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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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episode.11


 人の心の暗黒部分は、言葉通り人様々なのだろう。
 卑しさであり、醜さであり、弱さでもある。その様々な心の暗闇に、極希な事だが光が射す事もある。大抵は子供の頃に受けた喜びと楽しさが要因となる筈だ。
 その因子は大人になり、そして歳を重ねても、忘却の縁の片隅に必ず存在している。
 何かのきっかけで思い出すかも知れない。死ぬ瞬間まで忘れたままかも知れない。
 しかし、必ずそれは心の奥底で眠っているだろう。
 喩え、その手が二度と落ちない血で汚れていても、光はその身に隠れている。


 * * * *


 恒河沙の医者巡りがひとまずは解決したと、須臾によって告げられたのは昨夜だった。
 ディゾウヌの占いを信じカラまでの路程を地図に書き込んでいたが、昼近くになっても何時この街を出るのか決められずにいた。
 ベッドに腰掛け、徒に時間だけを浪費していると判っている。
――私が行って何になる。彼女自身が決めた事ではないか。助けてどうなる、偽善者にでもなるつもりなのか。
 考えれば考えるほど苛立ちが増して行くばかりで、それでも考える事はディゾウヌの事だけだった。
 しかも何故これ程までに彼女の事が気に掛かるのかさえ、悩みの一つとなっていた。
――リーヴァルに死ねと言って置きながら、ディゾウヌにはそれが出来ないのか? 女性だからか? いや、そうではない。――では何なんだ?
 自問自答を繰り返し、ディゾウヌを救おうと考える自分自身の心を知りたいと思う。
 見過ごすのは簡単だ。通りすがりに出会っただけの老婆に、ここまで固執する理由が見つからないのが気になるだけだ。
 それさえ判ればこの苛立ちもなくなると信じている。
――私に留まっている暇は無い筈だ。二人とも納得しての事だ、私には関係がない。助けてどうなる? 暗殺者を退けたいと彼女は望んではいない。私に人の業を背負う資格など無いだろう。
 そう考えても、最後には、しかし、と付け加えてしまう。
 ディゾウヌの言葉の総てが、ソルティーには否定出来ない重みがあった。それ故に彼女の望んだ死を受け入れなくてはならない。第三者である自分の立場は、介入してならない立場だ。
――何を私は望んでいるのだ? 彼女の死までの時間を長引かせる事か? 今の自分がそうだから。違う、そんな簡単な事では無い。……いや、簡単な事なのか?
 問題なのはソルティー自身の心。
 時間を掛けて考えを纏めようとしても、判らないのは自分自身。
「ちくしょう!」
 理解できない自分への苛立ちが頂点に達した時、思わず口をついた声は大きくなっていた。
「あ…主……?」
 急に立ち上がった事ではなく、汚い言葉遣いに驚いてハーパーは目を見開いてソルティーを見た。
「……ああ、済まない、驚かせたな。考えが纏まらなくてつい。少し浴室で頭を冷やしてくる」
 何があったのかハーパーは知らされていないが、一昨日戻ってきてからのソルティーには、それまでの殺伐とした雰囲気は拭われていた。その代わりに、今の様な状態がずっと続いている。
 どちらかと言えば、今の方がどう接して良いのか判らない状態で、ずっとソルティーの動作一つ一つに驚かされるばかりだった。


――何がしたい? 何が知りたい? 何を望んでいる?
 浴槽に水を溜めながら、揺れる水面に向かい自分の心を問いただす。
 考えている間に確実に約束の夜は迫っている。
 すずれる程溜められた水を見つめ、そこに映し出された自分の姿を睨むように見下ろした。
――彼女の何を知りたい? 違う、何かを私は避けている。
 水面の揺れが静になっていくと、そこに浮かんだ顔が、己の弱さをそのままの形を表していく。
 見たくないと思ったのか、それともあまりにも悩みが重かったのか、まるで崩れ落ちる様に、服のまま頭から浴槽の水の中へ身を沈めた。
 水中独特の音の世界。
 蠢く様な水の流れの中、自分の鼓動だけがはっきりと耳に届き、他の音は聞こえない。静かな世界で、ソルティーは微かな感触を思い出そうとした。
――死への道を自ら選んだ私と似ているから、彼女を私自身と重ね合わせ、その末路を変えたいからなのか?
 だから助けたいのか、ともう一度聞いてみる。
――違う。彼女と私は違う。同じ人が存在しないのと同様に、同じ道など有り得ない事は、私が一番知っている筈だ。なら何故だ?
 鼓動すら耳に届かぬ程の、絶えず流れる込む疑問と懐疑。
 擬似的な仮説を何度も組み替え、重ね合わせ、辿り着くのは推測の枠を出ない、真実の存在しない答え。

 ならば、何処までが真実と言えるのだろうか。

――そうだ、私は知りたいだけだ。彼女の業を、死への対価を。
 リーヴァルが問いかけた命の価値。それに価値など無いと告げた自分。
 今でもその考えは変わっていないが、死の価値は有ったと感じた。少なくとも死出へと赴いた彼の死には、徒に失われる命を救うだけの価値が在ったのだ。
 そして間もなく、一つの命が何かに対して支払われようとしている。だが果たしてそれは、等価と言えるものだろうか。
 事の起こりを知らずに、答えだけを導きだそうとしていた自分が愚かだと知った。
「そうだ、理由を知りたいだけだ。人の死がどれだけ重いモノなのかを、私は知りたい」
 浴槽から頭を出し、濡れて張り付いた髪を掻き上げる。その顔つきは、先ほどまでとは違い、迷いを打ち払った感が見受けられた。
 ディゾウヌの本心を見極めたかった。
 無理からに奪われる命が、意味のない理由であってはならない。死を彼女が望んでいようとも、死によってのみ清算される事が全てではない。老いも若きも関係なく、刻が訪れると同時に理によって奪われる命だからこそ、しっかりと見届け、前へと踏み出せない自分への戒めとしたい。
――愚行かも知れない。人と関わる事を避けなければならない筈なのに、断ち切れない心の弱さだ。でも、私は人間だ。人間である限り、僅かでも逆らって生きてみたい。
 勝手な気持ちだったが、蟠りを消せずにいるよりは、幾らかの成果は得られる筈だとこの場の答えを得ると、ソルティーは濡れた服を着替える為に浴室から出た。
「ハーパー、人に会ってくる。帰りは遅くなる」
 適当に髪の水気を拭き取り、洗い替えのシャツに袖を通しながらソルティーそう言った。
「何処へ赴くのだ」
「剣の事を教えてくれた人の所だ」
「我も……」
「駄目だ。あの小屋はお前が行ける場所に建っていない。もう少しお前の体が小さければ連れて行くのだが、今回は我慢してくれ」
 冗談を言うような笑みを見せ、帯剣を済ませたソルティーは慌ただしく部屋から出ていった。
「まあ、顔付きが戻られただけでも良しとするべきか」
 心配は尽きないが、ソルティーが出た後、隣部屋の扉の閉まる音に、ひとまず安心をしてみる事にした。





「何処まで着いてくるつもりだ?」
 ソルティーは少しだけ間を開けて、しかし堂々とつけてくる恒河沙に声だけを掛ける。
「ソルティーの行くとこ」
 足の長さから小走りで追いかけているが、無理に引き離される速度ではない。
「どうして?」
「ハーパーに依頼された、ソルティーを護れって。俺がソルティーの代わりになって剣を使う」
「須臾は?」