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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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 含みの有る鈴薺の言葉にソルティーは目を細め、机に置かれた紙を手に取りもう一度目を通し、最後に書かれた聞き覚えのない盗賊の名前を確かめた。
 “ランス”は覇睦大陸で理の力を意味する言葉だ。盗賊団の名前に掲げるには、些か所ではない大それた行いと言えよう。
「此処には精霊の涙と書かれているが、それが神体なのか?」
「端雅梛、お前にも手伝って貰うから話を聞いて貰うが、他言無用だ」
「…はい」
 先に端雅梛に釘を打ってから鈴薺が語り始めたのは、彼の消し去りたい過去だった。
「今から五十年前に私が覇睦から逃げる手土産に持ち出したのが、此処に安置して居る御神体なのだよ。ソルティー殿には後日お見せするが、普通の宝玉とは思えぬ大きさでな、この世に二つと存在は無かろうて。それを私は聖聚理教に入信する際に寄贈し、今では私の地位同様に御神体にまで登り詰めた物だ」
 それを賄賂に使った訳では無いのだろうが、その宝玉のお陰で、幕巌の後ろ盾以外でも鈴薺はこの教団には欠かせない存在となったのだろう。
「我等には戦う力は無い。我等だけでは、御神体は守りきれぬであろう」
「そんな事は有りません! この様な野蛮な者達に頼まなくとも、我等だけで守り通せます!」
「剣を持てぬ、破壊も出来ぬ我等に何が出来る? 賊に説教は効かぬぞ? 我等が盾となっても、御神体への道が我等の屍に変わるだけでしかない」
「そうかも知れませんが、やって見なければ結果は……」
 納得出来ないが、納得しなければならない現実を鈴薺に突きつけられ、端雅梛は俯き口ごもる。
「結果盗まれ、人が死んでは何もならぬのだよ。戦いは戦いに慣れた者に頼むのが確実と言うもの。ソルティー殿、お願いできますかな?」
「それで貴方の心残りが総て無くなるのなら」
 その言葉に鈴薺は頷き、ソルティーは他には何も言わなかった。
 事なきを得たかったのは本心だが、此処で自分が断っても自体が急変する訳ではない。
 予定事項を振り出しに戻し、其処に小石が紛れ込んだだけで、自分自身が彼等の道に巻き込まれた訳ではないのだ。
「では話が済んだのなら退出させて貰おうか。その御神体の見学が決まったら呼んでくれ。それと、明日までに跳躍の出来る術者を用意して置いてほしい」
 端雅梛の険悪な視線を無視し、ソルティーはさっさと部屋を抜け出した。
 思わぬ出来事が迷い込んだと言う思いは有るが、この事で須臾から恒河沙を引き離す口実も手に入れた。
 彼が二つの事を同時に考えられない事は、今までで充分確かめた。恒河沙の事だ、目先に仕事が有れば須臾の事まで頭が回らないだろう。
 多分、いや確実に喜んで剣の手入れをする恒河沙の姿を思い浮かべ、ソルティーは自然と口元に笑みを作ったが、自分では気が付いていなかった。




 ソルティーは一端自室に帰ってから、少しだけ頭の整理をした後、須臾を部屋に呼び出した。
 須臾を椅子に座らせ、自分はベッドに腰掛けると、荷物の中から取り出していた書簡を手に取った。
「一つ頼みたい事がある」
「仕事ですか?」
 やっとか、と言いたげな須臾に笑みが漏れる。
 すぐに仕事の顔に戻ると、今度は強気な態度でこう言った。
「仕事なら恒河沙と二人に話してほしいんだけど?」
「彼には別の仕事がある。それに、今から君に頼む仕事は、絶対に彼に知られたくないんだ」
「……判りました。で? 何ですか?」
 諦めの良い言葉にソルティーは手にしていた書簡を、離れて座っている須臾に投げた。
 須臾は受け取った書簡に記された奔霞の国印を見付け、驚きのあまり落としそうになり、信じられないとソルティーを睨み付けた。
「あのねぇ、これ、投げる物じゃ無いよ!」
 流れだとは言え、今の自分達は奔霞の傭兵団の一員だ。その傭兵団の旗印を手荒に扱われるのを許しては、一員としての沽券に関わる。
「済まなかったな。仕事はそれを届けて貰う事だ」
「それだけ?」
「いや、違う。その話をする前にだが、今のこの国の現状はどうその目に映った?」
「どうって……。宗教対立でも起こってるのかな? 僕はそれ程この国の事に詳しくないけど、聖聚理教が他の信徒に目を光らせているのは気が付いたけど?」
 遠回しではないが、須臾は此処に来たときに感じた事を柔らかく語った。内心自分の出した結論を信じたくないのもあるが、ソルティーの自分への買い被りを無くしたいとも考えてだ。
 しかし、そう言った須臾の思惑もソルティーには見えている様子で、表情を変える気配もない。――いや寧ろ、須臾の年齢には不似合いな広い洞察力には、かなりの感心を覚えるほどだ。
「聖聚理教と襄還宗でこれから戦が起こる。敦孔伐がそれに関わり出した。お前には奔霞の傭兵としてその書簡を襄還宗の司教、藩茄螺に届け、敦孔伐との手を切るようにして貰いたい」
 事実だけをソルティーは言葉にし、其処には何の感情も込められてはいない。
「奔霞の傭兵として?」
 どうやら自分の予測は当たっていたようではあるが、とは言えソルティーの話をすんなりと受け入れられもしない。
「ああ。奔霞の意思を伝えるは、奔霞の御旗に傅く者でなければならない。須臾には、幕巌の言葉を藩茄螺に伝える仕事をして貰う。この結果次第で奔霞の道が決まる」
「今までろくな仕事がないと思っていたら、急に凄く大きな役割を廻してきたね。失敗すると、僕の首は無くなるし、奔霞は国を乱される。出来るなら笑えない冗談にして欲しいんだけど。そう言うの、僕は苦手だから」
「首を無くなす失敗をしなければいい。それだけの事だ」
「簡単に言えるね、ああ、どうせ金で雇った傭兵の首だからね!」
 自分の首の前で手を振り、声を荒立て始めた須臾にソルティーは溜息がでる。自分としては須臾を信用し、必ず事を成功すると思っての言葉だったが、自分の言葉足らずを実感してしまう。
「……本当の所は、幕巌に頼まれたのは俺だ。しかし、俺が奔霞の者でない事は調べれば直ぐに判る。だからお前に頼むしかないし、俺よりも奔霞の、幕巌の言葉がお前には判る筈だろう?」
 今度はちゃんと言葉を選び、そこへ僅かな心情も加えてみると、須臾の表情は落ち着きを取り戻した。
「それは……まぁそうかも知れないけど、でも本当に、成功すると思ってる?」
「思っている。信じていなければ出来ない話でもあるが、幕巌が書いたそれと、お前の頭が有るなら確実だろう」
「よく言うよ……。――で? 奔霞の意思はどう言ってるの?」
「奔霞の条件は一つだけだ、襄還宗が敦孔伐と手を切り、奔霞と手を結ぶ事。後はお前の判断で話をしてくれ。条件も、見返りも、襄還宗に提示するのはお前の気持ち次第だ。奔霞はそれに従うだろう」
「……………本気?」
「ああ」
「はっ……はは……」
 乾いた笑いを出し項垂れて盛大な溜息を吐き出す。
――僕が勝手に国同士の条約を結ぶのか? 何考えてんだよ幕巌さん……。
 自分の言葉次第で、もしかしたら不利な条件を奔霞は抱え込むかも知れない。しかし、ソルティーが自分の代わりに赴けば、奔霞の者ではない彼は、襄還宗の提示するままに話を通すかもと言う不安もある。
 だんだん自分が四面楚歌の状況に追いやられている気がするのは、気の所為では無い筈だ。