刻の流狼第一部 紫翠大陸編
episode.7
戦争と言う歴史が産まれた起源を知る者は居ない。それは人と言う存在が居る限り、この世から虐殺の戦いがなくならない事を、示しているかのようだ。
自然淘汰と言う言葉が有る。食物連鎖と言う言葉が有る。ならば戦争すらも、人の世に起こった連鎖の中での淘汰なのだろうか。なんの為の、何故の淘汰なのか。答えを見つけだすには、まだ、幾千万もの人々の血が必要なのだろう。
人の歴史とは、永遠の連鎖に生ずる礎となった者達の、夥しい血で成り立っていると知りながら……。
* * * *
宝玉の光とカンテラの明かりの中で、端雅梛と苑爲は緊張した顔を、恒河沙は生き生きとした表情をして、見知らぬ二人の男女と向き合っていた。
男は頑丈そうな褐色の体と寡黙そうな顔つきで、年の頃はソルティーと同じ位に見えた。一方の女は、気の強さが顔にまで浮き出ている。二十歳そこそこだろう。
どちらも端雅梛から見れば、破廉恥な肌を多く露出した服とも言いにくい服装で、頭には同じ布を巻いていた。
『何よ、こんなガキ相手なの? 冗談じゃないわよ、せっかく兄さんに良いとこ見せようって思ってたのに』
自分を見下げながらの女の言葉は、まだ完全に聞き取れるものでは無いが、馬鹿にされた事だけはわかった。
『……ふっとい足』
むかつくから取り敢えず馬鹿に出来そうな箇所を捜して吐き捨てる。
二人が此処にどうやって入り込んできたかは判らない。文字通り忽然と姿を現したのだ。扉は閉じられたまま微動だにしていない。こんな地中深くにまで穴を掘るなど不可能だろう。勿論そんな穴は何処にも無い。
正直、二人が現れた瞬間は、お化けと思って飛び上がるほど驚いた。だが二人は端雅梛よりも遙かに生身の力を漲らせていて、しかも盗賊なのだと感じた。
盗賊なら喧嘩を売っても怒られない。だから相手が女でも、恒河沙の言葉に遠慮はなかった。
『太いですってぇ!! あたしの何処が太いって言うのよ、このくそがき!!』
『比べてみるか? 俺のが細い』
自信満々に恒河沙は片足を前に出すが、確かに女の剥き出しの太ももより細かったが、だからといって女が太っている訳ではなかったし、女は自信が在るから見せていた。
『あったまきたっ! オレアディスの涙戴くだけで済まそうかと思ったけど、あんた絶対半殺しっ!!』
簡単に挑発に乗った女は、腰に巻いていた鞭を手にし、空気を切り裂く様な音を立て恒河沙に向かって振り下ろす。
波打ちながら飛んでくる鞭の先を恒河沙は蹴飛ばし、元に戻る鞭よりも早く女に向かって突進した。
「あんたら、かくれてろよ」
急に始まった戦闘に驚いている後の二人に声を掛けながら、下から剣を女に当てようとしたのを、男の剣に封じられる。
『ベリザッ!』
助けて欲しくなかったと言いたげな女に、男は一言だけ小さく言う。
『仕事』
『……わぁったわよ、くそっ!』
「あんたが相手か?」
恒河沙は長剣を構えるベリザから一端離れ、剣を構え直す。
「女相手よりはましだな」
嬉しそうに言いながら、見るからに重量感のある大剣を、軽々と振り回してベリザに真っ直ぐ突き付ける位置でピタリと止める。
「だけど」
そのままもう一度ベリザに向かって突進すると思われていた恒河沙の体は、軽やかに左後方へと移動し、横をすり抜けようとした女の脇腹を蹴り飛ばした。
『おい、極太。これを奪うの俺をなんとかしてからにしろよ』
女達は相手の少年を、見た目のまま経験の浅い子供だと思っていただろう。実際もしもここにソルティーが居れば、目を皿のようにして驚いていたかも知れない。
女は少年の意識が、完全にベリザのみに向かっていると感じたからこそ動いた。しかも相手の手には、必ずや動きの妨げになる程の大剣。
それが気がつけば身軽であるはずの自分よりも早く動き、喰らった蹴りは想像の数倍も重い。
思いもよらない攻撃に無様に転倒した女に向かって、恒河沙は追い打ちをかけるべく大剣を振り下ろしたが、またもやベリザに受けられた。だが今度はかなり力が加えられ、攻撃へと転換してきた。
ベリザの得物は、一般的な長剣。剣の早さだけなら、彼の方に分がある。……筈だった。
――めっちゃ楽しいぞ!!
体の奥底から湧き出してくるような歓喜を感じている恒河沙の顔には、無邪気な笑みが浮かんでいた。それでありながら、手数で稼ごうとするベリザの剣を的確に受け止め、そうなると無駄に時間が掛かるからと、大剣の柄まで相手の剣を滑らし組み合わせる。
体格から考えても、力はベリザの方が上の筈だ。だが組み合ったベリザの剣は押し込む事も出来ず、剣と剣の隙間からは小刀が眉間を狙って放たれていた。
「!」
咄嗟に小刀を避ける隙に、一歩だけ後ろに下がる。その腰のギリギリ横を、今度は後ろにいた女が放った小刀五本が、恒河沙に向かって飛ぶ。それを弾き返したのは、やはり彼の大剣だ。
そのあまりの大きさに、縦にするだけで小柄な彼は殆どを大剣に隠してしまう。
『おっしいね』
恒河沙は柄の端に当たって上空に上がった小刀を、受け止めるその手で女の足下に投げて突き刺した。
『ガキのくせに、なんて強さよ……』
『…………』
『同時に攻めるしかないね。流儀に反するけど、良いわねベリザ』
『…………』
『もう……なんか言ってよ……』
女が相棒の無口さに呆れている内に、ベリザは重心を若干落とし、剣を水平に構える。無口でもやる気にはなったらしい。
やっと戦闘の再開をする気になった二人を、恒河沙も待ってましたの気持ちで迎える。
『んじゃ、いくわよっ!』
女の声と当時にベリザが真っ直ぐ恒河沙に剣を突き出し、それを下段で受け止めるが、グッと踏み込んだ足に女の鞭が絡まり動きを止めようとした。
『これでっ……えっ?!』
鞭を力任せに引っ張った女の体が後ろへとよろめく。恒河沙が動きさえしなければ効果はあっただろうが、彼はベリザの剣を受け止めながら剣先を床に突き立て、それを軸に体を回転させるようにベリザに向けて大きな蹴りを繰り出す。
緩んだ鞭から足を抜き、着した足で前へと踏み込みつつ、素早く大剣を構え直そうとした。
だがベリザが渾身の力で大剣の先を踏み、動きを制する。その彼の背中に向かって女が駆けだし、彼を踏み台にして宙に飛ぶ。
恒河沙の上から女が短剣を振り下ろしながら降下。防ぐ為に剣に力を加えたが、ベリザの力はそれを許さなかった。
「くっそおおおおっっ!!」
一瞬恒河沙の大剣が光を発した。
そして、剣の柄に刻まれた一筋の傷が開く。恒河沙の残された瞳と同じ、朱と蒼の眼球が現れた瞬間、ベリザの足が下からの力に耐えきれず上がり、阻止しようと突き立てた剣は砕け散った。
欠片がベリザの頬を切り裂き、彼自身も吹っ飛ばされた。
丁度恒河沙の振り上げた剣の真上に降りようとした女は剣を避けきれず、死を予感した。
「チッ」
剣先が女の腹を抉る寸前に恒河沙は剣を横に向けた。――が、代わりにとばかりに女を剣身で叩き落とし、床に殴打した腰を蹴り飛ばす。
『痛ったぁぁぁ……』
『大丈夫か、ミシャール……』
自分の元に転がされた体を抱き起こし、顎に流れる血を指で拭う。
『駄目だ、全然相手になんない』
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい