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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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「前のおれをしんない奴が、今のおれをしってくれるんだ。そう言うの、なんか、今のおれがここにいるしょーこみたいで……」
「証拠、か」
「うん」
 複雑な気持ちだ、と須臾は思う。
 恒河沙がはっきりと他人に関心を示したのも、紙切れ一枚を喜ぶ姿も初めてだった。たとえ、簸蹟に居る人総てが今の彼しか知らない事に気付いても、この紙切れが恒河沙の心を動かす物になったのは想像しやすい。
――此奴だけは絶対に泣き顔が見たくないんだよな。
 この感情は、多分今の仕事には必要ない。
 良くも悪しくも、恒河沙のふんだんに感情がこもった興味がソルティー個人にだけ向いては、仕事が終わりを迎えた時にどうなるか、嫌なほど須臾には見えていた。
「でもな、そう言う事をソルティーさんに言うのは駄目だよ」
 やっと芽生えた自分以外への良い意味での剥き出しの感情が、終わりの必ず訪れる者との関係で成り立っては可哀想だ。そんな結論を須臾は出した。
「なんでだよ」
「不安感が同じですって、そんなの同病相哀れむだろう? 僕達みたいに同じ立場同士ならそれも良いかも知れないけど、あの人達と僕達は住む世界が違うのに、こんな傭兵と同じにされたんじゃぁ馬鹿にしてるのと同じ事だよ。幾ら話を合わせてくれるからって言っても、所詮は雇い主と雇われ者、仲間じゃない。主従関係で成り立ってる、見ている目線が違う人だよ」
 一言一言を慎重に並べ、恒河沙が素直に聞き入れられるように、須臾は恒河沙の気持ちに釘を差す。
「そんなの、言われなくてもわかってる。須臾はいつもしんぱいばっかりする。おれだって、はじめて仕事するしろーとじゃない、それくらいはわきまえてる」
「その言葉を信じて、どれだけ数多くの実入りの良い仕事を棒に振ってきた事か……」
「……わるかったな、こんどこそ須臾のめーれいにしたがいます! ぜったいやといぬしにさからいません! これでいいだろ!」
「そうそう、それで良いんだよ」
――僕の言う事に従っていれば、お前が傷つく事は無いんだから。
「僕が恒河沙に嘘を言った事が、今までにあった?」
「ない」
 考える時間もない。
 恒河沙の一番古い記憶は、目の前にいた須臾の心配そうな顔と、その直ぐ後に見せた嬉しそうな顔。「恒河沙」と覚えてもいない名前を素直に受け入れたのも、その顔が優しかったからだ。
 須臾が自分に対してどれだけ気を配っているか、知っているからそれに応えたかった。
 そして須臾はこの関係を絶対に崩したくなかった。



 ソルティーがカウンターで話続けていた二人の元に戻ったのは、店の椅子が半分ほど埋まる夕暮れの少し前。
「明日此処を発つ」
 須臾の横に座り、何処から話すか迷った結果、随分と話を削った。
「あしたぁ?!」
「また明日とは、急ですね」
「悪いが時間が無くなってしまった。詳しい事は街を出てから話すが、今から正式に君達を雇うつもりだ。構わないか」
「ええ、用意はしてますから。恒河沙、契約書出して」
「ちょっ、ちょっと待って」
 カウンターの上に須臾が二枚の羊皮紙と封呪石一つを取り出し、少し遅れて恒河沙も同じようにそれらを並べた。
 何も書かれていない紙を重ね、その中央に封呪石を置く。腰に備えている小刀で左手の指を浅く切り、その血を封呪石に流し、右手をそこに翳した。
「“我が戒めは制約と契約を司る者に傅く鎖、我が盾と我が剣に誓い、此処に盟約を記す者、我が名は須臾”」
「“我が名は恒河沙”」
 一瞬、封呪石が光を放ち、その光が消えた時には封呪石は力を失い砕け散っていた。変わりに四枚の羊皮紙にはそれぞれ、契約の呪紋が刻まれていた。
「これで僕達は正式に貴方達に雇われる事となりました。これ、一枚ずつお預けしますから、無くさずに大事に保管していて下さい。仕事が終わる時に解呪をしなければなりませんから」
 上に乗せられていた方をそれぞれソルティーに手渡し、受け取りながらソルティーは慎重に頷いた。
「で、今更なんなんですが、取り敢えず前金の方をお願いしたいのですがぁ?」
 微笑みながら両手を擦り併せる須臾の姿は、何処か悪徳商人を見る様だ。
「……ああ。……あっ、そうだった」
 腰を探り、そこに重みがないのを感じて、ソルティーは先刻の事を思い出す。
「先程、幕巌に手持ちの金貨を全部渡したんだった」
 ぽつりと漏らした言葉を耳にした途端、須臾の笑顔が引きつった。
「………金貨が、無い?」
「金貨は無い」
 冷静に言い切るソルティーの目に、須臾の額に血管が確かに浮かんでいくのが見えた。
「………無い? …なっ……、なあいいっっ!!」
 膝まで伸ばされた髪を振り乱し、絶叫に近い切り声を出し立ち上がった須臾の姿に、誰もが呆然とし我が目を疑った。
 この店にいる誰もが、恒河沙が切れる姿を見た事はあっても、須臾が取り乱す姿を見た事は無かった。
「こっ、こっ、この期に及んで金が無いだとぉぉ!! 一体この僕らを誰だと思って契約を持ちかけたんだっ! 天下に名だたる美貌の持ち主にして、類い希な才能でこの世界じゃあ一寸は名の通った、この須臾様と! 馬鹿だけど喧嘩だけは誰にも負けた事が無い恒河沙に向かって、金が無いだとぉぉ! 巫山戯るのも大概にしろよなぁぁ!!」
「……いや、だから……」
「須臾、ばかはよけいだ」
 切れ遅れたのか、それとも須臾の様子に彼も驚いているのか、恒河沙は意外と冷静に二人を見ていた。
「五月蠅いっ! いい加減にしろよ、この見かけ倒しっ! ああぁ、僕はなんて不幸なんだ。こんな用無しを信用しようなんて思ってしまうとは、僕の勘も腐り果てたか。これは僕の生涯に残ってしまう汚点だよ。さあっ! 先刻の契約書! とっとと返して貰おうかっ!!」
 普段とは別人のような迫力ある凄みを見せて迫る須臾に、ソルティーは多少押され気味になり、間に恒河沙が入らなければ確実に椅子から落とされていただろう。
 そう、意外にもソルティーを助けたのは、誰よりも喧嘩の仲裁を嫌がる恒河沙だった。
 当然の事ながら、その事にも店内の誰もが驚いた。
「もうやめろよ。みっともないだろ」
 須臾を押し返し、普段自分が言われている言葉を初めて使う。
「恒河沙は関係ないから口を挟むな!」
 思ってもみなかった冷たい言葉に恒河沙も頭に血が上る。
「かんけーないことないだろ! おれだってけーやくした一人なんだからな!」
「だったら一緒に怒れ!」
「おこってもしょーがないだろ! いーかげんにしろよ、この金金男!」
「誰の為にそうしてると思ってるんだ!」
 徐々に矛先がずれだした口喧嘩に、ソルティーは簡単に口を挟む事も出来ず、呆れた表情で見続けるしかなかった。
 まさか頼りにしていた須臾にも、こんな性格的欠点が見られるとは考えてもいない。
「自分が好きなだけじゃないか、なんでもかんでも金金金金って。おれのせいにするなよ!」