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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 一般の家庭が四人家族として、この金額で三日は充分な食事が出来る。とてもではないが、ミルナリスが支払えば、彼女の今月の生活は全く成り立たなくなるだろう。
「恒ちゃんって、食事所に一つは置きたくなる子ね」
 言い返せないミルナリスの言葉に、恒河沙は恥ずかしくなって、珍しく俯いてしまった。食べている最中は考えた事は無かったが、金額を表示されて初めてどれだけ自分が食べたのか判る。
 まあ確かに、恒河沙の胃袋を満足させる事が出来るのは、ソルティー位しか居ないのは事実だ。


 須臾達がミルナリスと悪寒が走りそうな会話を楽しんでいた頃、ソルティーは一人で情報屋捜しをしていた。
 しかし、思っていたよりもこの国の王の驚異が存在するのか、ソルティーの欲する話は殆ど得られなかった。
 街の彼方此方に憲兵隊らしき者が立ち、周囲の人々に始終目を光らせているように見え、もしも自分が少しでも彼等に警戒心を抱かせたなら、直ぐにでも周りを包囲されるだろう。
――これでは息が詰まる。
 街の人々は兵を恐れるように機嫌を伺いながら生活し、祭りの準備をしている者の顔付きも些か強張りを感じる。
 祭りを前にしてもこれでは、ここの人の暮らしが普段どれだけ苦しい物なのか想像しやすい。
――今日はもう無理か。
 後は酒場を回ってそれとなく噂を集める位しか出来そうになく、陽が暮れだしたのを感じてソルティーは宿に戻る事にした。



 そして翌朝のソルティーは、昨日の内に酒場も回っていれば良かったと、心底思い知らされた。
 朱陽が昇り始めた明け方、扉をノックする音に気付き相手を確かめてからソルティーがした事は、寝ている須臾を蹴り飛ばしてベッドから落とす事だった。
 彼らしくない行動ではあったが、無意識にそうしてしまう程の怒りを感じたと言うことだ。

「いい加減にしてくれ」
「ええ〜、だってグルーナ様昨日踊りを見に来てくれるって言ったのに、来てくれなかったからぁ、折角会いに来てあげたのにぃ」
「頼んでいない」
「ああん、もう、その冷たさが良い!」
 扉越しにそんな会話をミルナリスと続けるが、ソルティーの冷え切った視線は、ずっと須臾に向けられていた。
「須臾、後でどういう事か、きっちり説明して貰うぞ」
 返事をさせない低い声でそう呟く。
 ソルティーは扉の鍵を確認し、其処から離れると窓を開け外の様子を見渡した。
 まだ外の通りには人通りはまばらで、兵の姿も見当たらない。それを確認してから「後始末しておけ」と言い残し、窓から飛び降りた。
「俺も!」
 ソルティーを追って恒河沙が窓から飛び降り、残された須臾は矢張り冷ややかなハーパーの視線を浴びつつ、ミルナリスが一人で盛り上がっている扉に向かった。
――減俸決定、しくしく……。


「ったく、恒河沙が居ながらあれか?」
「ごめん」
 周りの人目を気にしながら、心の中でどうかミルナリスに見つからない様にと祈る。
 出来る限り街の中心から離れる様に歩き、人通りの少ない方向へと足を向けた。
「……済まない、お前に言う事じゃないな。どうせ須臾が意趣返しに教えたんだろ。――それにしても、なんなんだあの子は……」
――憲兵より始末が悪い。
 こめかみを押さえ、訳が分からないと首を振る。
 ぶつかって転んだ相手に手を差し伸べただけで、追いかけ回されるなんて思いもよらない出来事だ。これなら強請たかりであった方が、まだ数倍マシだったろう。
「ソルティーの事好きだからだって」
「聞いた」
 溜息をもらし、それが判らないと言う。
「彼女には悪いが、答えられない気持ちを相手に出来ない」
 ミルナリスの気持ちを信用していないのは、一瞬で人をあれほど想う事が出来ないと言う考えからだ。
 ソルティーは始めから彼女に背を向けていた。
――相手には出来ないのは婚約者が居るからで、婚約者って結婚するんだよな? 結婚するって言うのは、好きだからだよな。ソルティーの好きな人って誰だろう?
 昨日ミルナリスに色々とソルティーの事を聞かれ、その殆どに答えられなかった。恒河沙が知っているのは、名前と歳と色が見えない事だけ。最後の事だけは誰にもまだ話てはいない。
 しかし産まれた国も、好きな食べ物も、趣味も何も知らない。今まで知らなかった事に何も感じていなかったが、急に知らないことが不安になってきた。
――知りたいよ。どんな事でも良いから、ソルティーの事、いっぱい知りたい。
 須臾に何度も干渉しないように言われて、それは正しいと思っている。だけど聞きたい。ソルティーの事を、もっと知りたい。
「ソルティー……」
「ん?」
 振り返って自分を見るソルティーの顔が曇ってしまうかも知れない。
 でも……
「婚約者が、居るのって……本当?」
「………」
 一瞬だけソルティーの瞳が揺れ、彼の顔から表情が消えた。
「本当だ」
「結婚するの?」
「………ああ」
「もしかして、アルスティーナ?」
 恒河沙が唯一知るソルティーの口にした人の名前。今ならそれが女性の名前だと判る。
「どこで、その名前を……」
 ソルティーの動揺が恒河沙にもはっきり感じられた。
「前、倒れたとき、うわごとで言ってたから……」
「そう……か…。他に何か言っていたか?」
「ううん、それだけ」
 それは嘘だったが、恒河沙の聞いた彼の他の言葉は、多分言わない方が良いと思った。
 一人は嫌だと言ったなんて聞かされるのは、自分でも嫌だと思うから。
「恒河沙」
「なに」
「その名前は忘れてくれないか。出来れば二度と口に出さないで欲しい」
 恒河沙から視線をずらし、詰まりそうになる言葉をソルティーは必死に吐き出した。
「……うん」
――やっぱり、聞くんじゃなかった。
 また前を向いて歩き出したソルティーの背中を見つめ、後悔が頭を擡げる。
――どうせなら好きな食べ物の話にすれば良かった。
 そんな事を考えていたが、もし彼にその答えを求めても、返事が出来るかどうか疑問だろう。
 好きな食べ物とは美味しいと感じる事が前提だ。しかしソルティーには、それすら感じる事が出来ないのだから。

 色覚、痛覚、味覚。今のソルティーにはそれが欠如していた。
 見せ掛けの人間らしさ。形ばかりの真似事。食べなくても、傷を癒さなくても死ぬ事が有り得ないのを、はたして生きていると言えるのだろうか。


 何も言葉が出なくなってからも、ソルティーは恒河沙を連れて歩き続けていた。
 街の入り口付近まで行き、その足で裏通りに進路を変える。実際夜になるまで暇を持て余すのは予定通りなのだが、それまでの時間をハーパーと少なからずは話をするつもりだった。
――宿に帰るのはまだ危険だろうし、恒河沙を連れていては……。
 後ろにずっとついてくる恒河沙を感じて溜息が漏れる。
――本当に子犬だな。
 その子犬をどこで捨てるのかをいつも考えていた。
 もうシスルに戻しても差し障りのない所まで来ている。それに須臾が擣巓と奔霞の事を理解しているなら、彼等を帰しても恒河沙が幕巌の考えていた様にはなるとは思えない。
――剣を私自身が取り戻すなら、もう必要ないのかも知れないな。これ以上一緒に居れば、何時か巻き込んでしまう。