刻の流狼第一部 紫翠大陸編
ソルティーもそれは同じだった。
此処に来る前に見せた恒河沙の素直な顔を、戦などで変えたくない。しかし、自分と一緒にいてそれが保つとも思えない。
「俺には約束は出来ない」
「それでもだ!」
多分、此処で自分が幕巌の申し出を断れば、最後まで二人の事が気に掛かってしまうのだろう。それを考えれば、遙かに二人を同行させた方が気が楽だ。もし何かあればそこで契約を解消すればいい。
そして何より、戦の醜さを知る一人として、この男の頼みを聞き入れたい。
「……判った。彼等をリグスに連れ出そう。但し、一つだけ約束して欲しい事がある」
「何でも言ってくれ。俺はそれだけの無理を言った」
「彼等の仕事が何時終わるかは判らない、しかし彼等がこの大陸に帰ってきた時、この国が無かった等という馬鹿げた話にだけはしないでくれ。この、人の為に創られた国を、たかが戦に巻き込まれたというだけで潰すな」
「……絶対に、潰さねぇ。俺はその為に此処に居る」
頭を上げた幕巌に顔には、何かを決意する男の表情が浮かんでいた。
「なら良い。彼等の事は責任を持つ」
納得し、席を立つソルティーに幕巌は何も言わなかった。何も言わなくても、自分が彼に感謝しているのを知っている筈だと。
「………まさかとは思うが」
取っ手を掴んだまま、何かに気が付いたようにソルティーは顔だけを後ろの幕巌に向ける。
「あんたの子供が恒河沙達と同じ歳だから、という理由も含まれてはいないだろうな?」
その質問に幕巌は小さく喉を鳴らした。
「まさか、俺の子供は女だ。しかも生きていりゃぁ、もういい歳だ」
「そうか」
「でも、あんたの言葉に返す事があれば、俺は戦で夢を粉々にされた挙げ句、気が狂って死んだ奴を沢山見てきた、って事だ。その中に、俺の兄貴や弟の姿もあった。俺がこの仕事を選んだのは、そう言う理由だ」
「そうか」
「そうだ」
幕巌の最後の呟きを聞き遂げ、ソルティーは部屋を出た。
それだけの事でと思う者も居るかもしれないが、幕巌にとってそれが総てだった。だから彼は、辛い現実を見なければならなくとも、傭兵を見捨てる事が出来ずにこの世界に留まっているのだ。
微睡みながらも考えるのは、自分の判断がはたして本当に間違わずにいられたのかだった。それは不安にも似ていた。
幕巌に対する一時的な感傷で誤った判断を下したのではないか? いや、それよりも傭兵を雇う事自体が間違いではなかったのか?
結果がでるのが、まだずっと先になると判っているから、ソルティーは今考えを纏め打ち出してしまいたかった。先の結果など判る筈もないのに。
しかし、契約は成された。
これから自分が出来る事は、戦の事実を恒河沙に気付かせてはならない事だ。
須臾は何れ、必ず気付くだろう。
判っていて、納得して下した決断だとしても、とんでもなく重い荷物を、自分自身に加算してしまった事に、否応なく気付かされ、渋々浅い眠りに就く事にした。
既に簸蹟出立は今日となっている。
episode.1 fin
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい