も判っては居らぬ! 我がどれ程長く、王室警護の任を任されていたと思って居られる! 王を護る仕掛けは、主が思っている程の稚拙さでは無い! しかも踏み入るは我等の城に非ず、卑しき愚王の城ぞ。静謐を忘れし、混沌の時世ぞ!!》
ハーパーに怒鳴られたソルティーは、負けを感じさせる様に言葉を飲んだ。
「何言ってんのか、全然判らないなぁ」
「うん」
恒河沙と須臾はベッドに腰掛けながら、テーブルを挟んで言い合いをするソルティーとハーパーを、首を傾げながら眺めていた。
かなり長い間言い合っていて、やっと一応の決着が着いたようだが、言い負かされた様に見えるソルティーの顔はまだ終わりを告げていない。
ただそれは判るのだが、現在彼等が話している内容が、一切理解できなかった。彼等は今、全く別の言語を使っているのだ。
「何処のかなぁ?」
「さぁ?」
リグスの共有言語とは全く違う発音は、何処の国の種族言語とも違う様に聞こえた。
元々シスルの言葉でさえもソルティーは流暢に使いこなし、それ以上に世界中の言語を語ることが出来ると言われている竜族を従える様な男でもある。自分達の知らない言語を他に知っていても不思議ではない。
「聞いてみる? 一応。教えてくれないとは思うけど」
「俺もそう思う」
彼等が言葉を変えたのは自分達に聞かせたくない、知られたくない事だと判っている。
しかし恒河沙を除いて誰もがこの状況を良しとしていない。いつもならそれとなく須臾が気を利かせるか、ソルティーが二人に用事を作って退出させる。それが出来ない理由があるから、こうなっていた。
「それにしても、彼女、挫けないねぇ」
「うん」
二人は扉の向こう側で多分座っているだろうミルナリスを語った。そう、間違いなく彼女が原因だった。
彼女は相変わらずソルティーに付きまとっていた。それはもう見事な執念で。
彼女の気配が消えるのは、店での踊りの時間少し前から早朝まで。それ以外はソルティーがどこに逃げても現れるし、夜は夜で街の住人全てが監視役のような物だった。
実際本当に全員というわけではないだろうが、その強迫観念を植え付けるには、彼女の一途さだけで充分である。
だが直にその踊りの時間となる。そうすると、
「グルーナ様、あたしお店に行くね。暇が空いたら、見に来てねぇ」
と言ってから去っていく。
「根性だなぁ」
「そうだな」
今日で二日目だが、多分明日も来るだろう。
「僕達も行こうか。お腹も空いたし、ミルちゃんの踊りも見たいし」
「うん」
そうして二人は、尚も険悪に見つめ合うソルティー達を置いて、心持ち重い気分で部屋から抜け出した。
何時も通りの賑わいの中、ミルナリスの踊りは盛大な拍手に包まれていた。
どれだけの人が彼女を好きなのか、どれ程彼女を大切にしているか、見ているだけで、聞いているだけで二人にも伝わってくる。
この街で産まれ育った彼女の母親も、彼女と同じようにこの街で踊っていた、と店の客が教えてくれた。
彼女の踊りには、荒んだ気持ちを癒す力があるのだと言う。
ハットタトを前にして賑わう王都であっても、日々の圧政には苦しめられている。街中に兵士が目を光らせ、僅かな文句も口には出来ない。抑圧された苦しみや恨みが心を鞭打ち、時には自暴自棄になってしまいそうになる。
そんな時にミルナリスの踊りを見るのだ。
拍手をし、掛け声をだし、時には共に歌い踊る。その後には必ず明日を乗り越える勇気が湧いて、笑顔を浮かべることが出来た。
「今日は次でお終い。誰か好きな唄を教えて」
汗を拭きながら店の全員に彼女は話かける。
誰に対しても同じ言葉で、同じ顔で話かける。それは彼女がこの街の者達全てを、愛すべき家族と感じているからだ。そんな彼女を誰が嫌うだろう。
詩と音色に併せられる踊りが、彼女の魂を表現するたった一つの方法なのだと、誰もが思い、彼女自身もそう信じている。だから、好きな人にそれを見て欲しいと思う。
言葉では足りない、伝わりはしない。
踊る事でしか伝えられない。
だから見て欲しい。
ソルティーに見て、感じて欲しい。
「はぁ、疲れたぁ」
「でも楽しかった?」
「当たり前!」
ミルナリスは自分で椅子を運んで、拍手で迎える須臾達のテーブルに着いた。
汗に濡れた衣装を着替えてからだったが、額には新しい汗がうっすらと浮かんでいた。
「あ〜あ、グルーナ様今日も来てくれなかった」
踊りを手を抜く気は更々無いが、好きな男が見ているかどうかでは、気合いの入り方が違う。
部屋から出てもミルナリスから逃れられないと知ったソルティーは、彼女の店にいる時間帯だけ外に出ていた。
須臾は勿論ミルナリスの味方であるが、今の彼の状況を見てはおいそれと悪巧みに走れない。理解できない言葉を使っているとは言え、彼がハーパーとの話を自分達の前でする行為その物が、彼の焦りの表れなのだろうから。
「実際暇が無いみたいだよ。先刻も深刻な話合いとかしてたし」
「……それなら仕方ないなぁ。でも、グルーナ様ってどういう人なの? 此処に何しに来たのかな?」
「雇われ者の僕達にはさっぱり。まあ、知ってても教えられない事だけどね」
「けち」
顔をしかめてミルナリスは舌を可愛らしく出した。
「恒ちゃんは知ってる?」
「……俺も、須臾と同じ。知ってても、ミルナリスには教えてやらない」
恒河沙は恒河沙で、そっぽを向いて言葉を尖らせた。
知っている事を数えれば、恒河沙の方がソルティーの事を知っている。でもそれは、彼との二人だけの秘密なんだと思って、須臾にも話すつもりはない。
何故自分がそうしてしまうのかが、何とも言えない奇妙な悩みなのだが。
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい