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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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「人は必ず他者と諍いを起こしてしまう。大なり小なり。その諍いを生み出す人自身を創り出す事を、ゆゆしき事としたのだよ。それが愚かな事と知っていながらも、聖聚理教は人の諍いが許せなかった。だから、異性との交わりは禁忌とした。それは聖聚理教の者総てに言える神事で、神子と言えども同じだ。その神子が事もあろうに、襄還宗の者と通じ合ってしまった。私達にはそれは許せない事だった」
 鈴薺の口調は、酷く淡々としていた。
 まるで己を律するようであり、厳しく咎めるようでもあった。
「ただの信徒なれば追放すれば良い、しかし神子はそうはいかぬ。神の言葉を使わす神子は、絶対でなくてはならない。その事がどれ程の影響を及ぼしてしまうか私達は怖かった」
「神子はどうなった。貴方達は神子に何をした」
 仮説を組み立てた上で事実がどうだったかを聞こうとしたが、鈴薺の言葉は暫く途切れ、再び紡ぎ出された言葉は険しさを含んでいた。
「扉を閉ざしてしまったのだよ。二度とあの男に会えぬよう、神殿の奥に幽閉した。それが更なる過ちを生み出す事に気付いた時には、もう手遅れだった」
「死んだのか」
 その言葉に鈴薺は深く頷いた。
 長い時間を掛けても鈴薺を責め立て続けるあの日の光景が脳裏に浮かぶ。
 鈴薺が扉を開けた時、床には夥しい血と、その中に倒れるまだ若い女性の姿。抱き上げた女性の顔は、壁に掛けられた絵に描かれた微笑みを二度と見せてはくれなかった。
「もう十年近くも前の話になる。今では新しい神子も居るが、過ちは過ち。消し去る事は無理と言うもの……」
「十年? それにしては……」
 原因と結果の間が長すぎ、当然の様にソルティーは訝しむが、鈴薺にすれば何の疑いも感じない事だった。
「掛かったのだよ、あの男が襄還宗の司教に登り詰めるのに。正確には六年掛けて司教になり、三年掛けて襄還宗を今の地位まで引き上げた。あの男の執念とでも言うのか、そう言う者だ、あの、藩茄螺(はんなら)と言う男は。あの男の心は、今でも憎しみだけが支配している」
 神子の葬儀に怒りの形相で鈴薺達に掛けられた呪詛は、耳にこびり付いて忘れられる言葉ではない。
『病死なんかじゃないっ! あんなに元気だったあいつの死が病である筈がないんだっ! お前達に殺されたに決まっているっ!! 殺してやる、お前達全員、どんな事をしても俺がこの手で殺してやるっっ!!』
 気が触れたように鈴薺に向かって刃を向け、周りの者に取り押さえられ地に伏した藩茄螺。
 その血の滲んだ涙に濡れる瞳には、憎しみだけが宿っていた。
「その怨念の塊を創り出したのは貴方達、聖聚理教の歪んだ教えでは無いのか?」
 確かに人は醜い諍いを絶えず起こしてしまう。人その物を否定するならば、人の造り出した信仰も否定されるべきではないだろうか。
 諍いを拒絶する事は崇高な理念と言えなくもないが、しかし新しい命の誕生さえも拒絶するのでは、戦で犠牲者を生み出す事とどう違うだろうか。
 少なくとも十年前に神子が命を絶ちさえしなければ、これから起こる戦の犠牲者は存在しなかった。
「言われずとも判っている。判っていても、それを受け入れられはせぬ。受け入れては今まで三百四十年の間、神子としての生涯を終えた者達、それを支え続けた信徒達に申し訳が立たぬ。彼等が信じていた教えを、たった一人の過ちで覆しては何の為の信仰だと、何の為の安寧と救済だと言えますか。何れは訪れる滅びを受け入れても、あの過ちだけは決して受け入れられぬ。受け入れてはならぬのだ」
 痩せ衰えた手で椅子の背もたれを握り、顔には妄執を垣間見せる。
 鈴薺の肩には下ろす事の出来ない、聖聚理教何百人の命と祈りが乗せられている。個人の問題なら決断は簡単だったのだろうが、大司祭の立場で死を選ぶという事は、そのまま聖聚理教が藩茄螺一人に負け、今まで築き上げてきた教えその物を間違いだったと言う事と同じだった。
「死は、受け入れられないか」
 答えはなかった。
――無理はないな。
 国や王は民を護る。しかし鈴薺が護るべきは信徒ではなく、聖聚理教の教えなのだ。
「俺はそれでも構わない。所詮他人事だ、勝手に藩茄螺という男に殺されろ。しかし、これだけは言わせて貰う。貴方達が藩茄螺の手で殺される方が、余程聖聚理教の教えを無駄にすると言う事を」
 そう言い捨てても押し黙ったままの鈴薺にソルティーは小さく息を吐き出すと、静かに席を立った。これ以上の話合いは無駄だと知ったからだ。
 幕巌と約束した話は終わった。後は鈴薺次第の事になる。
 ソルティーには関係のない話で、鈴薺がこの話を引き受けない限り、自分が嫌な思いをしてまで須臾を使わなくて済むのだ。どちらかと言えば、鈴薺がこのまま自分の死の決断を躊躇い続けてくれた方が、自分には都合は良かった。
「ソルティー殿も、この聖聚理教が破れるとお思いか?」
 扉を開けようとしたとき、後ろから鈴薺の呟きが聞こえ、ソルティーは振り返りもせず言葉だけを投げ捨てて部屋を出た。

「彼は戦場に大義などは無いと言った。傭兵団を取り仕切る彼が、本当に悔しそうに。貴方の話を聞いてもなお、彼の言葉が俺には重く感じる。彼の言葉が届かないなら、好きにすれば良い。――ただ、貴方が生き続ける日数だけ、余分に人が死ぬのだと思えば、気の滅入る話だが」

 残された鈴薺は机の上に置かれた、幕巌からの書簡を手に取った。
 奔霞の頭首としてのその書簡の内容は、これまで奔霞と擣巓が結んできた条約の数々を破棄する、と言う物だった。
 これを王に届けるも届けないも、総て自分の友人である鈴薺に委ねると決断したのだ。
 奔霞の名を持たない、事の傍観者であるソルティーとハーパーに託した幕巌の賭。勝者が存在しないと踏んだ彼は、せめて戦が永く続かない様にしたかったのだ。
 それは鈴薺ただ一人の肩に掛けられた、暴挙とも言える賭だった。





 翌朝のソルティーの目覚めは、最悪の部類だった。
 鈴薺との話を終えたのは、まだ夜も初めの頃だった。部屋に帰ってからどうしてもこれからの事を考えなくてはならず、眠りに就いたのは明け方近くになっていた。
 体に染みついた習性で自然と目は覚めたが、思考を巡らし今日の予定が無い事を確認すると、もう一度眠る事にした。
 の、だが。
「あっさっだぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 聞き慣れた大声に目を開けた時に、“それ”は降ってきた。
 無防備だった腹部に力任せにのし掛かってきた“それ”に、ソルティーは声もなく呻かされた。
「あっさだっ! あっさだ、あっさだ、朝だーーーーっ! 朝めしだぁぁーーーーーーーーーーー!!!」
「……恒河沙、もう少し……まともな起こし方は思いつかなかったのか?」
「うん ! そんなこといいから、ソルティーめし食いに行こう!」
 どうしてそんなに朝から元気なのか疑問だ。
「……まだそんな時間では無いだろう?」
「だからっ、その前に、この中のたんけん行こう!」
 人の腹の上でごろごろと動き回り、昨日自分達が受けた冷ややかな目を忘れた恒河沙は、「探検に行こう」を繰り返す。