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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 須臾はリグスに来てから、女性の口からではあるが幾らかの此方の決まり事を耳にしていた。その中にさえもギルドと言う言葉があり、その絶対的な繋がりと力には目を覆う物があった。
 リグス全域に等価の秩序を与え、それを乱す者は主人の恐れが示す如く、徹底的な排除。
「しかし、剣一本に対して御大層だよね」
「何でも良いから、早く俺に掛けた術を外してくれっ。後一日もねぇんだぞ」
 術を掛けた須臾に詰め寄り、須臾は困った顔をハーパーに向ける。
 「解呪の方法を知らないのだから仕方がない」と言いたげな視線にハーパーはゆっくりと立ち、主人の後ろに行くと徐に指先を彼の後頭部に当てた。
 息なのか声なのか判別しにくい音が短く聞こえ、同時に主人の体は糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた。
「な、何したんだよ」
「記憶の封印を施した。一年は我等を思い出す事は無かろう」
 主人に対して何の後ろめたさも感じないのか、説明し終えたハーパーは自分の定位置に腰を下ろす。
「んで、どうすんのこの人?」
「どっか裏道に捨ててこよう」
 そうするのが一番早いと須臾はさっさと主人の腕を掴み、恒河沙もそれに従い残った足を掴むとその体を外に運び出した。
「フィス」
 廊下から聞こえる人を引きずる音が遠くなってから、ハーパーはテーブルに置かれたままの地図を取り、その上に描かれたフィスの場所を確認した。
 此処より南南西に進み、三つ程国を越えた辺りにフィスが在る。その更に南に二つの国を通り過ぎた場所には、森が描かれていた。フィスから西に進むとすれば、数え切れないほどの国を跨がなくてはならない。
 ソルティーにしてみれば当たって欲しくない予想が当たってしまい、ハーパーは軽く持っていた地図を吹き飛ばす勢いの溜息をつき、この事をどう主に話せばよいのかと思案に暮れだした。


 しかし、ハーパーの心配を余所に、その日の内にソルティーが宿に帰る事はなかった。





 深夜、誰も足を踏み入れようとしない裏路地に、低い笑い声が小さく聞こえた。
 蒼陽の薄明かりも届かない闇の中、ソルティーは壁に凭れながら黒く濡れた自分の手を見つめて笑っていた。
 何故こうなったのか、覚えがない。
 記憶に残っているのは、公園で声を掛けてきた女に誘われ、何も考えずにその後ろについていった事だけだ。
 こうなる事は予想していた。程度の低い芝居に騙される程、人を見る目は曇っていない。
 疲れていただけだ。
 恒河沙や須臾と付き合いだしてから、どこかで自分が普通の人間だと思うようになっていた。しかし現実は違う。普通の事が普通には出来ず、逆らいたくても逆らえなかった。
 忘れたいわけではない。忘れられるはずはない。しかし、忘れてしまいたいとも感じている。
 それなのに現実が突き付けられた。
 アストアと言う名を認めて。
 それを紛らわす為だけに女を利用しようとし、今となっては馬鹿だったと思う。
「ハハ…ハハハ……」
 記憶が無くても自分が何をしたか、見つめる黒い手が物語っている。
 それが可笑しくて、自分を笑い飛ばしていた。
 黒く染まった手の向こうには、冷たい敷石が見え、その上にも黒い飛沫が幾つも見える。その先には大きな黒い水溜まりもあり、その中に四人の男の切り刻まれた屍と、自分を此処まで導いた女の剥き出しの足が転がっていた
 既に温もりが無くなってからどれ程の時間が過ぎたのか、それも判らなかった。
「……黒い…血……ハハ…、黒い、黒い血だ」
 肌は灰色、鮮血は黒。
 血の流れを感じられず、生きている事に実感がない。
 生きている意味すら希薄に思える黒い血を見つめながら、罪悪感が浮かんでこない自分にもう一度喉を鳴らした。
 怖いと思う。死を感じない事を怖いと。
 今の自分がはたして正気だと言えるのか。それが判らなくなってきた自分は、既に正気ではないのかも知れない。
 このまま何も成すことが出来ずに、狂気に支配されていくのか。ただそれだけが恐ろしかった。


“貴方の心次第”
“私達には貴方を助ける事は出来ない”


「判っている……判っているんだっ。しかし!」
 こびり付いた血は、二度と拭い去る事は出来ない。
 自分自身に覚えが無くても、増え続ける穢れは心の奥まで浸透し、憎しみだけの心に狂いを刻み込んでいく。
「帰りたいよ……母上……アルス……」
 大人である事を求められ、子供である事を望むのは、表面的な繕いに綻びが生じた所為なのか。
 どこかに置いてきてしまった心を取り戻したい。
 力無く立ち上がり、男の羽織っていた薄手のマントをむしり取り、返り血で汚れた服を隠すように身に着ける。
 女の捲れたスカートを足で直すと、息をしない胸元に1ソリドを投げ捨てた。
「……運が無かったな」
 形だけの言葉を言い、血で汚れた路地を後にした。
 朱陽が高く昇る頃には誰かに知られる事だろう。
 もしかすると、既に誰かが知っているかも知れない。
「それはそれで嬉しい限りだな……」
 自暴自棄になったつもりはないが、自然とそう呟いてしまう。
 そうなれば解放されるのだと思うと、心が軽くなる。
 壊れる前に壊してしまいたいと、それしか考えられなくなりそうだった。


episode.9 fin