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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 死にに行った訳ではないが、端雅梛と香遠は死地に赴いたのには変わりはない。その事までディゾウヌは覗いてしまったのかだろうか。もし気付いていなければ、気付かせない為にソルティーは二人の事を心から捨て去る事に決めた。
――優しさ? 違うな、他人の悲しみを押し付けられたくないだけだ。
 自らの考えに笑み、総ての煩わしい思考を払い除ける。
 ディゾウヌは集中しているのか、時折色の抜け落ちた眉を寄せ、規則正しい呼吸を繰り返した。
 沈黙は暫く続いた。ただ何もせず待っているのに飽きだした時、ソルティーは背後に立った人の気配に気が付いた。
 音もなく忍び寄ってきた者が自分に用が在るのではないと判るのは、その者の意識がディゾウヌにだけ向いているからだ。
「……何の用だい? あたしは今仕事中だよ」
 ディゾウヌも気付いていたのだろう。体を動かす事もなく、そう言い放つ。
「だからこうして待っているではないですか」
 隠していた気配を現し、彼は溜息混じりにそう言った。
「すいませんねぇ、邪魔をして」
 後ろからソルティーの横まで来ると、彼は低姿勢に言葉を並べるが、決して目だけは笑っていない。
 猫科の獣人を思わせる容姿だが、以前出会った砂綬達よりも人に近い。
 痩躯は黒い体毛に覆われ、それを同じ黒い装束で隠し、紫がかった濃紺の瞳すら黒く見える。
「気が散るよ」
「はいはい、すいませんでした」
 ちらりとソルティーに悪びれる事のない仕草で舌を出すと、彼は一端ソルティーの後ろにまで下がり、またディゾウヌにだけ視線を移した。
 どうやら帰る気はないらしく、ディゾウヌの仕事が終わるのを待っている。

「……ふぅ」
 軽い息と共に、長く閉じられていた目を開ける。
「やっと終わりましたか」
「あんたに用はないよ」
 喜び近寄ってくる彼にディゾウヌは片手を振り、しっしと遠ざける。
「そう言わないで下さいよ小母さん。これでも僕は忙しい身でして、これから仕事に行かなくてはならないんですよ。おとなしく待っていたんですから、先に僕の話を聞いて下さいよ」
 諦め悪くディゾウヌに言い寄り、彼はお情けをくれと懇願した。
「……まあ良いさね。何なんだい、まああんたの話だ、どうせ知れた事だがね」
「はい、その通りです。明後日の夜、小母さんの命を頂に参ります」
 丁寧な殺害予告にもディゾウヌは顔色は変えない。
「これで二度目だね。今度の依頼人は誰だい? って、聞いても教えられない事だったね」
「勿論ですよ。でも、もう判っていらっしゃるでしょう? その人で当たりです。良いですか、明後日の夜ですよ、それまでに心残りは全部捨てて下さいね。じゃあ僕は仕事に行って来ます」
「ああ行っておいで。出来ればそこで失敗しな」
「またまた、冗談を言わないで下さいよ」
 冗談としか思えない言葉を日常会話の様にさらりと交わし、彼は小屋から出てディゾウヌは何も無かった様にソルティーに笑みを見せた。
「彼は何者だ?」
「ただの暗殺者(あさしん)さね。前は依頼人が直前で死んだから、予告されるのは二度目だがね」
 それが当たり前の様に語り、殺される事に対しての恐怖を彼女は感じていなかった。
 いや、寧ろそれを楽しんでいる様にも見えた。
「まあ、予告されるだけましってもんだね。この歳になっても急に死ぬのは嫌だからね」
「顔見知りみたいだが」
「知ってるさね、知りすぎかも知れないがね。此処で育った子供は、みんなあたしの兄弟さ」
「それがこの仕打ちなのか?」
「業は業だね。あたしがこの仕事をしているのも、あいつが暗殺者なんぞに足を入れたのも、総ては互いの、自分自身の道。何があっても仕事を全うする、それを教えたのはあたし自身さね。今更後悔をするつもりもない事だからね、自分の蒔いた業はあたし自身が刈り取るだけさ」
「………」
「元を正せば、あたしが人の繋がりに踏み込んだのが間違いさね。――あんたも他人の業まで知る必要はないだろ。さあ、あたしの最後の仕事を聞き届けなね」
 何気なく彼女の話を聞いていると、歳を重ねる事とはこういう事なのかと思う。
 リーヴァルといい、このディゾウヌといい、何もかもをし尽くしてきた顔をし、自分の死期ですら自分で決めてしまう。
 それは羨ましくも、悲しい事だと感じた。
――今の私では及ばない考えだ。
 死と隣り合わせでありながら、未だにそれを受け入れられない自分が小さく思えて仕方なかった。しかしそんな感傷に浸る猶予を、彼女自身が与えない。
「あんたは何処まで調べているんだい?」
「フィスまでだ。後は着いてから調べるつもりだった」
「それは得策じゃないね。良かったよ、それを知らせる事が出来て。剣はフィスにはないね、今はカラに在るよ」
「カラ?」
「フィスの隣だよ。あまり誉められた国ではないね、王の圧制が続いているから。厄介なのが、今その剣が在るのはその王城さね」
「王城か……」
 思ったよりも困難な場所にソルティーは目を細めた。
「国って言うのは厄介なもんさね。ころころ換わっちまって、伝えられる物さえも壊していく癖に、形ばかりの伝統を造りたがる。あんたの剣はそう言うのにされちまってる様だね。とても簡単には返しては貰えそうにないだろうさ」
「確かにそうだろうな。しかし返して貰う」
 それが当然の権利だと言うと、微かに驚いた視線が向けられた。
「あたしの言葉を信じるのかい? 自分で言うのも何だけどね、占いなんて半分半分だよ。当たるのも外れるのも、聞く人次第さね。疑って見るのも一つだよ」
「ああ、取り敢えず情報として信じてから疑う事にする。出来れば占いが当たってくれた方が楽になるし」
 ソルティーの正直な言葉に、ディゾウヌは楽しそうに微笑んだ。
 教えた事は少なくとも自分の見た真実だが、彼を試したいと思って最後を付け足した。その返答が満足のいく物だったのだ。
「何時此処を発つのかね?」
「さあ、今、連れが医者に行っているから、それが済めば出るつもりだが……」
 もしかすると、これから宿に帰ったらその必要が無くなっているかも知れない、と思うと自然と気が重くなる。
 自分の蒔いた種は自分で刈り取らねばならない。彼女の言うように、どのような結果も真っ直ぐに向き合わねばならない。しかし恒河沙の気持ちを考えれば、どうしようもなく後ろめたさ先になってしまう。
「人の縁は大事にしなくてはならないよ。今は判らなくても、その内きっと判る日が来るからね。その時になって初めて、良かったのか悪かったのか気付いても、過去は変えられないからね。あたしとリーヴァルがそうだったように」
 触れてもいない彼女の見通した言葉は、まるで心に降り積もるようだった。
「さあ、あたしの礼はこれで終わりさね。無理に付き合わせて悪かったね、もし何か他に聞きたい事があったら、あたしが死ぬまでの間なら何時でも此処においで。なんでも調べてあげるよ」
「ああ」


 言葉少なに小屋を出るソルティーを見送り、ディゾウヌはやっと一息をついた。
 ずっと緊張していた気持ちを解き放ち、小屋の中に戻り、先刻までは居なかった人影に笑みを見せた。
「これで良かったのかね?」
「うん。ありがとう、目を貸してくれて」