刻の流狼第二部 覇睦大陸編
荷物を床に置きながら、恒河沙が滅多に使わない言葉を吐き出す。
四軒の宿屋を梯子して漸くハーパーも泊まれる部屋を借りられた。
但し、時期が時期だけに一部屋借りるだけでやっと。こんな時には流石にソルティーの財力も竜族のご威光も通用しない。
用意された部屋は豪華の一言に尽きるが、四人ともなると狭く感じる。その中に人の三倍は有に越えるハーパーが居れば、尚更だろう。
「わ〜〜、ふっかふか。気持ちいー」
まあそれに関しては、ソルティーとハーパーのみが感じている事かも知れないが。
「ソルティーだけいつもこんなのに寝てるの? 良いなぁ〜〜」
恨めしそうに言われても、こればかりはどうしようもない。
大抵の宿屋はハーパーが泊まれる様な特別室は、一つか二つしかない。もちろん無理に詰め込もうと思えば可能かも知れないが、後で床が抜けたとか天井に穴を空けたとか……。
小さな宿の入り口を前にして「すまないが、お前は外で寝てくれ」と言った方が、遙かに多いのではないだろうか。
もっとも泊まれると言っても、結局ハーパーは床で眠るのだから、恒河沙の言うふかふかの気持ち良いベッドはソルティーの独り占めだ。
「悪いな。此処に居る間はお前も使って構わないから」
「ほんとっ?! 嬉しい〜〜。ありがとう!」
ベッドの上で跳ね回り、体全体を使って喜びを表現するが、その後で飛んできたのは「跳ね回るでない!」を皮切りにしたハーパーの説教だった。
「子守りご苦労様」
ソルティーの肩に手を乗せ、同情しながら須臾は笑う。
その手をソルティーは横目で不服そうに眺めてから払い除ける。
「お前にだけは言われたくない」
最早須臾の中には、雇い主を敬う気持ちは残っていないのかも知れない。――いや、元々そんな感情を持ち合わせてもいないだろう。
彼にはハーパーと同じに、自分に関わりのない者を蔑む所がある。ただいつも浮かべている笑みが、それを感じさせないようにしていた。
――賢すぎるのも考え物だ。
嗅ぎ回られているわけでもなく、見て見ぬふりをしてもらえている場合もあった。
此方としては下手に言い訳をする手間が省けて助かる話だが、一方ではこの微妙さが不安に感じる時があるのも事実。こうしてちょっとした話をしている時にさえ、何処か騙し合いをしている様な錯覚を感じるのだ。
「失礼だなぁ。僕の優しい気遣いを無碍にすると、後で恒河沙を嗾けるよ」
「あいつは犬か。……いや、そう言われると、確かに子犬だな」
ハーパーに正座で叱られている恒河沙の姿には、今にも伏せた耳と丸めた尻尾が生えそう見える。
ソルティーは鎧を外しながら、思わず笑ってしまいそうな光景を暫く楽しんだが、放っておけば半日はあのままだと、自らの経験で判っている。
「ハーパー、今回はそれ位で終わりにしてくれないか」
「主、躾とはこの様な時にこそ、確実に言い聞かせねばならぬのだ」
「それは止めるつもりはない」
「あぅ〜〜〜〜」
「ただ、店が閉まる前に食事だけでも終わらせておきたいんだ」
「飯っ!!」
「恒河沙!!」
「あうぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
思わず立ち上がろうとする体も、頭上からの渇に戻されてしまう。
「あーあ、残念。じゃあ恒河沙はここでハーパーとお留守番だね。僕とソルティーはたっぷりと美味しい物を食べてこようっと」
「そんなぁ〜〜〜〜〜〜〜」
強い者と金のある者には巻かれまくる須臾はさっさと見切りを付けるが、その隣ではソルティーが一瞬だけ目を細めた。
「ハーパー・ダブル、止めろ」
「主……御意」
「恒河沙、食事に行くぞ」
「え? ……良いの?」
「うむ。致し方あるまい、続きはお主が帰ってからゆっくりと致そう」
「うげぇ」
解放されても、それでは戻ってこれないと思いつつも、ソルティーの合図に恒河沙がベッドから飛び降りる。
「留守を頼む」
「御意」
食事の形態が異なるハーパーを残して、先にソルティーが部屋を出た。
「恒河沙、それ置いてけ」
「なんで〜〜」
須臾が指さしたのは、恒河沙がいつも通りに抱えた大剣。
「邪魔だから。それに、ほら、ソルティーも置いてってる」
次に須臾の指先が向かったのは、床に置かれたソルティーの荷物だった。そこには鎧に立て掛けるように、剣の一本が置かれていた。
各国特有の色が有るように、街にもそれぞれ特徴がある。中には旅人を受け入れない所もあり、その手への感覚がソルティーは妙に鋭く、慎重であった。
宿を探すまでに多くの人と擦れ違った。だがその中で鎧を纏っているのは、この国の兵士だけ。祭り目当てに旅をしてきた者も、護身用の剣位しか身に着けていない。
国からの圧政に苦しめられはすれども、治安は安定している証拠だろう。
竜族が居ようと居まいと、その中で物々しい姿で歩けば、嫌でも人の目に付いてしまう。
「だからお前も短剣だけにしなさいって」
「……あう」
注意されるだけならまだしも、雇い主自らが実践しては文句を言えるはずもない。もっとも同様のことを、今まで何度も繰り返しているのだが、相変わらず恒河沙は目先のことにしか頭が働かない。
現在はもちろん食事であり、その誘惑に勝てるはずもなく、恒河沙はさっさと大剣を床に置いて須臾と一緒に部屋を出た。
通りではハットタトで使用されるだろう資材搬入の荷車が行き来し、所々では木材の組立が既に行われていた。
宿で初めて聞いたのだが、十日間の祭りの前に前夜祭と称したササスだけの祭りもあるらしい。その前夜祭が二日間、そしてハットタトが十日、その後に後夜祭が一日。計十三日にも渡ってこの街は賑わい続けるのだ。
「元気なんだか、馬鹿なんだか」
須臾の呟きにはソルティーも同意見だった。
ササスには恒河沙が喜ぶ食べ物屋は多く、通りを歩いているだけで焼き物、煮物の匂いが服に染み込みそうだ。
その中でも一番賑わっていた店を恒河沙が選び、他二人はそれに従った。
「いらっしゃいー」
狭い入り口を通った途端、歯切れの良い中年の女性からの挨拶で迎えられた。
店内は入り口の狭さからは想像できない広さで、数え切れないテーブルと椅子が所狭しと並べられていた。
しかしその椅子総てに誰かが座っていて、とても三人が座れる余裕は無かった。
「どうする?」
どう見ても待たされそうな店の状況を見渡し、一番急を要している恒河沙に目を向ける。
「う〜ん、でもここが一番美味しそうな匂いがしてるんだよなぁ」
キュ〜と鳴るお腹を押さえ、顔は今にも泣きそうだ。
恒河沙が美味しいと言うなら、確実にこの店がササスで一番なのだろう。それは判っていても須臾の空腹感もかなりのものだった。
「仕方ない、他の店に行こう。ここにはまた今度くれば……」
「あんた達、何ぼーっと突っ立ってるんだい。さっさと座って注文しなよっ!」
先程の女性が太めの体を揺すりながら物凄い剣幕で近寄ると、入り口を占領していた三人に詰め寄った。
「だって座るにも椅子無いし……」
「ああ? あら、ほんとだよ。一寸待ってな」
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい