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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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 一方、端雅梛とは対照的な鈴薺は、大凡その役職とは結びつかない柔らかさに包まれていた。ただ掴み所のない飄々とした笑みは、役職通りの強かさも感じさせていたが。
「こちらこそ」
「で、そちらの方々が傭兵の方ですか?」
「須臾と言います」
「こーがしゃ」
 須臾は兎も角、恒河沙は思いっきり嫌そうに名前を告げる。
 争いを嫌う聖聚理教は須臾達傭兵を毛嫌いし、余程の事が無い限りこの国への入国も禁じていた。此処に来る途中もさんざん陰口を敲かれ、いい加減苛立っていたのだ。
「ふむ……、お主まさかおなごでは無いであろうな? おなごの立ち入りは断らねばならぬ」
 須臾の前でしげしげと彼の全身を見回し、真剣な顔付きで聞き、問われた本人は目が点になった。
 顔の造りは種族の問題もあって女の様に派手だが、それ程華奢な体ではない。
「男以外のなんだって思うんだよ」
「ふむ、どれどれ」
「げっ!」
 いきなり股間を鈴薺に掴まれ、自然に体が飛び上がる。ついでに男に触られて全身に鳥肌がたち、須臾は鈴薺の手を弾き飛ばして後ろに逃げた。
「いや済まなかった。人は見掛けに依らぬのでな、これが一番手っ取り早い」
 悪気は無いと笑って、鈴薺は自分の手に残る感触を消すように手を何度も振った。
「信じらんない爺……」
「大司祭様、その様な軽はずみな行動はお慎み下さいと何度も……」
「はは……、いやいや済まないとは思ったが、念の為だ。まあ、客人達もお疲れであろう、話は明日改めてする事にしても宜しいかなソルティー殿?」
「構わない」
「それでは苑爲(そのなり)、此方に来なさい」
「はい」
 呼ばれて鈴薺の後ろに来たのは、まだ若い可愛い顔をした少年だった。
「この者は苑爲と言い、まだ神官見習いだが、お客人達の身の回りの世話を言いつけております故、この神殿内の事はこの者にお聞き下さい」
「宜しくお願いします」
 同じ聖聚理教信徒とは思えない穏やかな笑顔で、三人に向かい軽く頭を下げる。
「こちらこそ宜しくお願いするよ」
「……ふーん」
 苑爲を見ながら須臾が若干瞳を輝かせた。
「どうしたんだよ?」
「何でもないよ」
「またなんかたくらんでる」
「違うよ。まっ、恒河沙にはわかんないよなぁ〜」
「どういう意味だよ……」
 恒河沙の言葉を無視して須臾はにやついた笑みを浮かべ、まるで値踏みをする様に苑爲を見続けた。
 戒律により異性との交わりを禁止する聖聚理教の神殿は、男性の司る神殿と女性の司る神殿に分かれている。
 女性がこの神殿に居る筈がないのだが、須臾には苑爲が女の子にしか見えない。
 直線的な布を何枚も重ねた僧服と、低く造った声で隠そうとしていたが、“世界中の女性は僕の為の創造物!!”と豪語するだけあって、須臾の女性に対する勘は非情に鋭い。彼の前では如何に隠そうとも無駄な努力と言うべきか。
 勿論この秘密事項だろう事を口にするつもりはない。嚇すと言う手もあるが、そんな無粋さは美しくない。ただ単純に、こんな殺伐とした場所で身近に女性が居る事が、嬉しいだけなのである。
――もう少し、こう胸の辺りに肉付きが良ければなぁ。
 脂下がった笑みを浮かべる須臾を恒河沙は、情けない、と言わんばかりの表情で睨み付けていたが、当の本人はそれすら気付かぬほど苑爲の観察に勤しんでいた。

 鈴薺と端雅梛が退出した後に、苑爲はハーパーを除く三人を神殿の奥へと案内した。
 神殿の奥から続く回廊と、長い階段を上った所に神官用の宿舎が在る。
 大半の神官と、その見習いが此処での共同生活をし、宿舎の周りに作られた田畑で自給自足の営みをしていた。
 聖聚理教自体は、決して豊かではない。
 自分達が作った農作物の大半を町で苦しむ者に与え、僅かに残った物を食し、寄付される金銭も殆どが救済の名の下に使われる。それでも三人の目に映る神官達の顔が疲れていないのは、救済をする事で心が豊かになると信じているからだろう。
「申し訳在りませんが、此処には客室と呼べる部屋が御座いません。一応司祭用の部屋をご用意させて戴きましたが、このような場所です、不便だと思われるかも知れませんが、何卒ご容赦下さい」
 小さい扉が狭い間隔で連なった廊下を歩き、宿舎内の説明を始めた。
「既に端雅梛様か帆南様にお話をお聞きかと思いますが、此処では一切の欲を禁じております。たとえ大司祭様のお客人で在ろうとも、此処での秩序を乱す事が有りましたら、即刻お帰り戴きます。街に出る際は、誰にでも構いませんので、その旨をお伝え下さい。出来る限り私が同行させて戴きます」
「……なんか、俺らわるいことしたみてぇなあつかいだ」
「申し訳御座いません。何分此処では規律が命なので。私達も出来る限りの事は致しますので、暫くは……」
「良いよ、良いよ。恒河沙も我が儘言わないで、素直に頷いていればいいの。ねっ、ソルティー」
 点数稼ぎなのか、尤もらしい言葉と笑顔で苑爲の印象を良くしようとしながらも、それを隠す為にソルティーへ同意を求める。
「……あ……ああ。苑爲、と言ったな、部屋は幾つ用意して貰っている」
「予めハーパー様のお申し出で、お二つ御用意させて戴いております。ソルティー様と傭兵のお二方で、ハーパー様はあのお体ですから、神殿でのお暮らしをして戴いております。それが何か?」
「いや、確かめただけだ」
 もし三人とも同じ部屋にでも入れられたら面倒だと考えていたのだ。
 須臾達を気にしながら話すのは疲れるし、恒河沙が耳にしては困る話が此処では多すぎた。
「此処です」
 苑爲が立ち止まった部屋は、宿舎一階の角部屋だった。
 司祭用と言うだけ在って、他の部屋よりも広い事が扉の間隔で判る。
「向かいにある部屋と二部屋です。もう暫くすれば夕餉の支度も整いますので、それまでこちらでおくつろぎ下さい」
「やった!」
「あと、言い忘れて居りましたが、此処での食事は朝と夕の二回だけですので」
「ええっ〜〜〜〜!!」
 喜びと悲しみを連続させた恒河沙の情けない声を余所に、苑爲はソルティーに扉を開け中の様子を見せる。
「此方がソルティー様のお部屋になります。何か必要な物が御座いましたら遠慮なく申しつけ下さい」
「俺ごはん〜〜」
「あの……それは……」
「恒河沙、困らせるなと言っただろう? それに携帯はどうしたんだよ? ……まさか」
「今日ここに着くって言ったから、昨日全部食べちゃったよぉ〜〜」
「お前はぁ」
 どうりで擣巓に入ってから昨日まで、この恒河沙が何も食べ物で文句を言わなかった筈だ。
 まだ四日分は残っていた筈の食料も、どんなに日持ちをさせる為に作られた保存食も、彼の胃袋の前では何の意味も持たない。
 ハーパーが聖聚理教の神官を連れて現れ、何の疑問も持たず受け入れたソルティー。そして大司祭様々までがご登場ともなれば、ごく普通の者でも疑問に思うだろう。
――街の宿は……、無理か。
『話は明日改めて』
 ソルティーと鈴薺の目的が判らないものの、少なくとも何らかの動きがあるのが明日以降なのは確実だ。