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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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「彼女の依頼は私の暗殺。依頼料は彼女の命」
 ソルティーを見上げディゾウヌは言葉を失う。
 他の二人も呆気にとられ、なんとか事態を飲み込めたニューグラルが口を開けた。
「そんな馬鹿馬鹿しい話でどうにか出来ると、本気で思っているんですか?」
 その言葉にソルティーは内心自嘲する。
 馬鹿馬鹿しいと思っているのはソルティー自身なのだ。それでも他の考えが今直ぐ浮かばなかったのだから仕方ない。
「どうにかするのは私ではない。此方の仕事の優先順位を上げてくれさえすれば良い」
 それが当たり前の様にソルティーは語り、其処まで聞いて恒河沙もやっと話を飲み込めたのか何度も頷く。
 ただディゾウヌだけが納得出来なかった。
 ソルティーの話を承諾すれば、彼が自分の盾となってしまう。そんな事は絶対に彼女の口からは出す事は出来ない。
 しかし彼女が口を開く前に、ニューグラルが焦りを隠した声でソルティーに話かけた。
「暗殺者は僕だけじゃないんですよ、判ってます? もし僕がその都合の良い話を飲んだとしても、時間が掛かれば、僕以外の暗殺者が小母さんを殺しに来るだけです」
 それだけの力と恨みを自分の雇い主は持っていると言い、それに自分は逆らう立場ではないと言った。
「だからだ、暗殺者を同時に雇う事は出来ないだろ? 信用と自尊心の仕事だからな。そうなれば君はお払い箱になり、彼女を殺す必要がなくなる」
「その後はどうするんですか、僕以外の暗殺者は?」
「君が片手間にでも護れば良いだろ。彼女は人間だ、どれ程長生きでも残りの年数はたかが知れている」
 ソルティーに真顔で言い放たれ、流石にディゾウヌも目眩を感じ言葉も出ない。
「婆さんだとまだ百年は生きるんじゃないか?」
 と、恒河沙は思いっきり笑い飛ばし、ついついニューグラルもその意見に頷き、ディゾウヌはあまりの言われ方に状況も忘れ目を吊り上がらせた。
 ただ、ソルティーだけが真剣に話を続けようとした。
「こんな老女を殺す仕事が、君の能力を世間に知らしめる事に繋がるとも思えない。どちらかというと、仕事を選ばない無能者として思われるだろうな」
 途中ディゾウヌに足を踏まれるも、顔色一つ変えず話を進めるソルティーに、ニューグラルは自分の調子を崩されているのをひしひしと感じ、多少情けない展開となりつつある今に眉間に皺を寄せる。
「それは……そうかも知れませんが、一度引き受けた仕事を降りると言う事も、僕の仕事上良くないんですが」
「なら、どうして前の依頼から手を引いた。前金を貰っていなかったからと言って、依頼を放棄する事をしないのが暗殺者ではなかったのか?」
「それは……」
 見透かされていた事にニューグラルは口ごもる。本来なら、こうしてのんびりと話をしている事さえも有り得ない状況なのだ。
 彼とエミュール家しか知らない事だが、数が少ない暗殺者でも彼はお抱えに近い立場だった。だから彼には仕事を選ぶ権利は皆無に等しい。
 四年前の北側の者を殺したのもニューグラルの手で行われ、その時に覚悟は決めていた筈なのに、どうしてもディゾウヌ暗殺は躊躇われた。
「僕は暗殺者です。それも南側のね。誰だろうと依頼されれば殺すのが、それが僕の仕事なんですよ」
 冷静に、そして自分自身への確認のように声は吐き出された。
 そしてニューグラルは、隠し持っていた短剣へと静かに手を伸ばす。
「それが君の兄弟でもか?」
「兄弟……? 生憎そんな物は僕には居ませんよ。産まれてからこの方、僕を必要としてくれたのはエミュール様だけです」
 天涯孤独。ただそれだけではない周囲への憎しみが、彼の瞳には込められていた。
「必要? それは利用と言うんじゃないのか?」
「僕にとっては同じ事です」
「そうか、ならばこの人の思いは嘘という事か」
 柄のない短剣を握り締めた手が、戸惑いを見せるかのように止まる。
「彼女はそう言っていた。北も南もなく、この街の者全てが兄弟で、兄弟である君に仕事の大切さを教えた、だからこそ君の仕事を受け入れると」
 本来ならば彼女自身が伝えて然るべき言葉だが、ニューグラルから視線を逸らす彼女をみれば伝えるつもりもなかった言葉なのだろう。
 言えば必ず彼を後悔させる。自分を殺してしまった後になって、いつかその業に押し潰されるかも知れない。
「僕も…なんですか?」
 ディゾウヌの予感は当たっていた。
 ニューグラルにこれといった表情の変化は無かったが、その声は微かに震えていた。
 その声を聞いて、ディゾウヌは漸く意を決したように彼を真っ直ぐに見つめ返した。
「この街はあたし自身見たいなもんさね。だからこの街に産まれた子供はみんな、あたしの兄弟さね。でも、よくよく考えてみれば、あたしにそんな事を言える権利は無いし、あんたには迷惑な話かも知れないけどねぇ」
「でも……僕は、小母さんの……」
 何かを言おうとしたニューグラルの口をディゾウヌは近付いて塞ぎ、微笑んで首を振った。
「あれは悲しい事故だった、本当に事故だったんだよ。だからあんたはちっとも悪くなかったんだ。あれさえなければ、あんたは陽の下を歩けた筈なのに、ごめんよ。あの人の最後の言葉伝えられなくてごめんよ」
「最後の言葉…?」
「……無事で良かったって。あんたが助かって、本当に良かったって。最後まで本当に嬉しそうに言っていたんだ。……そう言ってたのに、あたしはあんたを捜し出せなかった」
 ディゾウヌがニューグラルに殺されても構わないと思っていたもう一つの理由。
 過去の戻り伝えられなかった言葉が重すぎて、自分が消える事で彼の気が楽になると信じていた。
「だからあたしはあんたに殺されても良いって思ってた。あんたにだけ。――けどね、この街でもう少し何かをしたいって、欲が出てきてしまったんだよ。あんたには辛い思いばかりさせているのに、どうしてこう年寄りって言うのは我が儘で、頑固なんだろうね。本当にごめんよ、許しては貰えないかも知れないけれど、本当にごめんよ」
 その言葉にニューグラルの瞳が揺らめき、泣くのを堪えるようにギュッと瞼を閉じる。そしてディゾウヌは彼の手を握り締め、再度謝るかのようにその手に額を合わせると、彼女の涙がその上に落ちた。
「どうして……、ハハ……酷いですよ小母さん、今更そんな事言うのは、本当に酷いですよ」
 ニューグラルは短剣をゆっくりとディゾウヌの首筋に当てた。
 誰にも止められないそれは、小刻みに震えていた。
「良いよ、ニューグラル。あたしなんぞの命であんたが楽になれるなら、この老いぼれの命はあんたにやるよ」
「………」
「だからお願いさね、あたしが死んだ後、必ず陽の下に戻ってきておくれ。あんたがもう一度この街の陽の下で暮らす事を、あの人が一番に望んでいたんだから」
「卑怯……ですよ……」
 心の底から苦しげに紡ぎ出された言葉。
 伝える方も伝えられた方も、もっと早くに在ればと願ってしまう今に、ニューグラルの短剣はディゾウヌの首を逸れて地面に落ちた。
「暖かい……な……、小母さんは、やっぱり暖かい」
 ニューグラルは今までとは違う心の通った言葉を呟き、ゆっくりとディゾウヌの手を放す。
「あんた……何を考えているんだい……」