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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 そう言って丁寧なお辞儀をしたのは、瑞姫だった。
「礼を言うのはあたしさね。昔馴染みの事を知れたのはあんたのお陰だよ。感謝するよ」
「……ごめんなさい、あたしの勝手な頼みを聞いて貰ったのに、なんの力にもなってあげられない。本当にごめんなさい」
 暗殺者との話を聞いていたのか、瑞姫は耐えきれなかったように涙を流し、何度も「ごめんなさい」と繰り返した。
 俯いて涙を流す彼女をディゾウヌは優しく抱きしめ、子供をあやすようにその背中を撫でる。その手が優しければ優しいほど、何も出来ない事に瑞姫は泣き続け、謝る言葉すら嗚咽に紛れた。
「あんたは何にも悪くないよ。あんたは一生懸命しているじゃないかね。あたしには判っているよ、あんたが何時も苦しんでいるのを、何時も此処の人達の為に泣いているのを、よおく判ってる。だから、あたしの前だけでは笑顔で居てくれないかね? お願いだからさ、ね?」
「…ディゾ……ヌ」
「ほら、涙を拭いて、可愛い顔が台無しさね」
 取り出したハンカチで瑞姫の涙を拭い、返される笑みを待つ。
「ほんと、何時まで経っても泣き虫だね。あたしに何時までこの役をやらしとく気さね」
 呆れながらも、彼女と出会った頃を思い出す。
 ずっと昔、ディゾウヌがまだ今の瑞姫と同じくらいに若かった時の話だ。
 初めて会った時も、泣いていた彼女の涙を拭ってあげた。その古い記憶と、今の彼女に寸分の変化もない。
 成長ではなく、時その物が止まってしまった瑞姫。老いも病もない彼女には、死すら無いのかも知れない。
 それがどうしようもなく羨ましくも嫉ましくも思える時期もあった。だが今では、それは途轍もなく苦しい事なのだと気が付いた。
 残す者と残される者、どちらが辛いのか。
 それが人の寿命の内なら、まだ同じ位だと言う事もできるだろうが、誰よりも他人を大事にする彼女を知れば知る程、永久の時は永久の牢獄のような気がしてならない。
 人が産まれ、そして死んでいく様を、彼女は幾度となく繰り返し繰り返し見つめ続ける。永久に枯れない涙を流し続けながら。
 もうすぐ終わろうとするディゾウヌにとっては長かった人生の中でも、その苦痛を取り除いてやれる術だけが、どうしても考えつかなかった。
 だから彼女の為に唯一してあげられる涙を拭う事を、心からの労りの気持ちで続けていた。
 ただ、もうこれが最後かと思うと、それだけは悲しいと感じた。
「瑞姫、しっかりしないと駄目だよ。あんたも見たと思うけど、彼はあんたの事を恨んでなんかいない。だから彼がする事を、あんたはその目でちゃんと見つめておやりよ。泣いてる暇なんかないよ、これからあんたはもっと辛いことを見るんだから、今から泣いては駄目。女の涙は最後の切り札さね、こんな所で見せたら勿体ないさね」
「……うん」
「そう、それでいい。さあ、笑って、それで胸を張って前を見続けなさい」
「はい」
 残酷な時間の流れを感じさせる老いを持つディゾウヌの言葉を、瑞姫は真摯に受け止めた。
 姿も気持ちも何も変わらない自分達を嫌う者は多い。それでも僅かだが、彼女の様に理解してくれる者も確かに存在する。その者達に支えられているからこそ、瑞姫はこの世界を護りたかった。
 そして、理解してくれる者の死が、何より辛いのだと思う。





 人を治療する医者の種類は、大まかに分けて二つある。
 薬草を中心とした医療を施す煎薬師とも呼ばれる者と、精霊魔法を使い治療する医術師だ。
 その医術師の居る治療院の一室で、恒河沙は椅子に座っていた。
「朝起きたらそれまでの記憶が無かった? ほう……それは珍しい」
 予約して更に待たされた挙げ句、人を珍しいと言ってのけた医術師を、恒河沙は思いっきり睨み付けた。
「そうなんです。いろんな医者に見せたけど、さっぱり治らなくて」
 恒河沙の後ろに立ち、何時でも逃げ出すつもりの彼を押さえつけて、一通りの説明は須臾がした。
 これまでに何度同じ説明を口にしただろう。
 少なくとも恒河沙は聞き飽きていた。
 ただこのゼラドンと言う名の医術師が、今までの医術師と違っていたのは、恒河沙の目を見ても、僅かでも顔つきを変えなかった事だろう。まだ三十代か、四十代前半と思われる年齢を考えても、年齢よりも多くの経験を積んでいるかも知れない。
「いや、突発性の健忘症の事例は幾つか知っています。が、そう言うモノは大抵自然に治るか、何かきっかけがあると総てを思い出したりするんですよ」
「もう三年、いえ、四年近く戻らないんです」
「恒河沙…君だったね、最初に目が覚めた時から今まで、何か一つでも思い出した事とか、心に違和感とかを感じた事は無いかな? 疑ってる訳じゃないんだよ、何かほんの少しでも覚えていた事はなかった? 人の名前とかとか、場所とか?」
「何にも覚えてないからここに来たんだよ」
 腹を立てたまま素っ気なく言う恒河沙に、ゼラドンは諦め顔で肩を落とし、話の相手を須臾に切り替える。
「前日彼に何か有ったか判りますか?」
「何も無かったんです。僕がずっと側に居たから判ります。事故とか転けたとかで頭を打った事もなかったし」
「そうですか……」
 机を指先で叩きながら、ゼラドンは少しだけ考える仕草を見せた。
「……ただ」
「ん?」
 何かを言いかけた須臾だったが、思い悩むように黙り込む。
「何か一つでも、それがどんな事でも構いません、あるのでしたら聞かせて下さい。私達医師は、患者さんやそのご家族が協力してくれなければ、何の役にも立たない存在なんです」
 情けないと言わんばかりの台詞を耳にした須臾も恒河沙も、目を丸くする程驚いた。
 肉体ではなく心の傷を癒す術を持つのは、命を司る神クシャスラしか存在しない。そのクシャスラ率いる命官が司る地域は紫翠である。しかし他の精霊と違い、命官は高位に属する故に、それを扱える医術師の数が少なかった。
 覇睦は覇睦で、紫翠よりも術技的には発達していようとも、命官の支配地域が存在しない為に、絶対数が乏しい。
 そして何より、数か少ない事が禍してか、ただでさえも高慢になりがちな術者が、更にぶん殴りたくなるような性格になる者が大多数を占めていた。結局は今までの医術師達も、途中でカチンと来る言い種や態度を示した所為で、恒河沙が飛び出してしまったのが大半だった。
 もっとも須臾にしても、恒河沙を貶めるような発言をするような相手を信用するはずもなく、中途半端な診療ばかりを繰り返していたのだ。
「心の治療は、体の怪我とは違います。見ただけでは何も判らないんです。貴方達が見て感じた事で、その理由が分からない事があれば教えて下さい。そして三人で考えましょう」
「……なんか、お前、医者じゃねぇみたい」
「おい恒河沙!」
「いえ、良いんです。親からも良く言われてますから」
 陽気に笑うゼラドンは、内心では須臾も恒河沙と同意見だった。
 しかし彼を信じなくて誰を信じろと言えるだろう。
「どうしますか?」
「あ、はい」
 腹は決まったと言いたげな須臾は、ゼラドンから恒河沙へと顔の向きを変えた。
「恒河沙、眼帯取れ」
「えぇ〜〜〜……やだ」
「取・れ」
「あぅぅ……」