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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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「判ってる。……判ってるよそんな事! だからせめて近くにいたかっただけなの。側に居られるだけで、私は幸せなの。こんな所に閉じこめられて、一生彼に会えないのなら、私、今直ぐにでも死んでしまいたい……」
 泣き崩れる香遠を、鈴薺は抱きしめて慰める事も出来なかった。
 職務で忙しく、動けなかった自分の代わりに、端雅梛を娘夫婦に使わして居た事を、今にして後悔するだけだ。
 無論彼に罪はない。柔軟性のない性格は、神官としての職務を思えば適している。その未熟な所が気に入っていたし、彼も自分を慕ってくれていた。だからこそ余計な頼みを与えてしまい、彼は真剣に勤めを果たしただけなのだ。
 責められるべきは、端雅梛だけを香遠の元へ行かせていた自分でしかない。
 外見が変わらない端雅梛は、香遠から見れば醒めない夢の様なのだろう。幼いときに感じた想いをそのままに、香遠は成長してしまった。
 そして香遠の言葉は、鈴薺に南美芭の過ちを思い出させるには、充分な言葉だった。
「お前はそれ程端雅梛を想って居るのか?」
「……はい…。彼を愛しています。これからもずっと……」
 子供の言葉とは思えない、深い心からの想いを香遠は真っ直ぐ鈴薺を見つめて言う。

 そしてその一月後、香遠は病死し、苑爲は入信した。

 何処を気に入って、端雅梛の様な生真面目で面白味の無い男を好きになったのか、全く鈴薺には理解できない。それでも香遠は、男のふりをしてでも端雅梛と居られる事が幸せだと言う。
 髪を短く切り、人の目を気にしながら生きる事も、苦ではないと幸せそうに語る孫の顔を見ると、何も言い返せなかった。
『二人には梨杏様を送り届ける役を与える。その時、梨杏様と一緒に二人をリグスに送ってくださらんか。なに、嫌がるようなら、気絶させても構わん』
 梨杏の笑い声を聞いて目を細める鈴薺は、何の後悔も無い穏やかな表情をしていた。
『曾孫の顔が見られんのは残念じゃが、あれが幸せになれるならそれも仕方ない』
『ったく、貴方は……。まあ、約束は出来ないが、私の出来る事はしよう』
『ありがとう。これで何の悔いも感じず、死ぬ事が出来る』
 そう言い、鈴薺は腰を上げると梨杏の元に向かった。
 あと数日で擣巓の回帰間宣言が公告される。一月後には此処は戦場となるか、大量虐殺の現場となるだろう。
 その頃には鈴薺も死に、勝者の居ない戦が始まるのだ。
 総てが幕巌の予想した通りに動き始める。
「ソルティー? どしたの?」
 梨杏に負けてハーパーから撤退した恒河沙が顔を覗き込む。
「……いや、ぼーっとしていただけだよ」
「ふ〜ん」
 ソルティーの横に腰を下ろし、そのまま大の字で寝転ぶ。
「……ソルティーさ、俺のことぜんぜん聞かないな。目のこととか、きおくなくしたこととか。やっぱり……きょーみない?」
 空を眺めたまま、少しだけふてくされた恒河沙の姿に、ソルティーは視線だけを送る。
「聞いて欲しい?」
「そういう訳じゃないけど……」
「聞けば、お前の言いたくない事まで聞いてしまいそうになるから、俺は何も聞かない。今のお前さえ知っていれば、俺には充分だからな」
 その言葉は恒河沙には、自分を知る必要がないと聞こえた。
 体を横にし、ソルティーに背を向けて、今の自分の顔を見せないようにする。
――やっぱり、言うんじゃなかった。
「話が在るなら幾らでも聞くよ」
「いいよ、俺、なんも話せることねぇから」
 背中を向けたまま怒った声を出す恒河沙をソルティーは持て余す。
 初めて恒河沙から歩み寄ってきてくれた。何か一つでも聞けば、きっと彼は喜んで答えてくれただろう。だがそれを知りながら、僅かに拒絶を含ませて返事をした。
 知りたくない訳ではない。ただ聞いてしまえばそれだけ人として近付き、自分の事も話てしまいそうになるのだ。
 自分の事を話せないのに、人の事まで聞けはしない。
 機嫌を直して欲しいのと、彼自身の事にまで深入りしたくない思いが両極にあり、結局ソルティーは言葉を掛けてやれなかった。
 ただ心の中では何度も「ごめん」と呟き、花の香りを運ぶ風に、そっと目を閉じる。





 須臾が帰ってきたのは翌日だった。
 天駕縊に来た初日に通された部屋で鈴薺と居た須臾は、数日ぶりの恒河沙に真っ先に飛びつかれ、笑顔で抱き締め返す。
 帰り道で何度か刺客に命を狙われたが、その殆どを始末してきた。
 楽しい旅ではなかっただろうが、それ程疲れを見せていない彼を見て、ソルティーは残っていた不安を全て消し去る事ができた。
「結果だけ言うね。仕事は上手く纏めました。連絡も帰る途中済ませました。以上」
 腰にまとわりついた恒河沙を気にして須臾はこれだけを言い、ソルティーも納得した。
「僕疲れたから部屋に帰って良い?」
「ああ、詳しい話は鈴薺としているならそれを聞く。ゆっくり休んでくれ」
「んじゃ、お先。恒河沙、土産買ってきたからな」
 手に持った革袋を恒河沙に渡す。
「食いもん?」
「当たり前」
 他に何があると自信たっぷりに言い、喜ぶ恒河沙を引き連れ須臾はさっさと部屋から出ていった。
「どうやら藩茄螺は奔霞の言葉を総て受けた様じゃ」
「良かった、と、言うべきか?」
「いやいや、そうかもしれんな。少なくともこれで、今の時点で無くなるのは聖聚理教だけじゃ。国同士の戦は無くなり、幕巌も一安心じゃろうて。その先はあやつ次第じゃ」
 皮肉とも取れるソルティーの言葉を、鈴薺は極普通に受け流した。
 既に鈴薺の中では、何もかもが終わったことなのだろう。総てを精算し尽くし、未練も後悔も無く、自分の死ぬ時期をただ待っているだけの老人を、ソルティーも穏やかに見守る事にした。
「それはそうとソルティー殿、唐轍の開国なのじゃが、三日後だそうじゃ。彼処まで丸一日じゃて、今日明日で支度を済ませるが良かろう」
「ああ、そうする」
 それから暫く二人は何も語らず、ただ窓から見える街の景色を見続けた。



 夜になってから須臾を呼び出す前に、彼の方から部屋に訪れた。
 先日と同じ様に向かい合い、須臾は滑らかな口調で襄還宗との話を始めたが、結果として彼が此処に居ると言う事が、ソルティーには期待通りの結果だった。何を聞かされても、さほど興味の湧く話ではない。
「――っと、言う訳。まあ僕に掛かれば如何に刺客であろうとも、子供に毛が生えた位だね」
「そうか」
 途中から自慢話に逸れてしまった須臾の話を、ソルティーは適当な相槌で終わらした。
「ソルティーさんソルティーさん、貴方ちょっとのりが悪すぎ。せっかく僕の大活躍を話てあげているのに、そういう態度は失礼じゃない? これでも八割は事実なのに」
 自分で誇張した事をばらしてソルティーの笑みを誘う。
「済まなかったな、教えがいのない人間で。しかし俺には須臾が帰ってきた事が、総ての裏付けなんだ。まさか其処まで敦孔伐側が動くとは考えていなかったが、とにかく無事で帰ってきてくれて良かった。仕事を果たしてくれてありがとう、感謝している」
「ん……まあ、どうも。でも、ちゃんとこの事は上乗せして加算するからね。それだけしんどい事だったんだから」
「ああ、判っている」