小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

刻の流狼第一部 紫翠大陸編

INDEX|45ページ/67ページ|

次のページ前のページ
 

 まだ親に甘えても良い歳の子が、大人の醜さを直に感じなくてはならない。例え他に楽しい事があったとしても、それだけで掻き消されてしまうだろう。
 それがどんなに子供にとって過酷かを思えば、ソルティーの声は自然と優しさを含ませる。
「そう、今まで頑張ってきたんだ。心が強いんだね」
「……? そんなこと言う人初めて。普通辛そうとか、可哀想とかばっかりなのに。うん、でもそうだよね、私が頑張ってるんだよね。……あっ、お話しなくちゃなんないから離れてるね」
「ありがとう」
「終わったら呼んでね。私もお話したいから」
 笑顔で梨杏はハーパーの足から下りると、小さな花畑の在る処まで離れていった。声が聞こえない処まで行く梨杏を見て、子供に此処まで気を遣わせる様にした者達に腹立たしさが湧き、同時に何もしてやれない自分自身も嫌悪したくなる。
『ずっと此処に居たのか?』
 ハーパーの横に同じように腰を下ろし、この庭園を囲んだ樹木を見渡す。
『此処は清純だ。人の邪気が寄りつかぬ』
『そう……。鈴薺との話は、無かった事になるかも知れない』
 口調は堅いが、何処か気楽な表情だった。
 このまま何も起こらなければ良いと思う。所詮は他人事、結果が同じならその決断をするのは当事者達で自分達ではない。当事者が選んだ死に方は、ソルティーには関係の無い話だ。
『我は主に従うが、此処が無に帰すのは忍びない』
『私には何も出来ない。この終わりの選択をしたのは彼等だ。それに、今からでは何をどうしたところで間に合う事など無い』
『そうか。まるで我らの様だ』
 目を細め、遠くの何かを見つめる様なハーパーに、ソルティーは力なく首を横に振った。
『…………違う。あの時に選択肢は無かった。彼等はこの終わりを先に延ばす事も出来た筈だ。人の救済だと言いながら、彼等が手にしたのは自分を救う事も出来なかった汚名だけだ、っと、それは私も同じか……』
『主の所為ではない』
 慰めの言葉にソルティーは無言で頷いた。
 理想と現実の隙間は、人が実際に感じるよりも更に広いのだろう。その隙間を埋めようとすると、誤ってその隙間に飲み込まれかねない。
 此処で生活する人々が、本当に神の救いを信じているのかソルティーには判らないが、少なくとも彼とハーパーは神の救い手を、今は信じていない。
 神が存在しなくとも人の力で人の心も救う事が出来ると、ソルティーはそう信じたかった。
 祈りにも似た願いを、誰にでもなく自分自身にソルティーは心から思った。



 それから三日は何もなく四人は過ごした。
 鈴薺との話し合いが決裂した状態で、神殿に居続ける意味は無かったが、街へと居を移す旨は退けられた。街で問題を起こされては困ると言う理由からだったが、果たしてどちらが問題が多いだろうとソルティーは悩んだ。
 須臾は苑爲に近付く為に廊下を徘徊し、恒河沙は余程神殿が気に入ったのか、事あるごとに須臾ではなくソルティーを引っ張って通った。その中で二人が神官達と衝突するまでには至っていないが、未だに自分達に向けられる視線は厳しく、この先も何もないとは断言できなかった。
 ただ一番の問題としていた恒河沙の胃袋は、苑爲に頼み込んで街で調達して貰い、なんとか事なきを得た。
 そしてこの神殿に来てから五日目、昼食が終わりまた退屈な時間の潰し方を考えていた時、このままで居る事を望んでいたソルティーの気持ちを裏切る、鈴薺の呼び出しがあった。


 以前同様に端雅梛に連れられて鈴薺の部屋に入ったソルティーを、彼は普段と変わらぬ穏やかな面持ちで迎えた。
「此処での暮らしも慣れましたか?」
「……用件だけを言ってくれないか。わざわざ呼び出したんだ、心変わりでも有ったのだろう?」
 ソルティーは用意されていた椅子に座り足を組むと、いつもより険のある言い方をした。
 退出を命じられず、扉の側に居た端雅梛がソルティーに何かを言う前に、それは鈴薺の微かに上がった手に止められる。
「いやいや、申し訳有りませんな。ソルティー殿にお聞きしたい事が有ったので、こうしてお呼びしたのだよ」
「答えられる事なら」
「私の命の価値とは幾らほどになるのかと」
「大司祭様!」
 鈴薺の言葉に、何を言い出すのかと端雅梛は戸惑い、ソルティーは呆れた。
「命に価値など無い。王であろうと、信仰者であろうと、民であろうと、命は其処に有るか無いかだ。その存在するだけの命をどう使おうと、それの所有者が決める事で、他人の価値基準の判断が許される事じゃない。慕う者も居れば、憎む者も居る中で、もし己の命に価値が有ると言うなら、それは上に立つ者の傲りだ」
「矢張り手厳しい考えの方だ」
 笑みを浮かべたまま首を振り、自分が予想していたよりも辛辣な言葉を噛み締める。
 鈴薺が今まで築き上げてきた事が、目の前の男にとっては何の価値も無いのだと言い切られたのだ。鈴薺を崇拝している端雅梛でなくても落胆は隠せない。
 だがやっと、踏ん切りが付いた。
 命は命。自分の命の使い方は自分で決めるしかない。
 最初にソルティーと話をしてから、鈴薺はずっと考え続けた。その中で一度たりとも死を恐れた事はない。自らの死に方をひたすらに考え、その如何によっては国の末路さえも変化し、それは幕巌が示した通りの道筋であった。
 何度考え直しても、同じだった。
 神の名の元の教えは絶対でなくてはならない。十年前の事も、決して覆しはしない。今が変わらぬのと同様に。
 ならば先を見据えるしかない。これより先に消えていく命を、少しでも減らさなくてはならない。
 その為の言葉は、たった一つだった。
「あのお話、お受けいたしましょう」
 ソルティーはこの命に価値はないと言ったが、この言葉によって意義が備わっただろう。
 そんな確信を抱く鈴薺の顔は、実に晴れやかな笑みが浮かんでいた。
 それを見つめる二対の瞳は、違った戸惑いを浮かべていたが、それさえも彼は楽しく感じるほどだ。
「しかし、私もこのような立場で在るからには、それなりの仕事を終わらせてからにしたい。そこでだが、端雅梛此方に来なさい」
「はい」
 鈴薺の机の横に端雅梛が立ち、その机の上に一枚の紙を鈴薺は取り出した。
 直接鈴薺に送られたそれは、覇睦大陸の言葉が数行だけ認められている。

『貴公の持ち出された精霊の涙、頂に参ります。時は炎鎖の月の始まり、必ず参上いたしますので、準備滞り無くお願い致します』

 端雅梛だけではなくソルティーも呼ばれ、紙を見下ろした。
「賊か?」
「その様ですな。わざわざ予告日の丁度一月前にこれを私の机の上に置いて、余裕があるのか、それとも挑戦なのか。出来れば手の込んだ悪戯じゃと思いたいのだが」
「大司祭様……これには何と書かれて……」
「盗賊が我等の御神体を盗むつもりなのだよ」
「そっ、それは本当ですか! ……わ、私はこれより皆に……」
「端雅梛、落ち着きなさい。別に今直ぐとは言っておらん。それに、私は知らせるつもりは無いのだよ」
「ですが!」
 畳み掛けようとする端雅梛を鈴薺はもう一度手で制し、ソルティーに話かけた。
「この賊を貴方に任せても、構いませんな?」