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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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 些か先刻までとは違った声色に緊張が含まれていた。
「何処だ」
「信仰国」
 たった一言に表された言葉に、ソルティーの体が弾かれたように男から離れた。
 やっと現れた普通とは違う反応であったが、男の話はそれだけ大事だとも言えた。
 どれだけソルティーが男の表情から真意を読みとろうと凝視しても、男の答えが変わる事はなかった。
 “擣巓(とうてん)”と、ソルティーの音のない言葉に男は慎重に頷く。
「……相手は」
「何とも言えないな。なんせ、これは噂だからな」
「可能性は? あんた自身の勘で、どれ程の信憑性が認められた噂なんだ?」
「現段階じゃぁ三割にも満たねぇ。但し、武器は動いていた。規模はまだだが、此処数日の動きが全く流れてこねぇ事や、俺の子飼いの行方が判らなくなった事はその可能性を裏付けはしている」
 噂だと言いながらも男の行動は、一つの答えにしか向かっていない。打算だけを考えて動きはしない、幾つもの情報が持つ矛盾を自己の強い力で補い符合させ、確固たる“売れる噂”を男は口にしていた。
 この“噂”が一体何処からどのようにして、この掴み所のない男の耳の届けられるのか。何故それを自分に聞かせたのか。ソルティーはこの男の“後ろ”に興味を持ち、話に参加せず無関心を決め込んでいたハーパーでさえ男に視線を投げていた。
 そして男の方は、この反応を成功として内心で感じていた。
「三割と言う割には、感触があるな」
「だから、これで食いつないでいると言っただろう? まぁそれに、この世界は最高七割までしかあがらない。それ以上は俺達が扱う必要が無い“世間話”だ。俺としては噂は噂で終わって欲しい部類の話だが、事実がこの中にあるとするなら、この噂が事実となる時は今までにない事が起こっちまう。それが唯一の真実さ」
「対立と、内乱か。……滅ぶな」
 小さく漏らした言葉に男は一瞬表情を強張らせたが、それには気付かない事にした。
 男の無意識に取った行為が、男だけが知るもう一つの真実だからだ。
「以上か?」
 言葉を止めた男に一応聞くと、男はさっさと商売顔を取り直し、たった今思い出したと言わんばかりに両手を叩き合わせた。
「ああ、言い忘れる処だった。あんた達、覇睦に渡るつもりなら引き返した方がいい。唐轍(とうてつ)の回帰間がずれてついこの間終わったから、次の回帰間を待つより南に下って乎那芽(こなが)まで戻った方が利口じゃぁ……」
 言葉はソルティーの鋭くなった視線に遮られた。
「何故だ?」
 気色ばんだ重みの含まれた、ソルティーの言葉に対する返答は以外と早くもたらされた。
 その顔は、よくぞ聞いてくれたと言った感じだった。
「“何故?”……そうだなぁ、簡単に説明するのは得意じゃないが、強いて言えば俺が獣族の血が濃い所為だろうな。それも自分じゃぁ判らないほど雑多に混じり合った所為で、自分が何族かも特定できねぇ。まっ、その恩恵かどうかは判らねえが、鼻が利くんだよ。他の獣族よりも異様にな」
 自分の鼻を軽く擦りながら男は口元に笑みを浮かべる。
「仕事柄もあって、外見より臭いを覚えちまう。特にこの紫翠の土は、覇睦と違いがあるみたいで独特だ。この土から産まれた食い物を食べたら臭うんだよ。まぁ、俺みたいに嗅ぎ取れる奴は少ないだろうが、あんたからはその臭いが微々たる程度だが嗅ぎ取る事が出来る。どう軽く見ても、此処数年この大陸にいた証拠だ。ただの旅人がわざわざこの店に足を運ばねぇし、この大陸で何かをするつもりなら臭いが着く前に此処へ来る。先刻の話にしてもそうだ、格好からそうには見えねぇが、傭兵が生業なら情報なんて欲しがりゃしねぇ。奴らが必要なのは世の中の動きじゃねぇ、食べるために必要な実入りの良い仕事だ」
「………」
「それがあんたは話に期限付きとは言え、限定はしなかった。何かを調べているが、その何かを知られたくない。そう考えても可笑しくはねぇだろう? 時期的にも、あるはずだった北の回帰間と重なるが、南から来ていながら乎那芽を無視して此処にいると言う事は、某らの話を持ち帰りたかったからだ。回帰間が確定したと言っても、それを使う奴は決まっている。金がある奴か、後ろに背負うモノが在る奴かだ。俺には、あんた達が後者にしか見えやしねぇ。決めつけちゃぁなんだが、あんた達は何かを得る為に此処に来た、そして少しでも役立つ情報を持ち帰りたかった。俺には他に考えられねぇな」
 自信を持って語られた後、ソルティーは賛辞の拍手を鳴らした。
「凄い、期待した通りの答えだ。そうだ、あんたの言う様に俺達は覇睦に、いや、リグスに帰る」
 ソルティーの肯定の言葉に男は気分を良くした。
 それだけの自分に対する自信と、長年培ってきた勘が男の総てであったが、その晴れやかな気分は長く続くモノではなかった。
「しかし、間違いはある」
「……どういった間違いだ」
 一際機嫌を害したと言わんばかりの声色にソルティーは苦笑する。
「俺達は別に情報を持ち帰りたい訳じゃない。確かにあんたの話は思った以上に役に立ちそうなんで驚いたが、悪いが俺は今更あんたが言うような世情を知りたい訳じゃない。此処に来たのも別の用件からだ」
「……俺は、体よく試されたって事か」
「悪いとは思うが、俺も酔っぱらいの話を鵜呑みには出来ない質なんだ。詫びと言ってはなんだが、乎那芽の回帰間は当分行われないって噂話を聞きたくないか?」
「何だって?!」
「あの国最後の術者が死んだのが二十日程前になる。あんたなら知ってるだろ、あそこの種族対立はかなり激しい。死んだ術者がそこの最大勢力の部族長なら、今は事後処理所の話ではないだろうな。少なくとも、次の族長が決まるまでは術者の死は隠蔽される」
 ソルティーの噂話を聞きながら、「冗談ではない」と、男は自分の浅はかさを感じた。
 確かに目の前に見せつけられた餌に軽々と飛びつき、必要以上にこの男に話てしまった感は拭えないが、自分の勘が外れた試しは無かった。
 この人間は今まで関わってきた者とは違う。しかし御しきれない程ではないだろう。ある程度の駆け引きを楽しんだ後は、“良いカモ”として相手をすればいいと思っていた。
 それがいつの間にか自分が良いように扱われたなど、思いも寄らない事だった。
 しかも彼の話が事実ならこの男達は、一体自分すら知り得なかった事をどうやって知る事が出来たのか。それは男が二人に対する新たな興味を抱かせるには充分な役目を持つモノで、男はそれに逆らえない己の性格を身をもって知った。
 ソルティーは男の内心の高ぶりを良い風に受け取り、本来自分が求めていた話を切り出すきっかけを漸く手に入れる事が出来たのだ。
「俺の用件は一つだ。あんたがもっとも信頼している傭兵を雇いたい」
 カウンターに両肘をつき、顔の前で指を軽く組む。
 少々含みの込められた笑みを口元の作り出すことで、男の気持ちを仕事へと向けさせる。
「傭兵? 本当にそれだけなのか?」
「他にはないと言う訳じゃないが、一番はそれだ。俺はあんたを信用する事に決めた。だからあんたが信頼している傭兵を雇いたい」