刻の流狼第二部 覇睦大陸編
ディゾウヌの話の中で確実に理解できたのは、力を持つ者の苦悩だけだ。
彼女が甘んじて死を受け入れる業は、確かに彼女の苦悩を考えれば納得も出来る。だが全ては彼女一人の問題でもない。
「貴女達が築き上げてきたこの街は、まだ争いが続いているのに、それを見捨てて一人逃げるのですか? 自分のしてきた事が罪だと思うなら、貴女自身がそれを償う事をするのが本当ではないのですか! 死ぬ前に何か出来る事があると思って、いや、信じて生きなければ、死んだ者達は何を誇りにすれば良いのですか!」
「ソルティー……」
彼の言葉はディゾウヌに語られると同時に、全て彼自身に向けられていると感じた。
疑問も叱責も、全てが彼に。
その意味は判らない。判らないが、言葉の重みと同じ位の何かを背負っているのは感じられた。
恒河沙が自然と俯く中で、ソルティーはディゾウヌに教えたかった。
かつて過ちに悔やみ、後悔し続ける苦痛は、決して消える事は無いのだと。
「後悔しているなら、生きている今しか償う事は出来ない。死んでも罪は罪にしかならない。逃げ出した先に自分の居場所が在ると思うのは間違いだ」
拳を握り締め、最後は噛み締めるように吐き出した。
死んでいった者達の顔を思い浮かべ、その者達がしたかった事を思い出す。しかし、思い出されるのは身近に居た者達だけで、総てを理解してもいない。それでも、残された自分が出来る事は、記憶の中に居る者達だけでも忘れずに、生きなければならない事だと信じていた。
「殺される事は簡単です。だがそこから何が産まれるかを考えて欲しい。死んだ者達が帰らないなら、死に報いるよりも生に報いて欲しい。生きている者が彼等の代わりをするべきなんです」
成り代わる事は不可能だとしても、たった一つでも何かが出来るのであれば、残された少ない時間の中で、彼等が描いていた夢を現実の物としてやりたい。
――どうして、こんな自分に出来ない事を私が彼女に言っているのだ……。私にはそんな資格が無いのに、どうして……。
ディゾウヌに語る言葉は、自分が成し遂げてきた事ではなく、自分がしたくても出来なかった事だと判っていながら、口をつくのは希望的な言葉だけしかない。
――こんな言葉に何の意味があると言うんだ。
それでも、言葉が溢れる。判って欲しいと叫びそうになる。
それを堪えるように俯いた時に、肩に手が添えられた。
「恒河沙……」
「え…えっと……、よく判んないけど、ソルティーが正しいと思う」
見上げた恒河沙は考える風ではあったが、ハッキリと告げる。その真っ直ぐな姿勢に、ソルティーは自然と肩の力を抜いた。
――この子の影響か。
自分で答えを出す事も大事だが、時には人に頼り、そしてぶつかっていく事も大切だと、ハーパーの教えだけでは気付きもしなかった。それがなんだか妙に心を擽るようだ。
「……そうかも知れないね」
溜息の様な小さなディゾウヌの呟きに二人は顔を向けた。
「確かにあたしは、自分の業から逃げ出したかったのかも知れないね。仕方がない事だとばかり考えていたみたいさね」
憑き物が落ちた表情で語る彼女に、先刻まで見せていた決意は感じらない。その代わりに穏やかな笑みを浮かべる。
「あたしにもまだ出来る事があるのかね」
「ある」
夢物語に近い希望でソルティーは言葉にし、
「そんなのあるに決まってるじゃないか。婆さんは十年後、俺の素晴らしい成長を見なければならない」
絶対の自信で恒河沙は言い切る。
「そりゃ、今度は寿命が来てるよ。もっと早く伸ばしなね」
気にくわない言葉だが、それでもディゾウヌが始めの様に笑みを見せたので、恒河沙はそれに笑みで返した。
「ああ、それじゃあニューグラルの事はどうしようかね」
「ニューグラル?」
「あの暗殺者さね。困ったねぇ、仕事なのに……」
腕を組み、言葉通り困った表情を浮かべる彼女に、二人は別の意味で困った顔になる。
「なぁソルティー、あさんしちゃんって何?」
「……『人殺し、暗殺者(あんさつしゃ)』。此方では暗殺者(あさしん)と言う」
「ふむふむ」
「それで彼女は今、その暗殺者に命を狙われている」
「おー、なるほど! ……って、婆さん、自分の事心配しろよ!」
ソルティーが何故彼女に生きろと説得したか、やっと理解した恒河沙は、背負っていた大剣を外して自分の前に立てると、脱力したようにそれにもたれかかる。
「彼の事は此方でなんとかするよ」
「なんとかって、あんた達には関係のない事さね」
「ああ、関係ないが、これも何かの縁だろ?」
前にソルティーに自分が言った言葉を返され、ディゾウヌは呆れたと目を大きくしたが、何も言い返しはしなかった。
ソルティーはそれを彼女の承知と受け取ると、後ろの恒河沙ではない別の者の気配に向かって声を掛けた。
「と、言う訳だ。手を引いて貰えないか?」
「そんな無茶を簡単に言わないで下さいよ。暗殺者は信用が第一なんですよ」
外の壁に凭れて中の話を聞いていたニューグラルは、困惑顔を浮かべながら中に入ってきた。
先日と変わらぬ黒い装束に身を包み、軽い笑みを浮かべながら。
「わっ、猫! 猫猫猫!!」
ニューグラルの気配は恒河沙も気付いていたのか、彼の出現その物には驚く様子はなかった、別の事に驚いたらしい。
「猫ちゃん触って良い?!」
目を輝かした恒河沙は、聞いた時にはニューグラルに飛びかかっていた。
「うわっ止めろこのガキっ!!」
「この服邪魔〜〜。猫ちゃんはフカフカじゃないとダメなんだぞ〜〜」
「こら脱がすなっ!! 人の話を聞けっ!! って言うか、誰か止めて下さい!!!」
「――あ、済まない」
恒河沙の変貌ぶりには、流石にソルティーも呆気にとられてしまっていた。
「恒河沙、止めなさい。話が進まないだろ」
「ほぇ? ……あぅ、猫ちゃん〜〜」
椅子に座ったままでソルティーの手が恒河沙の首を掴み、強引に二人を引き離した。
ニューグラルは恒河沙に乱された衣服を整えながら、真剣な話をすべく必死になって目付きを変えていった。
「まったく、この前は素直に了承してくれたじゃないですか。それをこんな変なガキまで用意して」
「変じゃないぞ、恒河沙って言うんだぞ、猫ちゃん」
「猫ちゃん言うなっ!! ……ああもう、今回は前金も貰ってるんですよ。この世界、解約なんて都合の良い物なんかないし、おとなしく僕に殺されてくれませんか?」
「生憎とそれを見過ごす訳にはいかないんだ。彼女を低俗な私怨で死なす事は出来ない」
ソルティーは椅子から離れ、ニューグラルとディゾウヌの間に身を置き盾となる。
僅かにニューグラルから漏れ伝わる殺気に、自然と恒河沙の顔つきも変化を見せた。
「邪魔をするんですか?」
「勿論」
「なら、僕は邪魔者を排除しなければならない」
ニューグラルは恍惚とした表情を浮かべ、得物を物色する瞳を細めた。
余程自信があるのか、それとも単に人を殺す事が好きなのか、嬉しさを隠そうとしない彼にソルティーは嫌悪を感じる。
「そうだな、彼女を殺したいのなら私を排除してからにしろ」
「自信家ですね。でも、そう言うの好きですよ」
素直に喜べない言葉を最後に、彼の姿は消えた。
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい