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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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episode.5


 聖聚理教の神は、水の精霊神オレアディスである。清き織り姫や流れの監視者とも呼ばれ、美しくそして清らかな乙女と語り継がれていた。
 紫翠大陸でのオレアディスの降臨は数多く伝えられていたが、精霊は本来勝手気ままな存在でしかない。その気ままな神が何故地上に現れるのか、それは人が考える事ではないだろう。
 一つだけ言える事が有るのなら、精霊は誰の意思にも従わない、人には荷が重すぎる力の権化である。
 それ故に、神なのだ。
 そして、その神の言葉を人々に伝える者を、神子と呼ぶ。


 * * * *


「食事中にお呼び立てして、申し訳有りませんな」
 端雅梛に案内された鈴薺の部屋は、神殿内に設けられていた。
 自分達の部屋よりも広かったが、とりわけ目立った装飾もなく、大司祭と言う役柄の割には威圧感の欠片もない部屋だった。
「いや、早速時間を作って貰えただけでも、此方から礼を言わなくてはならないだろう」
 須臾の洞察力と恒河沙の短気さを考えれば、時間をかけてはいられない。明日と今とではそれ程の違いはないのかも知れないが、結果が同じならば結論は早いほうが良い。
「立ち話もなんですから、此方へどうぞ」
 執務用の机の前に用意された椅子を指し、鈴薺がにこやかに薦めそれに従う。
「端雅梛、ご苦労であったな。お前は仕事に戻りなさい」
「しかし大司祭様……」
「端雅梛」
「申し訳御座いません。それでは失礼致します」
 渋々ながら言われるまま端雅梛は退出し、それを見て鈴薺は軽く笑う。
「端雅梛は少し融通を養わなければなりませんな」
「職務に忠実なだけだろう。俺達は彼等にとって招かれざる客だ。貴方を俺と二人きりにするのは、気が気ではないのだろう」
「あれは信じると言う言葉を履き違えて居る。人を疑う事はまず初めに人を信じなくては成立せんと言うのに、端雅梛は疑ってから信じようとする。それでは真に人を信じる事にはならない」
「正論だな」
 閉じられた扉を見つめ、是非の存在しない言葉を吐き出す。
「ソルティー殿は何やら手厳しい意見を、お持ちの方の様ですな」
「俺は此処の掲げる教えが嫌いなだけだ。信じたくても信じられないモノは何処にでも存在する。総てを受け入れろ等、俺には出来ないと思っているだけだ」
「それは確かにそうですな。……いやいや、こんな話をする為に出向いた訳ではありませんでしたな?」
「ああ」
 ソルティーは一度深く椅子に座り直し、鈴薺をまっすぐに見つめ表情を堅くする。
「ハーパーから大まかな話は聞いていると思うが、その返事を聞かせて欲しい」
 その言葉に鈴薺も顔から笑みを消し去り、暫く深い思案を巡らせ、机の抽斗から書簡を一つと、何も書かれていない封筒に入れられた手紙を出した。
 書簡の中央には奔霞の国印が見られ、それらはハーパーが幕巌から預かった物だった。
「……この手紙の内容はご存じか?」
「直接見たわけでは無いが、ある程度の想像は出来ているつもりだ」
 鈴薺は封筒から手紙を抜き、何度も繰り返し見た内容をもう一度確かめた。
「あやつ、私に死ねと頼みよった」
「だろうな。そうでもして貰わないと、奔霞が二分してしまう」
「簡単に言い寄るわ」
 幕巌が鈴薺に宛てた手紙は、三枚に渡って奔霞の実状と擣巓と聖聚理教の行く末を、簡単に書き連ねた物だった。
 襄還宗が敦孔伐と手を結び聖聚理教との戦を始めれば、奔霞は自国の役割と国益の為に必ず二国の間に立たされる。どちらを取るかは幕巌の胸に掛かっているが、国が一人で動かぬと同様に、傭兵総てがそれに従う者ではない。
 現状では確実に擣巓が滅ぶと予想されても、国力自体を見ればそれ程大差はない二国が戦うのだ、どちらに分があるかよりも、どちらが勝った方がより多くの見返りがあるかを優先させる傭兵には、分の悪い擣巓につく者は多くなる。そしてそれは周辺諸国にも同様の事が言えた。
 そうなれば戦いが長引くのは目に見え、多くの犠牲者が生まれるだろう。
 幕巌はそれを避ける為に、聖聚理教の大司祭である鈴薺が戦の前に死に、擣巓が内部から傾いて貰わなくてはならなかった。
「短い付き合いでも無いだろうに。これが四十年来の親友に出す手紙か」
「親友でなければ、貴方の命は他者に奪われるだけだろう。幕巌は親友だからこそ貴方の決断に任せたんだ」
「……判って居るよ、言われんでも充分に」
 立場は分かれてしまったが、鈴薺がまだリーヴァルという名を捨て去りきれない頃からの付き合いだった。
 鈴薺という名も、今の自分の戸籍も総て幕巌が用意してくれた物だ。
 今の自分の立場も幕巌が居なければ成し得なかった筈だが、彼は一度もそれを盾にした事は無かった。
 この手紙を書いたのも、幕巌が奔霞の頭首として決断をするよりも前に、一個人の鈴薺の友人として話をしたかったからに過ぎないだろう。
 共に背負う物が大きくそして重すぎるのだ。
「しかし、私一人が死んだとしても、襄還宗が敦孔伐と手を切らぬ限り、奔霞の先は同じだろうて」
「それは手を打つ。奔霞の使いとして、襄還宗に話を持ちかけるつもりだ」
「貴公がか?」
「なんの為に奔霞の傭兵が此処に居ると思っている。俺が装っても調べれば直ぐに知られてしまう。奔霞の言葉をもたらすのは、奔霞の傭兵団でなければならない。それも、幕巌に信頼された者だけだ。此処にいる彼等は幕巌の秘蔵っ子だ」
「なるほど、手は総て打てる状態で、私の返事次第と言う訳ですか。いやいや、参りましたな。して、襄還宗はその言葉を飲みますかな?」
「襄還宗が聖聚理教の滅びだけを願っているのなら、奔霞の言葉に逆らう事は出来ないだろう」
 その事に関してだけは、言葉ほどソルティーには確信がなかった。
「なるほど……」
 深く息を吐き出し、鈴薺はもう一度手紙に目を通し、最後に書かれた幕巌の言葉を読み返す。

『俺はあんたに恨みはねぇ、それどころか親友だって思っている。だが自分の尻も満足に拭えねぇ奴を、親友に持ちたくねぇな。自分のしでかしたつけ、その命で帳消しに出来ねぇのなら、俺のこの手であんたを殺す。それがあんたを今の地位に昇らせてしまった俺のしでかした事の贖罪だ。大司祭なら大司祭らしく、己の大罪をよく考えて見るんだな。勿論、あんたが自分でケリつけた時は、あんたの墓守位は残りの人生でしてやるさ』

 鈴薺が犯した大罪については、手紙には何も触れられていなかった。
 だが何もかもを知っていて、幕巌は鈴薺一人でケリをつけろと言っている。判断を下すのは、自分であってはならないのだと。
 鈴薺は手紙を封筒の中に戻すと、椅子から立ち上がり後ろの壁に掛けられた一枚の絵に視線を移した。
 絵の中には美しい女性が微笑む。
「ソルティー殿は、何故襄還宗が急に動き始めたかご存じか?」
「いや、詳しくは聞かされていない。貴方に直接聞けと言われた」
「そうですか」
 微笑みを浮かべる女性から目を離し、鈴薺はソルティーに向かい立ったままで話を始めた。
「聖聚理教は異性との交わりを禁忌としている。それは何故かご存じか?」
「……いや」
 それ自体に何の興味も覚えず、ただ理由の一環なら仕方ないと先を促す。