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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 普通ならば須臾が怒鳴って力ずくで奪うまでする所だが、恒河沙は一度だけゼラドンを見てから、観念したように眼帯の結び目に手を掛けた。
――ソルティーにも見せてないのに……。
 そんな愚痴を思い浮かべながら眼帯を外すと、須臾の右手が顎を固定し左手で前髪を上に掻き上げた。ゼラドンによく見えるように。
「起きた時に、こいつの右目が……無くなってたんです……」
「須臾……」
 僅かでも動かせないように固定されては、須臾を見る事も出来ない。それでも彼の手は小刻みに震え、声は苦しそうに吐き出されていた。
 昔は両目があった事は聞かされて知っていた。けれど今までなんの不都合も感じなかったし、何よりこの薄気味悪い目が二つ無くて良かったとさえ思っている。だが須臾の方はそうではなかったのだろう。
 声には彼が自分自身を責める気持ちさえも込められ、この四年間の苦悩を今にして思い知らされた。
「無くなっていた……。少し調べても良いかな?」
「う……うん」
「ありがとう」
 ゼラドンは怯えさせないように指先をゆっくりと恒河沙に近寄らせ、眼球の失われた瞼にそっと触れさせた。


 そこにはまるで囚人の刻印の様な、黒い呪紋が刻まれていた。


「今日の他の予約患者さんには申し訳ないが、全員断ってきてくれないか」
「先生……、はい、判りました。叱られるだけのお手当ては頂きますからね」
「承知しました。じゃあ頼む」
 ゼラドンは恒河沙の右目の触診を終えた後、徐に立ち上がると診察室の外に控えていた助手と話をしてから、神妙な面持ちで戻ってきた。
「先生、えっと……」
「ああ、ええっと、なんて言うか、悪くはないんです。ただ時間が掛かるかも知れないからね」
「時間が掛かるって、もしかして何度も通院しなくちゃなんないとか?」
 それは困ると立ち上がり掛けた恒河沙に、ゼラドンは首を横に振った。
「そう言う患者さんも居るけれど、きっと君はそうじゃない。とにかく、まずは君の右目の事について話をしよう」
「……うん」
「何か判りましたか?」
 須臾はかなりの期待を込めて聞いたが、返す方は悩む様子を見せた。
「まず、最初に聞いて欲しいのは、その右目に刻まれた呪紋は、人の扱える類の魔法によって刻まれたものではないと言う事です。勿論、呪紋が自然発生する筈はなく、君達の知らない誰かによって刻まれた事には間違いはないでしょう」
「それは……だったら誰が……」
 須臾の声音が震えていたのは、ゼラドンの話が期待はずれだったからではなく、何か別の答えを探るように響いた。
「誰かは私にも判りません。しかしそれは、間違いなく四大精霊とは別の呪文です」
「え……」
「そして命官でもない。残される可能性は樹霊と冥神となりますが、あいにくこのどちらもが現在では扱える者は皆無に等しい」
「……そんな……嘘だろ……」
「須臾? どうしたんだ、須臾」
 彼の狼狽は、恒河沙も初めて見る程だった。
 しかし声を掛けられてハッとした彼は、慌ててそれを振り払った。
「なんでもない。なんでもないよ、ただちょっと期待していただけにさ」
「すみません…」
「あ、いや、違います。今までを考えたら、先生のお話は凄い前進です。本当にそう思ってます」
「そうですか? ――そう言って頂けるなら、助かります」
 ゼラドンにしても、不安材料は数え切れない程あるのだろう。
 まだ扱いやすい四大精霊ではなく、契約を結ぶだけで命を落としかねない命官との契約を果たす程の力がある彼でも、未知の領域を前にすれば、思わず危機感を感じてしまう程に。
「しかしです、その右目に刻まれた呪文が、元凶とはまだ言い切れません」
 そう言ってからゼラドンは、何かを考え込むように深く目を瞑った。そして次に目を開けた時には、何かを決意した顔つきになっていた。
「少し覗いて見ましょうか。何か判るかも知れませんし」
「覗く?」
 不思議な表現に二人揃って首を傾げると、ゼラドンは恒河沙の胸の辺りを指さした。
「深層心理にその時のきっかけが、僅かでも残っているかも知れない。多少危険を伴いますが、私に出来る治療はそれしか思いつかないんです」
「危険って、どんな危険なんです?」
「人の心を覗くんです、反発を起こす可能性も充分にある。それが深ければ深い程、異物を排除しようとする心が動きます。まあこの場合、危険なのは私一人ですが」
 ゼラドンは微笑み、安心させようとする気持ちが伺えるこの言葉に、二人は真剣に考えた。
 危険を伴う治療を受けるのか、それとも諦めるか。
「どうします? よく考えてから決断をした方が良い」
「恒河沙、どうする?」
 須臾とゼラドンを交互に見ながら、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうになる。
 記憶を本当に取り戻したいとは思い浮かばない。けど、気になる部分も確かにある。
「なあ、覗いてなんか見つかったりしたら、直ぐに記憶が戻るのか?」
「それは答えられない。私が出来る事は、それと判るきっかけを捜す事だけで、それが上手く符号を果たせば、君の記憶は戻るかも知れない。しかしそれは、結局君自身の問題で、私はその手助けしか出来ないんだよ」
 最終的に決めるのは自分自身だと言われ、本当に心底悩んでしまった。
 思わず須臾を見上げても、任せると言わんばかりの微笑みを浮かべるだけだ。そしてゼラドンを見ても、同じだった。
――……ソルティーなら、どう言うだろ……。
 なんとなく彼なら背中を押してくれそうに思え、彼が言ってくれそうな言葉を探した。しかし思い浮かんだのは、『もう何時辞めて貰っても構わない』と言われた事だった。
――あうぅ……。
 無意識にジワッと涙が浮かび、握り締めていた眼帯でそれを拭った。
「……やる。してみる」
 ソルティーの事は絶対に忘れたくもないし、記憶もこのままの方が良いに決まっている。しかしもし昔の自分に戻ったら、再び彼が自分を以前のように見てくれるかも知れない。
 恒河沙がしたのは、そんな決断だった。
「それでは、其処のベッドに横になって」
 言われたとおり部屋の横に置かれたベッドに仰向けに寝転がると、どうしようもない不安だけが沸き上がってくる。
「目を閉じて、気を楽に」
 目を閉じると真っ暗な中に、ソルティーの顔だけが浮かんでくる。
――今日も何も話せなかったな。……最後があんなの、やだよ……。
 恒河沙の手にゼラドンの手が重ねられる。
 暫くするとゆっくりとした眠りの縁が見え始め、それは深く恒河沙を引きずり込んでいった。





「多重人格と言うのを知っていますか?」
 眠ったままの恒河沙を見下ろしながら、ゼラドンはこう須臾に切り出した。
「人と言う者は、幾つもの人格を有しています。喜怒哀楽それぞれに見せる違った顔も、重なりあった人格が一つの自我の中に現れるのだと私は考えています。希に、その人格一つ一つに自我が産まれる人が居る。この彼の様に」
 あくまでも仮定の説明だと言いつつ、ゼラドンの話は明確さを感じさせた。