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刻の流狼第二部 覇睦大陸編

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 廊下から小声で恒河沙に伝えられ、鎧も身に着けず剣だけを持って廊下に出た。
「ハーパーは?」
「あの体では無理だ。そっちは須臾が行ったんだな」
「須臾の方が得意だから」
 恒河沙は殴られて赤くなった右頬を手で被いながらそう言うと、廊下を成る可く物音をたてないように歩き出した。
 ちゃんと負ける演技が出来るか心配であったが、意外と不満を見せていない背中をソルティーは追い、宿の外まで出ると恒河沙は何の迷いもなく右に進路を取った。
「何か目印でも付けているのか?」
「当たり前。壁に色石で印付けて行ってる。そんなのなくても、多分目的地は同じだろうけど」
 昼間訪れた店か、それに関係する場所。
 実際、須臾が角毎に付けている印は、自分達の勘が当たっている事を示している。
 何本かの路地を通り抜け、裏通りの更に奥まった場所に出る。そこの古い街並みの影には、隠れるように立つ須臾の姿。余裕の笑みを浮かべている彼を見れば、予想通りの結果だったと言う事だ。
「やっぱりだ」
 閉じられた店の扉を遠くから覗き、嫌味な店の主人の顔を思い出す。
『盗みに来たのは四人だったけど、宿の周りに居た見張りや中の様子から見て大凡十人程だと思う。でも盗む奴はとても玄人とは思えないね。品が無さすぎって言うか、手際が悪いって言うか、戦力的には大したこと無いんじゃない』
「そうか、なら話も早そうだ。行くぞ」
「あっ、俺、一番に行っていい? 殴られたお返ししたい」
 微かに色の変わり始めた頬を指さし、ソルティーに許可を願う。
 最初からそのつもりだったのは、輝いた楽しそうな顔を見れば一目瞭然だ。
「まあ良いだろう。但し、誰も殺すな。須臾は……、必要ないかも知れないが恒河沙の援護に回ってくれ」
『僕的には不本意だけど了解』
 恒河沙が敵は根絶やしにする気持ちを軽く抑え、許可が下りた途端店へ足早に向かう。その後を須臾が追い、二人の行動を見届けるだけを願うソルティーは、ゆっくりと辿った。


 面倒だったからか、それとも景気づけのつもりか、扉は振り下ろされた大剣によって、悲鳴を上げて破壊された。
 狭い店内には誰も居なかったが、恒河沙が木片を蹴散らしながら堂々と進入する時には、奥から見覚えのある店の主人が驚いた顔で現れた。
「なっ、何なんだあんた等はっ!」
「何って、剣を返して貰いに来たんだよ」
 大剣を肩に乗せ、自信満々に恒河沙は主人を睨む。
 しかし店主は逆に冷静になり、堂々とした口調で反論してきた。
「こんな夜更けに押し入ってきて剣を返せとは、何の話だ。……ん、お前は昼間店に来た奴だな? 剣と言うのは、あの剣か? ほう、それは残念だな」
 昼間の態度とは一転した言い種は、あからさまに芝居じみていた。だが堂に入った物でもあり、今までに何度も同じ事をしてきているのだろう。
「そんな事より、人の店をこんなにして、ただで済むと思ってんのか?」
 自分の後ろに隠れている者達の存在に気を大きくしているのか、それもとこれまでの自信からか、主人の表情に一切動揺は無い。
「ん〜〜、人の剣を盗んどいて、ただで済ませようとしてんのあんただろ? それに俺も、殴られてただで済ませる気はぜんぜん無いんだよな」
 元より主人の口上を聞くつもり無いし、普通ならば二言目辺りで殴り飛ばしていた。だが今回は、後ろでソルティーが見ている。前の仕事の時には見せられなかった仕事ぶりを、やっと見て貰えるのだ。
 ここは馳せる気持ちを珍しく抑え込んでも、ちゃんと大人な傭兵らしい所を見せたいと思う。
「俺さあ、気が長くないから、早く剣返せよな」
 恒河沙は嬉しそうに大きく一歩踏みだし、大剣を構え直すと、心の中で早く後ろの奴等を呼べと主人に語りかける。
「……そんなはったりが通ると思ったら大間違いだぞ小僧。店を滅茶苦茶にした礼は、払って貰うぞ。おい、誰かこの小僧をどうにかしろ」
 主人の呼びかけに現れた五人の男達は、いずれも宿に来た者達ではなかった。そう簡単に尻尾を出しはしないと言う事だ。
 あくまでも剣の事とは無関係に済ませたい男の腹が、そこに見える。ただし恒河沙は、相手は誰でも構わないのだが。
「何だよ……たったそれだけ? 肩慣らしにもなんないぜ」
「いきがるのも大概にしとけよ、俺達相手にたった一人でどうするつもりだ」
「どうするもこうするも、喧嘩だよ喧嘩。判ったら、さっさと始めようぜ」
 各々の手に長剣や戦斧を持つ大柄な男達を前に、恒河沙は威勢の良すぎる啖呵を切り、男達はそれを笑い飛ばした。
「馬鹿なガキだぜ。後で詫びを入れても遅いんだ、ぜっ!」
 一人がカウンターを乗り越え、勢いに任せて剣を振り落としたのが、喧嘩の始まりの合図となった。
――何だよ、これくらいがここじゃあ強いのか?
 簡単に避けられる剣の軌道を読み、奔霞の仲間との力量の差を感じて多少幻滅を覚える。
――時間掛けて相手するのも無駄だな。
 そう結論を出すのまでの動作は、剣を避けるまでの行為だけで済んだ。
 半歩だけ後ろに下がり、大剣を握り締め男の空いた脇腹に打ち付け払いのける。
「弱すぎるだろってめぇら!」
 呆気にとられた男の仲間に狙いを変えると、カウンターを一気に飛び越え、戦斧を持った男の顔面に柄頭を当てながら素早くしゃがむと同時に別の男の足をすくい、後ろ足で鳩尾を蹴り上げる。
 言の葉陰亭で培っただけに、恒河沙の動きに無駄はない。狭い場所を物ともせず、効率よく相手を倒していく姿には、余裕さえも感じられた。
 だがそれに対する評価は、恒河沙が考えていたよりも厳しかった。
「まるで喧嘩だな」
 窓から高みの見物で様子を窺っていたソルティーは、呆れ顔でそう表した。
『えっと…喧嘩?』
『ああ、恒河沙のやり方は、完全に喧嘩の延長だ』
『そりゃ〜〜まぁね、生まれてこの方、一度も戦い方を習った事なんか無いからね。兵役があるような国でもなかったし。まあ、それだから傭兵なんだけど』
 窓を挟んで向かい合う須臾は、そう言いながらも、あまり関心は無さそうだ。
 世の中で戦い方を習う者は、その必要がある者達だけだ。須臾達の様な下級生まれの者は、実戦の中でそれを覚えなくてはならない。
『どんなやり方でも、勝てば良いの。勝てば』
 要は、生き残る者が勝者であり絶対である。その為にはどの様な手段を講じようとも構わない。それが死なない為の、最高の手段だ。
「そう、か。そうだな、勝てば良い話だ」
――但し、勝ち続けられればの話だが。
 初めて見た恒河沙の戦い方は、確かに強いと表しても構わないが、ソルティーの目にはその隙も見えていた。
 大剣に助けられている面がはっきりと感じられ、無駄な動きが見て取れる。相手を見下しての動きなら、尚更それは恒河沙の弱点となるだろう。その中で尤も気になったのは、
『あいつが人を殺した事は無いな』
 真剣さから低くなった声には、流石に須臾も慎重に頷いた。
『でも、殺さなかった訳じゃないよ。仕事の内容上、そんな必要が恒河沙には無かっただけ』
 経験があるかどうかで、傭兵としての位が決まるわけではない。ただし生死を分ける状況の際に、躊躇うことなく出来るかどうかは重要になる。