刻の流狼第一部 紫翠大陸編
ベリザの肩に掴まり、なんとか体制を立て直そうとしたが、体が思うように動かない。
『畜生……これじゃあ兄さんが迎えに来るまで、持ちこたえられない……』
『もうお終いか? 面白くねぇな』
元に戻った剣を担ぎ、恒河沙は二人を笑う。
『弱い者イジメは好きじゃないが、仕事は仕事だ。きっちりさせて貰うぜ』
ブンッ、と空気を切り裂く音を鳴らし、剣が真っ直ぐベリザを捉える。ベリザはミシャールを自分の背中に庇い、自分に突きつけられた剣先を見据えた。
殺しはしない。せっかく一人で任された仕事に、失敗は許されない。完膚無きまで叩きのめして、如何に自分が大活躍したかを彼等の口でソルティーに語って貰わなくてはならないのだ。
だからもうちょっと相手に頑張って貰わなくてはならないのだった。
しかしそんな恒河沙のとても大事な計画を、横から止める者が出た。
「酷い、丸腰の人にどうしてそんな事をするんですかっ!」
何時もとは少し違う苑爲の声に、思わず恒河沙も後ろを振り向く。
「もうその人達は戦えません。それなのに……。もう止めて下さい」
「自分のことも守れないやつはだまってろっ! これは俺の仕事だ。それに、どうしてこいつらが戦えないとわかる! 守られてる甘い世界しか知らないくせに、戦ったこともないくせに、てめぇが何を知ることができるって言うんだっ!」
ミシャール達に顔を戻し、背中越しに苑爲に反論する。
「でもっ!」
「人は生きていれば戦う力を持っているんだ。それに見ろ、あいつらの目があきらめた目か? こーふくしている目か? あれは、はんげきのきかいをうかがっている目だ。なんにも負けない、生きてる目だ。俺の仕事はそれに負けられない仕事なんだ」
――それにここで手を引いたら、ソルティーにじまんできないじゃないか。俺はあの人の役にたちたいんだ。俺を見てほしいん!!
ベリザが腰のベルトから短剣を用意し、ミシャールも床に捨てていた鞭を拾い恒河沙の動きに神経を尖らせた。
勝つ為では無く、負けない為に。
「お二人も、もう止めて下さいっ!」
涙を流しながら苑爲は叫び、体が前に飛び出そうとし端雅梛が懸命にそれを押しとどめる。
「苑爲、危険だ」
「端雅梛、止めて下さいっ! 私、こんな事は見たくない……」
縋り付き、懇願する苑爲の言葉を、端雅梛は首を振って断った。
「これは彼の仕事だ、私達には止められない。止めれば彼を侮辱する事だ」
「端雅梛……」
「なんだ、やっとわかってくれたわけ? 良かった、これで思いっきり仕事ができる。ちゃんと隠れてろよ、あんた達に怪我させるわけにはいかないんだから」
必ずベリザ達の前に来るようにしていた恒河沙の位置に、漸く端雅梛は気が付いた。
宝玉と一緒に、恒河沙は二人からも盗賊を離そうとしていたのだ。
しかも機会は幾らでもあったにも関わらず、彼等を殺そうとは一度もしていない。護る為に戦う、それを恒河沙はしているだけだった。
以前に語られたソルティーの言葉を、今にして理解出来た気がする。
その時はただの戯れ言だと思って聞いていたが、今目の前で起こってる出来事を見て、そこへ一歩たりとも近づく勇気のない自分に気づき、やっと彼等の信じる誇りを感じた。
だから護られるだけの自分達が、何一つとして口出す事は出来ないのだ。
『一寸邪魔が入ってすまねぇな、準備が出来たらもう一戦、やってみるか?』
気を取り直し、恒河沙は剣を構える。
大雑把な構え方には、何の流派も感じられない。見ようによっては隙だらけの恒河沙に、どうしても付け入る事が二人には出来ない。ただの力任せなのは判っているが、その途轍もない力が問題だった。
『一か八かって奴しかないか』
用意していた小刀は残り六本。
分かれて無事に宝玉を手に入れたとしても、ここから出られなければ意味がない。この化け物じみた少年を倒さなければ、終わった事にはならないのだ。
ミシャールは大きく息を吐き出し、恒河沙を睨み付ける。
『くそガキ、あんただけは許さないよ』
『望むところだ、極太ばばぁ』
ピクッと、ミシャールの額に青筋が浮きだし、鞭で床を思いっきり叩く。
『ぶっ殺す!』
ベリザを置いてミシャールが動く。
残りの小刀を間隔を開けて投げつけ、それを恒河沙がはね除ける為に浮かせた剣に目掛けて鞭を放つ。
「くっ…」
決死のミシャールの鞭は剣身に絡み付いた。
『ベリザッ』
剣の動きを封じられたと確信してミシャールはベリザを呼び、彼はその言葉より早く恒河沙に向かって短剣を翻したが、恒河沙の避け方はミシャールの考えていなかった事だった。
恒河沙は手にしていた剣を簡単に捨てた、しかもミシャールに向けて。
『ひっ!』
大剣は弛んだ鞭の途中を引き込んで、石造りの床に亀裂と大きな地響きをたてて落ちた。ミシャールの手から鞭が引っ張られるように抜かれ、恒河沙はベリザの短剣を後転して避けながら床に落ちていた剣を拾って、絡み付いた鞭もろともベリザに斬りかかる。
信じられない物を見るように、剣が落ちた場所をミシャールは凝視した。大剣の形もくっきり残る床の亀裂が、どれだけあの大剣が重量のある物かを表している。
『化け物だよ、こんなの……』
恒河沙の剣筋を紙一重で交わし、ベリザもミシャールの位置に一端引く。
警護を優先している所為で、恒河沙自身の動きは限定されているが、武器が短剣一本では勝負にならない。
『観念して、掴まるか? それとも最後まで戦うか?』
恒河沙が最後の選択を出し、二人は答えない。
『兄さん……なにしてるのよ……』
此処から出る為の用意は二人はしていない。
予定では警護の者を早々に気絶させ、今頃は既に手に入れた宝玉と共に迎えの者を待つだけだった。行きも帰りも人任せで来たのだ、まさかこんな事になるとは考えていなかった。
『どうするんだ?』
恒河沙が半歩だけ二人に近付いたとき、大きな音が響いた。
「大変なの、上に盗賊がっ!」
「?! ――梨杏様っ逃げてっっ」
勢いよく掛けられた扉に全員の目が向けられ、苑爲が思わず叫んだ言葉に恒河沙は舌打ちした。
『神子だねっ!』
動いたのは恒河沙の方が早かったが、扉に近かったのはミシャールだった。
「きゃぁっ!」
梨杏の首にミシャールの腕が絡まり、目を見開いているベリザから短剣を奪い、梨杏の細い首に突き付けた。
『動くんじゃないよっ!』
ミシャールはその場の全員に牽制したが、端雅梛も苑爲も覇睦の言葉を理解出来ず、目先の出来事に動転していた。
「梨杏様を離せっ!」
『ちっ!』
正面から飛びかかってきた端雅梛を、ミシャールは片手で払いのけようとしたが、その手に短剣が握られていたのを忘れていた。
「端雅梛っ?!」
肩口を深く切り裂かれた端雅梛は床に膝をつき、真っ青になった苑爲が慌てて駆け寄る。
『しまった……。おいくそガキ、動くなってちゃんと説明してやんなよ!』
一瞬の戸惑いの後にミシャールは梨杏の首に剣を突きつけ、勝ち誇った笑みを見せる。
「……端雅梛も苑爲も動くな。でないと、あの子が危ない」
「私は良いの、だからお兄ちゃんお仕事して」
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい