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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 立ち止まり後ろを振り返って、自分に懐いてしまった子犬を見た。
――お前にだけは嫌われたくないと思うよ。
 必ずと言う保証はない。
 これ以上近付けば、何もかも話てしまいそうになる。その時自分を見る彼の瞳が変わってしまうのが怖い。
――お前にだけは、私の無様な姿は見せたくないから……。
「ソルティー?」
――出来れば、一度位は本当の名を呼んで欲しかったな。
「お腹空かないか?」
「空いた!」
 間髪入れずの元気な返事は気持ちが良い。
「もうそろそろ店も開く頃だろう。何処か捜そう……っと」
「?」
 この時点で先日須臾に財布ごと渡し、返されていない事に気付く。
――仕方ないか。
 ソルティーは視線を地面に漂わせ、適当な物を見付けて身を屈ませた。
「どうしたんだ?」
「いや……、光る物が見えたから、金でも落ちてるのかと思って。違ってたが…」
 情けない笑みを浮かべて立ち上がり、拾った物を手に握り締める。
「ソルティーも意外とケチなんだな。須臾もよくするけど、俺はあんまりそう言うの好きじゃない」
「ハハ…もうしないから。取り敢えず食事の前に換金しに行こう、そうしないと食事が出来ない」
 そう言って一つの宝玉を取り出した。
 色はそれ程はっきりとした赤では無いが、それでも恒河沙の腹を満たせる程の金にはなるだろう。
「ごっはん、ごっはん、なっに食べる?」
「この間の店以外なら何処でも構わないよ」
「うん!」
 すっかりさっきまでの悩みを吹き飛ばした姿に、ソルティーはただ眩しそうな笑みを向けるだけだった。



 まだ店員しか居ない店で、入り口からは確認できそうにない場所に席を決めて、二人は遅めの朝食を取り出した。
 店自体も、通りからは離れ、裏通りの奥まった場所に在り、ミルナリスも気付かないと思って恒河沙が決めた。
 そんな基準で決めたのだから、当然味は二の次となったが不満は感じなかった。
 食事の最中、恒河沙はずっと話し続けていた。
 食べることに集中していないのは珍しく、その内容が内容だけにソルティーも行儀が悪いと注意はしなかった。
 なんせ恒河沙は、昨日ミルナリスが話さないでくれと頼んだ事以外を全部ソルティーにばらし、須臾が教えてくれた企みさえも言ってしまっていたのだ。
 あまり進んで聞きたい話ではないが、これからの事を考えれば聞いて損はない。だが見聞きした事を何も考えずに話していただけの彼は、最後の最後にとんでも無い話を聞いてきた。
「なあ、幼児趣味って須臾が言ってたけど、本当なのか?」
「?!」
 流石に飲んでいた飲料水を思わず吹き出し、噎せ返るほど驚いた。
 それなのに自分の疑問に正直な恒河沙は、もう一度同じ質問をしてくるのだ。
「……誤解だ」
 取り敢えず咳を止めながらそう言い返すのが精一杯。
――須臾の奴……この借りは必ず返す!
「でも、それって悪い事なのか? 俺も須臾と寝てるし、村のおっちゃんおばちゃんも子供とよく寝てたぞ? 子供見てると眠くなるって聞いた事あるし、ソルティーもそう言うのだろ? 寝付けなかったら子供と寝るの。須臾は女の方が良いって言うけど……」
 本気でそう考えているのは、見るからに明らかだ。
――何処まで子供なんだ……。
 あれだけ荒くれの大人達に囲まれていながら、目の前の彼の知識は全く育っていない。須臾が教えていないのも疑問だ。ちゃんと教えた方が、彼の女遊びにも得になるだろうに。
 何より、幾ら頭の中身が子供だとしても、この歳の体なのだから自ずと判りだしても良い筈だろう。
「恒河沙……寝るの意味が違う」
「どう違うの?」
「………」
 中身は兎も角、年齢的に知らない方が良くない事もある。そう自分に言い聞かせて教えるつもりで口を開いたが、純粋な子供の目で見つめられた瞬間、何も言えなくなってしまった。
――言えない……流石に言えない。
 教える事は簡単だ。単純に“仕方”を知らないだけなら、いっそ色町にでも連れて行って、そこの女性に預ければ済むだろう。――だが、恒河沙はそんな普通の子供ではなかった。
 男女の違いさえも理解しているかどうかも疑わしい。恐らく人としての本能の部分は、未だに五才程度の認識しか持っていないのだ。そんな子供相手に、性の営みを教えられるはずがない。
 間違いなく須臾も他の傭兵達も、この何とも言えない罪悪感を感じてしまったのだろう。
「大人になると判るだろう」
 お決まりの大人の言い訳を口にすると、更に恒河沙の視線が、どうして?と自分に集中する。
「とにかく、何時か判るから。そう言う事は須臾に聞いてくれ」
「言ったけど、教えてくれなかった。おっちゃん達も、笑って逃げた。だからなんか悪い事なのかなぁって思ってたけど、悪いことじゃないって言うし。ソルティーはなんでも知ってるから、だから教えて欲しい」
「はぁ……」
――私も逃げ出したいよ。
 かなり本心でそう思うのだが、ここでただ逃げるだけに終わらせるのも、妙に真剣な恒河沙を見ては出来そうにない。
 結局ソルティーもミルナリスと同じに暫く考え込み、それからやっと答えを出した。
「人を本気で好きになれば判るよ。男は……そうなったら、自然と体が反応するようになってるんだ。体がこう……自然と好きな人と寝たくなるんだよ。……お願いだからこれ以上この事を聞かないでくれ、こう言うのは私も得意じゃないんだ」
「……うん」
 結局は逃げに徹してしまった解答に、恒河沙は一応返事はするが、スプーンを銜えながら上の空になってしまった。
――ミルナリスは胸に感じるって言ったよな……。ソルティーは勝手に体が反応するって言うし。俺はソルティーの事好きだけど、体はどうにもならないけど、本気の好きと違うのかな? ……人によって好きが違うからかな?
「わかんないなあ…」
 考えれば考える程、足りない頭がぐるぐるして、気持ち悪くなる事は有っても、すっきりする事は無かった。
「今はそうでも、いつの間にか判っている物だよ。無理して知る必要は無い事だ」
「う〜ん」
 銜えたスプーンを揺らしながら、ソルティーの言う通りかな?と思う。
――どうせ俺の頭じゃ無理なのかな?
 そう考えた瞬間、その思考が吹き飛ぶほどの大音声が店に響いた。
「グルーナ様、見ーつけたっ!」
「げっ!」
 テーブルの上にスプーンが落ち、ソルティーは頭を抱え込んだ。
 足取りも軽やかに店に入ってきたミルナリスは、二人の方に一直線に突き進んでくるが、その途中店の店員に向かって手を振ると、
「教えてくれてありがとう」
 そう言ってキスを投げた。
――この街は彼女の味方ばかりなのか……。
 二日やそこらでこれ程の包囲網を張り巡らされるとは、正直逃げ道を断たれた思いだ。
「もうっ、グルーナ様も恒ちゃんも逃げるなんて酷いっ!」
 昨日よりも遙かに露出度の高い服を身に纏い、当たり前の様にソルティーの横に腰掛けると、スカートの切れ目からは綺麗な脚が顔を覗かせた。
 彼女なりの女の良さを確かめさせる第一歩なのだろうが、ソルティーの視線は一切彼女から切り離されていた。
「何か用か?」