刻の流狼第一部 紫翠大陸編
『考えすぎ? ――そうだ、私の考えすぎだ。自分でも理解している。彼の言った言葉は、初めての者に対する彼流の挨拶でしかない。それを私が幼子の様に真に受けてしまっただけの話だ。私は彼等の様な時間を送ってきた訳ではない、……腹立たしかった』
『主』
『大人げないと思うか? 少なくとも自分でそう思うよ。今更時間を取り戻せる訳でもなく、私の時は既に終わった事だ。不可能だと知っているのに、私はそれでも……』
言葉は続かなかった。
少しずつ平静を取り戻し、脳裏に浮かんだ生意気な少年の顔を冷静に受け止める。自分に言い負かされ、悔しさを隠さない子供らしさを思い出した。
――どんな仕事をこなしてきたか知れないが、子供でしかなかったんだ。
そう思い、自分のしてしまった稚拙で情けない言葉の暴力を後悔する。
『我は主のその様な処が、愚かではあるが好ましい事と思えるのだが、人という存在は違うのか』
『愚か、か、嫌な言葉だな。しかし、そう言って貰えるのは気が楽で良い』
彼流の慰めを素直に受け取り、そのままベッドに倒れ込んだ。
右手を上に掲げ、広げた掌を眺める。
『ハーパー、私はまだ、狂いだしていないな』
『杞憂なさるな。主は心配しすぎる』
人と違った器官からの声は、人のような感情まで伝える事は出来なかったが、瞳を閉じ、両手を堅く握りしめるハーパーの姿は、苦悩を現していた。
その気配をソルティーはあえて気付かないふりをした。
『明日にでも彼に謝るよ。長旅になる、初めから仲違いをしていては、何も出来ない』
自分の言葉を素直に受け取る人間ではない事も判っていたが、こうして心配してくれるハーパーの為にも、大人として恒河沙に謝ろうと本心から思う。
『どうにも、人と付く者達の心は難解で、我には未だ理解が出来ぬ事が多い。しかし、その分理解の過程を楽しめるのではあるが』
人にとっては永遠にも見える時を持つ竜族だからこそ、時間を掛ける事もできる。だが、短い生涯しか持たない人は、その時その時を真偽も定かでない状態で生きなくてはならない。
ハーパーには理解できない事が、人に理解できる訳もない。それだけ人は生き急いでいるのだ。良きにつけ悪しきにつけ。
自己解析を一通りした後、ハーパーは床に座ったまま瞳を閉じ、翌朝までその姿を動かす事はなかった。ソルティーも話をした事で多少気の滅入りも無くなり、何日かぶりの静かな眠りに就いた。
それから数日間、ソルティーは言の葉陰亭に連日同じ時間に通い、恒河沙と須臾もその時間になると現れる様になった。ソルティーは幕巌と話をする為に、恒河沙達はソルティーにただ飯をたかる為にだ。
ハーパーはと言うと、『あの気を体験するは一度で充分』と、宿から出る事は無かった。
「色々話をしたかったのになぁ」
と、幕巌の残念そうな顔を見ても、ソルティーは新しくなった入り口を通る度、安心してしまうのは仕様がない。あれではまた、無駄に修理代を払わなくてはならないだろうから。
因みに、ソルティーの恒河沙への謝罪は、結局行われず仕舞いだ。
顔を隠していた髭もなくなり、身なりを整えて来たソルティーに、恒河沙は全く気付かず、気付いた後も、
「いまさら若作りしても遅いんじゃないかぁ?」
笑いを含んだ傷を抉り出す一言に、ソルティーは恒河沙の飲みかけの甘味水を頭から浴びせ、数々の暴言を冷静に論破する口喧嘩に発展し、謝る言葉も何処かへ消し飛んだ。
それが正しいかはどうかは別として、これ以降二人の口調が調子づいた事は確かで、良い意味で三人の潤滑剤ともなった。
「でぇ? おっさんはいつになったら、ここを出るんだよ?」
四人が初めて顔を合わせてから、今日で十日経つ。
若干、日々の口喧嘩にみんなが飽きだした頃、最後にそれに飽きた恒河沙が、遅れて入店したソルティーに開口一番に問いただす。
「その時が来ればな。一月も待たせるつもりはないから、待っていてくれないか?」
苦笑混じりではあるが、子供に言い聞かせる様な穏やかな口調で言われると無碍にする気にもなれない。
子供扱いされて熱くなるのは子供の証拠だ、と言われてからは、恒河沙も少しはおとなしくなるように努力するしかなかった。
「何か待っているのですか?」
「あ……ああ、一寸な」
何時も通りに恒河沙と須臾の間に座り、須臾の問い掛けにも曖昧な言葉でしか応えられない。二人にはこの雇い主は、やけに秘密主義に見え始めている。
「……幕巌に捜し物を頼んでいる」
曇らせた表情を隠しもしない二人に、観念しましたと息を吐きながら、ソルティーは言葉を滑らせた。今更こんな事で何かあれば、無駄な時間をまた作りかねない。それだけは避けたかった。
「何を捜しているかは、まだ言えない。仕事を手伝って貰えるならその内嫌でも知る事になるだろうが、今はこれ以上話す事は出来ない。必要性が出ればそうする、判ってくれるな」
「わかった」
内心食い下がられると思ったが、恒河沙でも自分の立場は知っている。
反発はするが、自分達が雇われる側の者である事は忘れようがない。手の内を明かす事がなくても、嘘を付いて自分達を騙そうとはしていない。この男を信用するにはまだ時間は掛かるだろうが、他の実入りの良い仕事を捜す必要は感じられなかった。
「それはそうと、二人とも名前を教えてくれないか」
「なんだよそれ? いまさら聞く?」
「音ではな。俺が知りたいのは文字で、それを教えて欲しい」
深い意味があって聞いたわけではない。純粋にどういう字で彼等の名前が書かれるのかそれを知りたかっただけだが、意外にも二人の反応は軽いモノではなかった。
少なくとも恒河沙は最高に不服そうな顔になっていた。
「どうかしたのか?」
「……」
「……良いですよ、別に隠す名前でもないし」
「俺はいやだからな、しりたけりゃ須臾にでも聞けよっ!!」
「恒河沙!」
急に怒って立ち去ってしまった恒河沙にソルティーは呆気にとられ、須臾は頭を痛める。
それからすぐに取り繕う様な笑みを浮かべ、言うつもりのなかった話を始めた。
「あんまり気を悪くしないで下さいね。あいつ、本当を言うと三年前からの記憶しかなくて、まだ字とか書けるまで回復してないんです。まだ三年でしょ、自信が無いんじゃないかな、今自分自身で使っている名前にも……」
何時かはばれるかも知れないが、本当は須臾もこういう自分達に不利益になる事は話たくなかった。ただ何時かばれるより、今ばらしておいた方が後々の面倒にならなくて済むと考えて話てしまった。
これで仕事を断られても、それはそれで仕方がない事と高を括っての話だったが、やはりソルティーは他の依頼人とはどこか違っていた。
「そうか……それであの性格か。なるほど、三歳なら仕方がないな、気にはしてないよ」
思わず吹き出したソルティーに須臾もほっとする。
「あっ、でも確かにあいつは恒河沙なんだ。僕はあいつが産まれた時から一緒だし、この三年間の記憶しかなくても、生活が出来ない訳じゃない」
「………」
「だから、そう言うので雇うの辞めるとか言わないで欲しい」
「いや、此方は実務自体に損傷なければ過去がどうでも構わない」
作品名:刻の流狼第一部 紫翠大陸編 作家名:へぐい