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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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 紫翠(しすい)大陸の朝は、他大陸の覇睦(はぼく)に比べ遙かに足早に訪れる。その紫翠大陸内でも格別に活気が感じられる国は、奔霞(ほんか)と呼ばれる小国だった。
 大陸の中心部に位置する産業国。その肩書きが示す様に、商い人の目覚めと共に奔霞の朝は始まり、同様に夜を招き入れる。しかしこの国に、本当の夜が訪れる事は無いだろう。
 人口はその領土には多すぎると思われる約七万が、ひしめき合いながらその時の暮らしに追われる毎日を送り、その中で富をその手に掴む者と死に誘われる者とに分かれていく。
『国は王ではなく、民が造る物である』
 奔霞の創始者、韵嚀(うんねい)の残した言葉に表されているように、この国は僞擣(かりつ)と呼ばれる世界ただ一つの、民主国家でもあった。


 * * * *


 奔霞の中央商都―簸蹟(はせき)―に、二人の男が足を踏み入れたのは、まだ朱陽が昇り始めたばかりの薄暗さが残る頃だった。
 ここ数日間のこの二人の道程は、誰にでも容易に想像できるだろう。
 彼等の姿は異様な雰囲気に包まれていた。軽く叩いただけでも埃が舞い上がりそうな衣服と、その上に装備する鎧には土塊が層を成し、顔の大半を隠した無精髭と乱れた髪にも土埃が見えた。足取りに疲れは見られなかったが、彼等が近隣の村や町に逗留せずに、何日も歩き続けてこの街に来た事は誰に目にも明らかだった。
 しかし、この街では彼等の様な者は少なくない。簸蹟はそれだけ盛んな街であり、生き残る最後の手段を求めて訪れる者は数え切れなかった。
 そんな人の坩堝と言える場所でさえも、彼等は人目を一身に受けている。これは此処では普通ではない状況だと言えるだろう。
 異常とも言える視線の理由を、彼等が意識していなくとも幾つか兼ね備えている。ただそれだけの事かも知れないが、集められる視線に周囲の驚愕が含まれるならば、この街以外では“有り得ない”事になるのかも知れない。

 彼等の名前はソルティー・グルーナとハーパー・ダブル。
 先程から頻りに自分の顎を覆う、埃まみれの髭を気にしている人間がソルティー。その相棒が、この街、いやこの世界でも珍しい竜族のハーパーと言う。実際には彼等竜族の原種言語は、人の世に未だもたらされていない。人の脆弱な声帯機能では到底発音は得難く、彼の名は人の世にちなんだ偽名である。
 お世辞にも穏やかとは言い難い不躾な視線を、行き交う人々から送られながらも、全く気にしていないのは、単に彼等の慣れでしかない。
 竜族と呼ばれる種族は長命ではあるが、個体数としてはどの種族より遙かに少数の部族単位である。尚かつそれらの生息する場所は、人では決して足を踏み入れられない場所。高度な知識を持ち、清純な環境を好み、無知で野蛮な人の世界に姿を見せる事は、まず聞いた事の無い話だった。
 現在確認されている竜族の出現は、この近辺では三十六年前にまで遡り、高位竜族の存在確認ともなると百年単位と言われている。
 その竜族、しかも黄金竜(この種に竜人は存在しない)の次に高位とされる赤竜翼種が目の前を確かに歩いて居るのだ、どんなモノにも慣れているこの街の者でも、視線を釘付けにされるのは仕方のない話だ。
 誰もが伝説の瞬間に立ち会ったような面持ちで彼を見つめ、その余りの大きさに心を奪われた。ソルティーの身長が3,7フィアスと人間の中では高い方になるが、彼の体躯はそれを遙かに上回る6,3フィアス。人が理解できる範疇を通り越していながら、ハーパーは自分より下位の人間であるソルティーに従うかのように歩いている。
 彼等の関係を測り知る事は傍目からでは無理に等しく、それを聞く勇気を誰も持ち合わせては居なかった。
 それでもただ一つだけ、彼等を一つの枠組みに捉える事だけは可能だ。
 彼等の身に着けている埃にまみれた全身鎧から、彼等が正規の騎士であり、仲間だと言う事である。
 ソルティーの纏っている鎧の方には、幾分手が加えられており、胸部、肩当てとその他幾つかの部品のみとなっていたが、基本的な型は傭兵などが好むモノではなく、極軽量に造られたモノではなかった。
 鎧の原型をハーパーが留めていた分、彼等の外見が人目を引く原因になっていたのだろう。
 異質という他はないのだ。この国では他国お抱えの騎士が闊歩する事は。



 奔霞は主に産を扱う。それがどんな食べ物、道具、種族であろうと、この国に存在しない、手に入れられないモノは無い。事実この小さな国内に紫翠大陸中の人種が集まり、死体すら運ばれてくる。
 反面、他国の匂いを伝えるモノには排他的になっていた。
 国を支配するは、王ただ一人。
 この古の時代より連綿と続いてきた暗黙の掟を、唯一退けた奔霞の過去は、まさしく血で血を洗う忌まわしき惨状だった。奔霞で生きる民の一人一人がそれを忘れず、心に誇りと言う名の一本の杭を打ち込み生きていた。
 国に仕える騎士の存在しないこの国では、民の全てが奔霞の目や耳となる。
 彼等の姿が騎士と判るモノであるなら、ハーパーが仮に人の姿をしていても人目を外す事は不可能だろう。
『どうする? 難だったら私一人でも構わないが』
 取り分け顔を見合わせる事はせず、ソルティーが他大陸の言葉で語りかける。
『否。我を気に病むは不要と告げた筈。我はそれ程薄情ではない』
『判った』
 前髪を目深く降ろしているソルティーの表情は一見では確かめられないが、微かな語感と溜息を押し殺した様な口元から、返された言葉に不安を感じている様にとれた。



 彼等の目差す場所は、街の奥まった路地裏に息を潜めるように建てられている、場末の酒場だった。
 簸蹟に入る際、街を覆う壁に凭れた泥酔状態の乞食に、過分でもあろう銀貨を握らせて聞き出した店だ。
 “酒は三流、話は一流”の酒場の名前は【言の葉陰亭】と言った。
『それにしても、言の葉陰亭か。見事なほどの、如何にもな名前だな』
 教えられた通りの場所で、独特の雰囲気を醸し出してその店は存在していた。自分達同様に薄汚れた店の看板を見上げ、ソルティーは失笑を漏らし、そして躊躇い無く扉を開けた。

 ソルティーが酒場の中に足を踏み入れた時、そこは緊張した空気に包まれ、静まり返っていた。正確には、彼が一歩目を記した瞬間のみ店中総ての意識が入り口の集中し、直ぐに本来あるべき姿として喧噪が戻ってきた。
 必要以上の他者への干渉は、自らの度量を知られる処となる。無意識に身に付いた感覚の変換を殆どの者が行った事から、この店に集う者達の大半が傭兵かそれと似た生業の者だと理解できる。
 まだ朱陽が高い為か、店の椅子に空きが確認できる。――が、蒼陽近くともなれば座れない者も出るかも知れないだろうと、簡単に想像できるほど朝の時点でもこの店は活気に満ちあふれていた。
 一度店内総てを見渡した後、此処を教えた者の言葉が確かな事を確信し、ソルティーは迷うことなく入り口に向き合ったカウンターへ進み、使い込まれた椅子の一つに腰を下ろす。
 その後ろから鈍い音が響き、流石に度肝を抜かれた人々のざわめきを受けてもなお、悠々とその雄姿を店内に持ち込んだハーパーが、遅れてソルティーの横に立った。