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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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episode.12


 世界には、理の循環とは異なる、もう一つの循環が存在する。人はそれを、“国”と呼ぶ。
 民無くして国は存在せず、国無くして民は存在を維持出来はしない。
 生き行く為に生産される数多の物。全ての者達が同じに富を得られるのであれば、戦など起きはしない。
 病める者と健やかなる者が存在すると同じに、生み出す者と奪う者が存在するのが、嘆かわしき事だが世界を回す。
 だからこそ、彼等はそこに生まれた。
 奪う者に対抗する剣と、力無き民を護る盾を携え、人の世の絶対者としてこの世界に君臨した。
 それが、王と呼ばれる者達であった。


 * * * *


 一年と言う月日は、それ程簡単に流れてはくれない。過ぎてみれば短かったと思う程度の月日でしかないが、その間は長く感じる筈だ。
 しかし一年は簡単に過ぎていた。
 奔霞で四人が出会ってからの一年は。


 眼前にはカラの首都ササスが見えていた。
 覇睦大陸入ってから八月、恒河沙達が旅に出てから既に一年を越える月日が流れていた。
 最初から無期限の依頼だったとは言え、まさかここまで長い旅になるとは考えていなかった。しかも未だに旅の目的が定かではない故に、何時終わるかが全く見えない。
「やっと着いたよ……」
 恒河沙ではなく、須臾が辟易した顔で呟くのも無理はない。
 紫翠と比較すると、リグスの越境はかなり厳しく、手続きも煩雑だった。
 何時攻め入られても攻め入ってもおかしくない国家間の対立から、国境の警備は厳重の一言では済まされない程だ。
 高く築き上げられた呪法の壁は、遙か彼方まで続き、許可証無くしては近付く事さえも許されない。
 たとえハーパーに翼が在ろうと、国を包み込んだ呪界を飛び越える事は、彼のみにしか使えない方法だった。
 オゥハンからここまで、地道に役人を買収して一度限りの越境許可証を取得してきた。勿論それは、発覚すれば罪人として追われる手段である。しかし普通の手続きで出されるのを待っていては、ここまで来る月日が五倍以上に膨れあがり、それ以上に確率が高いのが、許可証を手に入れられない事態だった。

 少なくともソルティーだけは。

 彼には何一つとして、自らの身分や出生を証明する物を持っていない。須臾や恒河沙の持つ紫翠発行の傭兵業を示す証書は、リグスでは役には立たないが、出生証は一応使用できた。
 ソルティーには、その最低限の証さえ無いのだ。
 直接彼に聞いた訳ではないが、彼とハーパーが話している声が偶然耳に入った。
 傭兵を雇う事に、少なくとも奔霞の傭兵を雇うには、肩書きは必要ない。特に幕巌に気に入られていた彼を、そう言う意味で疑いはしなかった。
 今にして思えば、もっと慎重さがあっても良かったのではないかと考えるが、それでも須臾はあえて無関心を決め込んだ。
 理由は簡単だ。恒河沙を医者に診せるのに、多大な金銭が飛んでいってしまったからである。
 そしてもう一つ。
――どうやらここが一つの山場になりそうだしね。
 ディゾウヌの語った通り、フィスにはソルティーの捜す剣は無かった。
 本気で占いなんかを信じているのか、ソルティーはろくに調べずに決断し、殆ど通りすぎるだけに終わらせた。
 だが確実にこの国にあるかも知れないと、不思議に感じさせるだけの確信的な表情を今の彼は浮かべている。
 剣を手に入れることだけがソルティーの旅の目的ではない。しかし恐らく、それが自分達にとっての目的となるだろう。ここで仕事が終わっても、紫翠に帰るまでに普通に行けば一年は掛かる。ソルティーが幕巌との約束を守るには、充分な期間と言えよう。
――あとは……あいつだけなんだけどなぁ。
 急に沸き上がってきた脱力感に眉間に皺を入れて見つめる先には、恒河沙がソルティーの腕を楽しげに引っ張っていた。
「なあ早く行こうよ。俺、腹減った」
「あ、ああ……」
 恒河沙に腕を引かれ、困った顔を浮かべ、しかし慣れた感じでソルティーはササスの街への一歩を踏みだした。
 ヤスンでちょっとした喧嘩をしてから、恒河沙は完全にソルティーに懐いてしまったようだ。それが信用でも信頼でもない、傭兵とは全く別個の感情なのからは、誰の目でも明らかだろう。
 これが大人の友人関係であるならまだ良いが、子供の友達感覚でしかないのだから、良くも悪くも雇い主に「お疲れ様」とも「甘やかすな」とも言いたくなる。
――でもあいつ、きっと泣くだろうな……。
 ソルティーが引き際をどれだけ綺麗にしようとも、きっとそれだけは免れない。
 須臾はその時が来るのを僅かに心待ちにしながら、二人の後を追った。





 ササスの街は、流石に王都だけあって賑やかな街だった。
 だが一方で、カラに入国して以来、初めて見られたまともな街でもあった。
 ディゾウヌの忠言通り、カラは王の圧制の酷い国だった。ここまでのどの街もどの村も、有無を言わさぬ領主の締め上げに、貧困を余儀なくされていた。
 但しその所為で、金を積む事で簡単に入国は出来たのだが、目に映る全てから目を逸らさなくてはならない時もあった。
「なあ、ここって何が美味しいのかなあ? ハーパーは知ってる?」
「お主なれば、何を食そうと同じではないか」
 街中に入ってから恒河沙が引っ付く相手は、ハーパーに変更された。
「ええ〜っ、でも、やっぱりその中でも一番美味しいの食いたいだろ」
「我に聞くな。人と我とは食が異なると、前に説明したであろう」
 腕にぶら下がっている恒河沙に、ほとほと困り切った顔でそう言うと、首を傾げられて余計に困る。
「……そうだっけ? んん〜しょうがないなぁ、んじゃソルティーは知ってる?」
 恒河沙がいつもよりも食事に拘るのは、ここに来る直前に立ち寄った町で、満足に食事が出来なかったからである。
「判らないな。私は此処へ来たことはないから」
「ぶ〜〜」
「まあ、諦めて何でも良いから先に詰め込めば? どうせ此処に居る間に恒河沙なら全部の種類を食べ尽くせると思うし」
 須臾の提案に、恒河沙を除く二人が深く頷く。
 旅を続けている間に、主従関係とは違うある種の投合が、四人の間で成立したと言っても良いだろう。
 ハーパーまでも無意識の内に、恒河沙と須臾のノリに併せだしている。その事実に彼自身が最も驚いているのだが、誰に対してでも真っ直ぐ単純に向き合う恒河沙という潤滑剤は、確かに否定できない存在になっていた。
「さあ、行こうではないか。時が時故に宿の心配もあろう」
「そうだな。先に宿を探して、それから食事にしよう。恒河沙もそれで良いだろ? 野宿したくなければ」
「……判ったよ」
「んじゃ、行きますか」
 まず元気よく須臾が恒河沙の腕を引きながら街の入り口へと向かい、その後ろにソルティーとハーパーが続いた。



 街は今、建国の祭りの準備に追われている。
 カラでは年に一度、ハットタトと呼ばれる国を挙げての盛大な祭りが執り行われる。ハットタトは十日間も続けられ、期間中は周辺の国からも人が集まる程だ。
 まだその日までに八日はあるのだが、既に宿にはその日を待ちわびる者の姿が見え始めていた。

「ひ〜〜、疲れたぁ〜〜」