刻の流狼第一部 紫翠大陸編
結局二人とも鈴薺に関する事を話合っている内に、いつの間にか入り口に戻ってきていた。
そして、月の暦は炎鎖へと移り変わった。
神殿の灯りは丁度半数にまで落とされ、薄暗い中で鈴薺だけがオレアディスの像の前に立っていた。
「小父様、まだ大丈夫ですか?」
「梨杏様か?」
小さな扉から這い出る梨杏を迎えに鈴薺が台座の後ろに回り、梨杏の後ろの居たソルティーを見て顔色を変えた。
「小父様、ばればれでした」
舌を出し笑って鈴薺の手を握る梨杏に、彼は「そうじゃったか」とだけ言葉にする。
「鈴薺、俺は此処で見張る事にしたよ」
「私も此処に居るわ」
危険を楽しむ梨杏を言い聞かせようと思ったが、鈴薺は言葉を出す事は出来なかった。
ソルティーが梨杏を台座の中に隠し、オレアディスの先に立つ人影に目を向ける。
「梨杏、其処から動いては駄目だよ」
「……はい」
慎重に返事をし、梨杏の体は扉の影に隠れた。
「お主が盗賊か」
ゆっくりと近付く影に鈴薺が聞く。
『何を言っているのかわかんねぇけど、あんたの盗んだ物を返して欲しいんだけどね。俺はさあ』
『子供か?』
まだ声変わりもしていない様な少年が、ソルティーの前に姿を見せる。
微かな灯りに映し出された少年は、まだそばかすも消えない、幼い顔で微笑んでいたが、その瞳だけは大人の鋭さが宿っていた。
『リーヴァルさんよ、あんたが五十年前にハバリから持ち逃げしたオレアディスの涙、返してくれないかな? もうすぐ此処も無くなるんだし、丁度良い返却期限だと思わねぇ?』
『思わんね。盗賊の小僧如きに何故返さねばならんのじゃ? 欲しければ、力尽くで奪って見てはどうかな?』
その言葉に少年は、楽しげに喉を鳴らす。
遙かに自分より年上の者を馬鹿にした笑みで。
『ああ、そうしてやるよ。偽物も、本物も。昔あんたがした様に、俺達がオレアディスの涙を奪い、此処でのあんたの権威をぶっ壊してやるから、感謝しな』
腰に付けた短剣を抜き出し、手慣れた手つきでもてあそぶ。
ソルティーが見る限り、此処には少年以外の気配は無い。あの部屋への道は一つしかないのにも関わらず、少年に余裕はありすぎた。
『もうそろそろ、俺の仲間が偽物を盗んでいる頃だし、俺もきっちり仕事始めないと、なっ!』
少年の投げたナイフが真っ直ぐオレアディスの像に向かい、ソルティーがそれを剣で受け、弾き返す軌道をそのまま上空に向けた。
そこにはいつの間にか移動していた少年の姿があり、空中でありながら刃を避けるように後方へと飛び退く。
『……これは参ったな。まさか簡単に見破られるなんて、俺も鈍くなったかな』
まるで鳥のように身軽に床へと着した少年は、忌々しそうにソルティーを睨み付けるが、焦りの色は見えない。
恒河沙よりも更に年若い少年を見つめ、ソルティーは相手が見掛け通りでは無いと知る。
子供であろうと危険のない世界ではない。生きていく為には大人よりも汚い世界を見なければならない子供は、数え切れないほど居る。
そうと判っていながらも、ソルティーは少年に違う何かを感じた。
『貴様、本当は幾つだ?』
思わず口をついて出てしまった質問に、少年は唇の片側だけに笑みを作る。
『お兄さん、あんたよりは上さ』
そして少年の姿は消え、台座の下で隠れていた梨杏も其処から姿を消していた。
episode.6 fin
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい