刻の流狼第二部 覇睦大陸編
必ず勝って、自分が必要なんだと思い知らしめてやりたい。
「んじゃ、初めましょっか」
「ああ」
ソルティーは恒河沙とは逆に力を抜いた体制で、相手の動きだけに集中する。
出来損ないの目を当てに出来ないから、態とそれから目を反らし、肌に感じる気配だけをソルティーは見た。
仕掛けたのは恒河沙が先。
力押しと、剣の大きさから推測される重みを感じさせない切り込みの早さが武器の恒河沙が、一息でケリをつけるつもりなのか、一気にソルティーに駆け寄りその大剣を逆袈裟に振り上げた。
「……っ…! …えっ?」
剣と剣が一瞬触れたと思った時、風に押し流された感覚と共に、大剣は上に跳ね上がってしまった。
「くっ」
思わぬ体制の崩れ。
慌てて片足だけで体勢を整え、一端後ろへと退路を決める。だがそれよりも半歩早くソルティーが踏み込み、水平に剣を突き出した。
顔面目がけてくる迫る剣先を大剣で遮り流そうとしたが、剣が触れ合う事はなく、瞬時に右から左へと持ち替えられた剣が、今度は横合いから襲ってきた。
「ッ!」
喉の高さで迫る剣を身を屈める事で避け、片手で振り上げた大剣で今度こそ剣を壊すつもりで弾こうとした。しかしやはり今度も金属音は聞こえず、代わりにグッと肩に圧力が掛かった。
当たれば無事では済まない恒河沙の大剣も、ソルティーからしてみれば狙いやすい的にしかならず、振り上げられた大剣は格好の標的だった。剣を使うまでもなく、蹴り一つで片が付くような。
綺麗に伸ばした片足の方向に、大剣がその重みに比例した音を立てて落ちる。
恒河沙は肩と手首に痛みを感じたが、それを気にするよりも先に体が自然と落とされた大剣の方へと向かおうとした。
しかし眼前に飛び込んできたのはソルティーの剣だった。
行く手を阻むように上から降りてきた剣は、恒河沙の前髪を僅かに切り落とし、地面に突き刺さる。
「……ソル……」
思わず見上げてしまったその瞬間、恒河沙の背に今まで感じた事のない冷たい何かが走った。
凍り付いた眼差しと、口元には酷薄な笑み。
自分の目に映し出された光景が信じられない恒河沙は、まるで魅入られたように動けなくなった。
「避けるのだっ!!」
「えっ、わっ!!」
ハーパーの声に弾かれるように咄嗟に体を捩れば、丁度胸の辺りにソルティーは剣を突き立てていた。
――なん……で……。
とても信じられはしない状況だ。
だが紛れもない現実に、恒河沙は急いで大剣の元へと走り、柄を掴んだ。
「主っ!!」
またもやハーパーの声が危険を知らせるが、それは手遅れに終わった。
柄を握り締めた恒河沙の手を踏み締める足。
冷たい鋼の感触が、ピタリと首筋に添えられる。
「――」
「……あ…」
喉元で止められた剣の冷たさに気が付き、剣の持ち主が自分を上から見下ろしているのに気付いた。
その後になってから、「終わりだ」と呟かれた事を知る。
「負け…」
呆気ない終わりと言えばそうだろう。
殆ど討ち合いらしい討ち合いもせずに、所用した時間さえも僅かなはずだ。だがそんな事よりも、ソルティーが垣間見せたあの姿の方が気に掛かる。
「立て」
剣を鞘に戻しながらそう言う彼は、苛立ってはいるようだが、あの冷たいだけの彼ではなかった。
「……うん」
優しさと言うよりは礼儀で差し出された手は使わず、恒河沙は微かに痛む肩を庇いながら立ち上がり、自分と同様に転がった剣を拾う。
「あ〜あ、こんな簡単に負けるなんて……」
態と軽く言ったのは、まだ背筋に残っている戦慄を振り払う為だった。
「手加減された勝ちに意味はないだろう」
「……へ? 俺、手加減なんてしてない」
思いも寄らない言葉にソルティーを見たが、その表情は自分より納得のいかないと言うものだった。
手加減をされていたのは寧ろ自分で、ハーパーが居なければ、本当に殺されていたかも知れない。
けれどソルティーの方は、そんな状態だった事さえも無かったように振る舞ってくる。
「剣だけで私に勝とうとしただろう。それはお前の戦い方では無い筈だ。そんな剣を使っていては、接近されては逆に不利になるのを知っているから、お前は体を充分に動かしていたのに、先刻はそれをしなかった」
「あ、うん……そうかも……」
「かもじゃない。私が相手だからと初めからそう考えていたか、無意識の内にかも知れないが、少なくともお前が最初から普段通りの動きをしていたなら、こんなくだらない勝ちは無かった」
言われた事がその通り過ぎて、簡単に反省もできない。
「呆れた? 雇った傭兵がこの程度で」
「………」
返されない言葉が重く、俯いて唇を噛み締める。
経験は浅いが、負けた覚えが少ないから余計に情けなくなって、これからどう取り繕えば良いのか浮かんでこない。
言葉を失ったままでいると、微かな溜息が聞こえた。
「仕事さえして貰えれば充分だ。お前が戦うのは私では無いだろ」
付け足しの様な言葉が更に追い打ちを掛ける。
――だったら仕事くれよ。
戦う理由の在る仕事ならまだしも、ただ行き先も知れない旅だけをを続ける中、どうすれば自分の価値を認めて貰えるのか。
「本当に俺達が必要なのか?」
思わず口を突いてしまった言葉への返しは、殊の外冷たかった。
「どういう意味だ」
「別に、俺達が居ても居なくても、あんた充分強いじゃないか。俺達があんたの手伝いをする必要があるのか?」
雇われ者として聞いてはいけない事なのは、知っていた。しかしいい加減ソルティーが自分達を雇った理由が欲しくなった。
“自分の立場に疑問は持つな”
それが幕巌に教えられた傭兵の心構えだった。今までそれは当たり前に思えてきた事だった筈が、自分よりも遙かに強さのある者を前に、どうしても疑問に思ってしまう。
雇い主より弱い力を買う理由が知りたいと。
「どうしてなんだよ?」
なかなかもたらされない答えに業を煮やし、思い切って顔を上げた。
「……ソル」
目が合った瞬間、心が凍り付く。
さっきとは違う。しかしそこには、侮蔑の意味が込められた冷たい眼差しがあった。
「俺……」
「もう何時辞めて貰っても構わない」
「違…、俺は……」
恒河沙の言い訳を聞こうともせず、ソルティーは何も言わず観覧していたハーパーの元へ向かい、その背中で恒河沙の言葉を総て拒絶していた。
「済まない、助かったよ」
「否」
何時自分の心が暴走するか判らず、もし剣を持つ事で心の枷が外れたら、それが恐ろしくてハーパーを同行させた。
実際その予感は当たり、彼の声で正気を取り戻せた。
自分の役割を全うしただけのハーパーは首を振ると、ソルティーから恒河沙へ目を向ける。
「主、あれでは少々可哀想ではないか?」
「ならお前が慰めれば良い。私には、…無理だ」
――自分の事だけで精一杯なんだ。
恒河沙が自分に何を言って欲しいのか、何を言えば満足するかまで判っているが、言葉にする余裕が今のソルティーには無かった。
「街に出てくる」
ベルトを外し、剣をハーパーに手渡すと、直ぐにソルティーは宿の裏口へと向かった。
「主……何を考えて居られるのだ」
作品名:刻の流狼第二部 覇睦大陸編 作家名:へぐい