刻の流狼第一部 紫翠大陸編
言葉が続かず口ごもるソルティーに、我が意を得たりだったのは勿論恒河沙だ。須臾が止めた手前、香琳を食べ終えた後も口を挟まなかったが、そう長く保たれる忍耐ではない。
「言えねぇんだな?! けっ、人のこと馬鹿にするわりにはあんたも傭兵さまをこけにしてくれるじゃねぇか? ええっ! そ・る・てぃ・い・さん・よっ!!」
いきなり楽しそうに喋る相棒の心が手に取るように判って、須臾は頭を抱えてしまう。
ただしソルティーは、口の端に微かな笑みを浮かべさせた。
「名前を覚えてくれたんだな」
「だぁぁぁっ!」
「済まない、別に君達を馬鹿にするつもりは微塵もないんだが……。実を言えば、情けない話だが、仕事の内容は言えないではなく、判らない、だ。断言できる程の確証を持っての依頼じゃない、信用を置いて貰える事でもないと判っているが、他に言いようがない事も確かなんだ」
「貴方の後ろに別の依頼者がいると?」
「それは違う、個人的な依頼だ。どう説明して良いのか判らないが、俺達もこの先どうなるか知らないだけだ」
「そんなうそくさい話、だーれが信じると思ってんだ?」
「俺もそう思うよ。馬鹿みたいな依頼だ」
呆れた笑みを見せながら自分の言葉を否定しないソルティーに、恒河沙の喧嘩腰も宙に浮いてしまった。
「今この時点ではっきりしている事は、一度覇睦に渡らなければならない事だけだ。出来れば君達にも向こうへの同行をして貰いたいが、そこでもはっきりとした進路が決まっているわけじゃない。その場任せになる恐れは大いにあるし、結論が出ない旅になる可能性は高い。俺自身はっきりした事が判っているなら、君達のような引く手数多な傭兵を雇う事もしたくない。多分、自分達で出来る筈だ」
一通り話し終えると、ソルティーは酷く深い溜息をもらした。
嘘を言っている風にも見えず、どちらかと言えば自分の置かれている場所を語るソルティーに、恒河沙は何も言えなくなり自然と溜飲を下ろした。
「結果的に、何もしないで終わる仕事かも知れない、しかし何かが起きる可能性を否定できない仕事だと思って良いですか」
須臾の言葉にソルティーは無言で頷く。
「じゃあ、一つ伺っても構いませんか? 何故傭兵を雇うと決めたか、それも此処で」
「ああ、そうだな、確かに此処でなくとも覇睦に渡った後でも傭兵は捜せる。しかし、万が一にでも厄介事が渡った直後に起きたら、俺はそれを避けたい。それに、この国に集まる程の腕の持ち主、君達みたいな確かな腕を持った者を捜すのは並大抵の事ではないだろう? 正直、自分に降りかかる厄介事は極力減らしたかったのもあるが、何より、君達の事が気に入った。信じる信じないは勝手だが」
半ばあきらめての言葉だったが、須臾返答は意外にも早く、実に明瞭だった。
「判りました。その仕事、お引き受けします」
「はあ?!」
「恒河沙も良いよね?」
「ちょっ、ちょっと待て、お前なに言ってるのかわかってんか?!」
思わず立ち上がって須臾を止めようとしたが、彼は一瞥しただけでソルティーとの交渉に入り、恒河沙の先の行動を封じてしまった。
「依頼における前金としまして一人頭金貨三十五、後金は僕達の仕事次第の換算でお願いします。宿や食事、損傷した武具の修繕費用に至るまでの経費は、総て依頼者側の負担と言う事になります。それで宜しければ今直ぐにでも契約の方をしますが?」
「それは君達の言い値に任せるが、前金は此処を出る日が決まった時にしたい。それまでは、依頼上の拘束をするつもりはないが、こちらで食事代とかは引き受けさせて貰う」
「有り難う御座います!! それじゃあ、契約もその時に」
いつもなら必ず値切りがある自分達の値段を、あっさりと受諾した気前の良すぎる依頼人に恒河沙は呆気にとられ、須臾は異常な機嫌の良さで話を続けた。
「では、改めて僕は須臾、字や聖称は一切ありません。こっちの馬鹿、じゃなかった、相棒は恒河沙。これも字の類はありません。以後宜しくお願いします」
ソルティーが去った後、恒河沙の矛先は、当然の事ながら須臾へと向けられた。
「なんであんなわけのわかんない奴の仕事引き受けちまうんだよ。うんこくさいったらありゃしねぇぜ」
初めから最後まで自分の予定通りに進まなかった悔しさと、結局ソルティーが自分の喧嘩を買わずに去ってしまい、馬鹿にされた事だけが消化不良のように残っていた。
収まらない腹の虫に拍車を掛けて文句を並べる恒河沙に、須臾は呆れ顔になった。
「うんこ臭いじゃなくて、胡散臭い、な。兎に角、恒河沙は反対しなかっただろ?」
恒河沙が誰彼構わずに喧嘩を売るのは慣れていた。同時に彼の癇癪を軽くあしらう事も。
そんな慣れた心持ち程度にしか耳を貸していなかったが、それだけでも効果があったのか、返される口調は弱くなった。
「しゅ、須臾がさっさときめたから……それに、にらんだじゃないか……」
「違うね。もしお前が本気で嫌だったら、幾ら僕でもこの話は受けなかったよ。いつもみたいに、その自慢の大声で何もかもぶち壊していた筈だろう? あまり僕一人の所為にしないでくれるかな」
諭す口調で突き落とされても、その言葉に否定は出来ない。
確かにはっきりと拒絶できなかった。ソルティーに嘘が見えなかった所為だと、自分でも判っている。それでも、体中を駆け巡る“おっさん”に対する腹立たしさが消える訳ではない。
「そ、それでも、うんこ」
「うさん」
「それくさいのはほんとーだろ」
どうしても自分を正当化したい恒河沙に、あくまで違う事は違うと言う須臾の態度は冷たかった。
「傭兵を雇う奴は、どこか胡散臭い連中ばかりだよ。今更そんな分かり切った事をお前が言うとは、僕は考えても見なかったよ。彼の胡散臭さなんて今までのに比べたら、ずいぶんとましな方じゃないか」
「どこがだよ」
「嘘は言ってない。まぁ、隠し事が無いとは思ってないけど、そんな事今に始まった訳じゃないだろう? それに、金払い良さそうじゃないか!」
話の最後は力が籠もり、至極嬉しそうに語る須臾に、恒河沙もあからさまに肩を落とす。恒河沙の短所が喧嘩っ早い処なら、須臾の短所は金に人生を任せている処だ。
「なんで、そんなのがわかるんだよ……」
「何でって、考えなくても判るじゃないか、ってその頭じゃ無理か? 無理だな。うんうん、かなり無理だ」
「おい……」
「まぁまぁ、落ち着いて。良いかい? 彼は厄介事が起こるかもって言ったんだよね? と、言う事は、厄介事が起きる、もしくは起こす原因を知っている証拠だよ」
「…………」
「…… ちゃんと理解してる? まあ良いけど、この場合、厄介事と言うのは、傭兵を雇った事実から、あまり公に出来ない事だと考えるのが妥当だろ? 内密に事を運ばなければならない理由を、彼は知っているんだよ。そうじゃなければ、此処で僕達を雇うなんて金の掛かる事はしないはずだよ。なんせ、彼の口調は向こうに渡らない限り、厄介事は起きないと言っているようなもんだし」
推測を尤もらしく語る須臾に、恒河沙は否定も肯定もせず「金の方は」と促す。自分が考えても仕方がないと初めから判っているのだ。
「それは勘だけどね。恒河沙は彼の鎧の事どう見た?」
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい