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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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「えっ?! 帰っちゃうの! あたし今から踊るんだよ、見てってよ!」
「いや、用事があるから」
「あたしにぶつかったのを悪いと思ってんなら見て行きなさい! ……じゃなくて、お願いだから見ていって、絶対に損したなんて思わせないから!」
 真っ赤な顔を更に赤くしたミルナリスは、勢いに任せるようにソルティーの腕を掴んだ。
「しかし」
「良いから、少しだけでも良いから。お願い!」
 力任せにソルティーを店の中に引っ張り込み、振り解けない彼女の腕をソルティーは困惑と迷惑の眼差しで見つめた。
 振り解くのは簡単だ。しかしそうしてまた彼女が転けたり、妙に自信ありげな彼女を説得する手間が面倒だった。
 店の中央付近に用意された踊りの場所だろうか、テーブルを寄せただけの何もない空間までソルティーを引きずり、ミルナリスはその一番見渡しの良い場所に一つ椅子を用意させた。
「此処に座って。いい、絶対座っててよ!」
「ああっ?! ソルティー!」
 後方で須臾の叫びが聞こえるが、とても振り返る気になれない。
「みんな遅れてごめんね。待たせたお詫びは踊りで返すから、最後まで楽しんでって。さてぇ、今日は誰が弾いてくれるの?」
 フィドルを片手にミルナリスが聞くと、店のあちら此方で手が上がり、その中の一人を前に呼び出してフィドルを渡す。
「次は唄」
 そしてまた手が挙げられる。
 指名されて出てきた男とフィドルの男は、二三の言葉を交わしてからミルナリスに一言告げる。彼女はそれに笑顔で頷き、店中に声を掛けた。
「それじゃあ、みんな、手拍子っ!」
 ミルナリスの刻みだしたリズムに併せ、店中の手が音を鳴らし始めた。
 フィドルが奏でられ、そして力強い男性の歌声が響く。
 ミルナリスの腕と足首にはめられた鈴の音が一定のリズムで鳴り響き、踊りは始まった。
「何だよ、興味ないとか言っておきながら、これって一寸酷すぎない?」
 人の輪を掻き分けて来た須臾が、不服そうな顔でソルティーの背中にのし掛かってくる。
「……私に言わないでくれ。外でぶつかったら連れてこられたんだ」
「ふ〜ん、ぶつかったねぇ」
 須臾の疑いの眼差しにソルティーは目を覆った。
 多分幾らこれ以上説明しようと、言い訳にしか聞こえないだろう。
「ライハッ!」
「ライハッ! ライハッ!」
 何人かの男の掛け声に併せるかのように、演奏の速度が早まる。そしてミルナリスの動きも早さと力強さを増した。
 手拍子と足踏み、熱が高まる。
 二人の男がミルナリスの踊りに加わり、更なる広がりを見せ始める。
「凄ぉ。よくあんなに激しく踊れるよな」
「ああ」
 感嘆の吐息が出る程、自然と手が合わさってしま程、その踊りは激しくそして熱情が込められていた。
 謳われている唄は、二組の男女の恋物語。
 出会いと別れ。別れと再会。
 結ばれる運命と結ばれぬ運命を背負った、情熱と悲哀を激しく謳う。
「リーナッ! リーーナッ!」
 誰とも知れぬ男の声に一瞬店中が静まり返る。
 フィドルは奏でる、静かな音色を。優しく悲しい恋の終わりを。
 男は謳う、細くか細い調べを。熱く険しい恋の始まりを。
 そして踊りは終演を迎える。先に続く道を感じさせて。
 ミルナリスの体が床に伏し、音が静かに途切れた途端、店中の音と言う音が鳴り響いた。
「はぁ……」
 後ろで須臾が溜息をもらす。
 拍手は一向に鳴りやまず、耳の痛みを感じさせる程だ。
「どうだった?」
 立ち上がって直ぐにミルナリスはソルティーの元に駆け寄り、汗の浮かんだ顔で感想を聞いてきた。
「良かったよ。素晴らしかった」
 お世辞抜きの言葉と拍手で迎えられたミルナリスは更に明るくなる。
「ありがとう!」
「じゃあこれで」
 しかし受けた感動とは違い、ソルティーはあっさりと告げると立ち上がった。ハーパーとの事もあるが、それよりも恨みがましい須臾の視線が落ち着かないのだ。
 だがまたもやミルナリスが腕を掴んで引き留めてくる。
「どうして?! あたしの踊りまだあるんだよ。それとも気に入らなかった?」
 必死に留めようとする彼女を困り切った顔で見つめると、彼女の顔が運動後の紅潮ではない朱色に染まる。
 須臾からの視線に殺意が含まれたように感じたのは、恐らく気のせいではないだろう。
「済まない。本当に今日はもう暇が無いから。また明日来るよ」
 ミルナリスの手を慎重に解き、言葉を選んでそう告げた。
「ほんと?! 絶対だよ! 絶対に来てよ、あたし一番の踊り見せてあげるから」
「ああ、楽しみにしている。須臾、出来れば少し時間を空けて帰ってきてくれないか?」
「それは良いけど。どうせ彼女の踊り全部見るつもりだし」
 元より間を空けて帰るつもりだった。
 さっきハーパーと話があると言われた時点で、日頃出さない命令口調でハーパーの説教を止めさせたのか理解できていた。
 ただ今となっては、ちょっとした嫌がらせもしてやりたいが、そうも出来ないのは彼の苛ついた眼差しを見てしまったからだ。
「頼む」
 そしてソルティーは漸く宿に戻る事が出来た。
「ねぇ君、あの人の知り合い?」
 ソルティーの背中を見送りつつミルナリスは須臾に聞き、やっぱりと言う表情で「そうだよ」と答えた。
「名前なんて言うの? 歳は? 結婚してる? それとも、恋人とか居るの? どこに住んでるの?」
 一気にそれを捲し立て、ミルナリスは周りの客達が踊りを急かすのを完全に無視した。
「……それは、言えないよ」
「どうして? けちけちしないで教えなさいよそれくらい」
「無茶言わないでよ、ね。そんな事教えたら、僕の立場がやばいよ」
 大きな目で威嚇する様に見上げてくる彼女に肩を竦めて見せるが、彼女にとっては須臾の立場に興味も無ければ、同情をする余裕もない。
「けちっ!」
 須臾の感情的には教えてソルティーを困らせたいが、その後を考えると言うに言えない。
 それを知る由もないミルナリスは、ブーツの踵で須臾の足を思いっきり踏みつけ、
「もう良いわよ、明日本人に聞き出してやるんだから!」
 ミルナリスは用無しとばかりに須臾に背を向けると、また踊りの場に戻っていった。
――……明日から、少し見物かも。
 男を観賞する趣味は毛頭ないが、普段冷静な者が困る姿を見るのは結構好きだった。
 しかも相手がソルティーなら、楽しみにする桁が違う。
 今回は目の前で女性を取られたのだ。彼がミルナリスに迫られて、どんなに困るのか楽しみで仕様がない。
 地の利は当然彼女にある。幾ら自分が隠したからと言って、探り当てられるのは目に見えている。ならば、取り敢えずは明日から恒河沙同様に自分も、ソルティーの側を離れないようにしようとそう決めた。
 そして、その時の恒河沙は、こんな騒がしさにも目もくれず、ずーーっと食べ続けていた。



 宿に戻ってからのソルティーは、部屋に残していた方の剣を鞘から抜き出し、その剣身に描かれている呪紋に神経を集中させていた。
 以前行った様な光を生み出す作業ではなく、剣から流れ出す何かを感じ取る作業だ。須臾達が帰ってくる迄には終わらせなくてはならず、その顔は真剣そのものだった。
「駄目だな」