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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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 こちらが下手に動いて雇い主の不利益に繋がる事は、同時に自分達にも同じ結果をもたらしてしまう。それに傭兵の存在が、この国自体に煙たがられている状況を目の当たりにした今は、とても大人しくしていますとは言えないし、信じてももらえないだろう。
 しかし「キュゥ〜〜〜クルルル〜〜〜」なんて情けない音まで聞こえ出すと、思わず無理を言ってしまいそうになったのだが、音は雇い主の耳にもハッキリ聞こえていたようだ。
「恒河沙」
 ソルティーが名を呼ぶと同時に放り投げてきたのは、彼の食料袋だった。
「今はそれで我慢しろ」
「あ…うん……でも、いいのか?」
「騒がれるよりはな」
「ごめんなさい……」
 微かな苛立ちを感じた。
 これまでの道中で、何度もソルティーの食料に手を出してきているのだが、どうも今回は場合が違うらしい。何処がどう違うのか判らないが、苑爲と話すソルティーの背中が何も言うなと言っているようだ。
 形の無い不安がまた胸を横切り、恒河沙は袋をギュッと握り締めた。
 その姿を横目で見つめる須臾もまた、胸に浮かぶ不安に溜息が出そうだった。
 ここ最近の恒河沙のソルティーへ対する反応が、著しく謙虚に見えた。
 ソルティーと会う以前の彼なら、如何なる場合に置いても食べ物への方に反応して喜ぶだけだったのに、今は怒られた事の方が心の半分以上を占めている。
 須臾にとってそれは、良い傾向だと見過ごせる問題ではなかった。
 恒河沙が気落ちする姿を見ると、今の内に街に出て問題を起こし、解雇された方が良いと思うのだ。
 それは昔の恒河沙を知る者としての判断だが、傭兵として此処に居る立場はそれを許さない。

『なぁ、おめぇら、此処で傭兵の仕事がしたければ、これだけは覚えていろ。傭兵は金で腕を売る仕事だが、心まで売り渡すんじゃねぇ。心を売り渡しちまえば、善悪の判断が見えなくなり、理に反する行いにまで手を出しちまう。それを見極める為に最後まで依頼人を信じるな。――だが、依頼人が正しい事をしようって言うなら、おめぇらは死んでもそれに従え。それが誇りだ。金で雇われる傭兵のたった一つの誇りだ。おめぇらがどんなに辛いと感じても、依頼人が信じるに足るもんなら、逃げようとする心を押さえ込んでも食らい付け! それがおめぇらに仕事を渡す俺の最低条件だ!』

 得体の知れない恒河沙と言う子供を、何の分け隔ても無く受け入れてくれた幕巌を裏切れない。
 出来るだけ汚くない仕事を廻してくれ、自分の子供の様に恒河沙を育てようとしてくれた。その恩義に報いたい。自分達が幕巌に返せる事は、彼が信じて依頼してくれた仕事を全うする事だ。
 ソルティーは信じられる。幕巌が信頼した男であり、彼の行動は男として裏切れない質の物だ。恒河沙の事にしても、彼が自分で考えて謝る事を覚えたのは、間違いなくソルティーが現れてからだ。須臾もそれは充分感じているし、だからこそ悔しいとも思う。
――僕がしっかりしなくちゃいけないのに、何を迷っているんだ! 恒河沙を護るって約束したんじゃないか!
「須臾? どうしたんだ?」
「……ん? ……御免、少し考え事してた。やっぱ疲れてるのかな、部屋で休むよ」
 気付けば剣の隠った視線をソルティーに向けようとしていた。
 須臾はそんな狭量な自分を内心で叱咤しながら、心配を向けてくる恒河沙に微笑んで見せた。
「うん、じゃぁソルティー、俺達ばんめしまでやすむな」
「ああ、そうしてくれ」
 どうしても結論が出ない。
 心と仕事は別だと言った幕巌の言葉は正しい。信じるに足る者でも信じない心を保てと言った言葉も、今は生き方を導く大切な言葉になっている。
 しかし、心の育っていない子供の場合はどうすればいいのか?
 恒河沙の心はやっと今育とうとしているのだ、自分のしたいと思っている事はそれを壊す事になるだろう。
 今の須臾は、幕巌が言った正しい事が判らなくなりそうだった。


 部屋に入った二人を見定め、ソルティーは苑爲に声を潜めて語りかける。
「食事の後で構わないが、今夜中に鈴薺と話がしたい。何とか時間を用意してもらえないだろうか」
「予定が御座いますので、私の口からは何とも……。ですが大司祭様にはお伺い致します」
「済まない、頼む」
「では、私はこれで。何か御座いましたら、私の部屋はこの先、端から六番目の部屋です」
「判った。案内ありがとう」
「いえ。では失礼致します」
 苑爲の背中を見届けてから部屋に入ると、室内は宿舎の外観同様に簡素で、安手の宿屋と大差はなかった。
 窓際に置かれたベッドとテーブルと椅子。床に荷物を置き、鎧を脱ぎ捨ててベッドに腰掛ければ、ギシッと耳障りな音が響いた。
――とうとう此処まで来たか。問題は、須臾だが……。
 脚の上で組んだ手を見つめ、これから一月の事に考えを巡らせる内に、あっという間に時間は過ぎ去っていった。
 それに気付いたのは、苑爲が夕食を告げに来た時だった。



 食事は宿舎の奥にある食堂で行われた。
 広間に並べられた長いテーブルは何列にも及び、其処に姿勢正しく着席した神官達に恒河沙も須臾も露骨に嫌そうな顔をしたが、相手も同様の気持ちであるのは手に取るように判る。
 同じテーブルに座った苑爲以外は、誰も二人に目を向けようともしない。それどころか小さく陰口まで囁かれて、如何に恒河沙であろうと食事を楽しめそうになかった。
「それでは、今日一日の実りに神へ感謝を捧げましょう」
 神官の一人が立ち上がり、その言葉に従うかのように全員が目を閉じ、両手を前に組んで静かに祈りだした。
 勿論恒河沙と須臾にそんな教養は皆無なので、馬鹿にしたように見つめるだけだが、ソルティーは神官と同じ事をしている。
「……そだちいいのか?」
「まぁ、そりゃぁ騎士なんかしてる位なら、お育ちがお宜しいって奴?」
「ひゃぁ〜、俺、おそだちよろしくなくてよかった」
 最初は声を潜めていたが、最後には静まり返った広間に恒河沙の声が響き、無言の重圧が二人を包み込む。
 絶対に埋められない感覚の差と言う物が、此処には在った。
 富も貧困も存在しない。全てが等しく平等であれ。
 そんな理想論に救いを求めなければ生きていられない者達の中には、傭兵を個人的に憎む者も居るだろう。二人はそれに気付かず普段通り自分を持ちすぎ、合わせてやろうとも思っていない。
 互いに歩み寄れない者を同じ席に着かそうと考えた方が、抑もの間違いである。
「本日より些か雑音が聞こえるかも知れませんが、これも神が与えたもうた試練とし、大地の恵みを感謝して戴きましょう」
 明らかに自分達の事を指す言葉に、ソルティーだけが溜息をついた。
 彼の予想では、明日にでも恒河沙が神官の誰かともめ事を起こすだろう。ただでさえ目の前に並べられた食事の量は、育ち盛りの子供には少ないのに、人の三倍四倍を食べる彼にこれを一月も強要しなくてはならないかと思うと、頭がギリギリと締め付けられていくようである。
「……あの、ソルティー様」
 用意されたスープを二口ほど口に運んだ時点で、周りを気にしながらの小さな声がソルティーの耳に届けられた。
「ん?」
「お食事中申し訳御座いません。端雅梛様が……」