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刻の流狼第一部 紫翠大陸編

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episode.1


 朱陽と蒼陽、二つの陽が互いを求めるように昇り、そして沈む世界の名を、僞擣もしくはカリスアルと呼ぶ。
 白月は時を止め、移りゆく世界をただ見つめ続ける。
 三つの大陸、三つの群島。風壁に閉ざされた五つの異文化が混じり合う時は、年に数度しか訪れる事はない。
 時は漆歴、神の闇から数えて三月が経った砂渡りの月。
 時の刻みはこれより始まる。


 * * * *


 ソルティー達が当初の目的としていた二月後の回帰間が、既に過ぎていたのは誤算以外にはなかった。しかしその事実よりも、幕巌に聞かされた信仰国、擣巓の動きには些かならずも不安が出てきてしまった。
 紫翠大陸の跳躍場所は、現在三カ所が確認されている。唐轍、乎那芽、隕鳴の三ヶ国がそれである。尤も、唐轍を残して他の二国は術者不在で、現在は事実上の閉鎖状態にあった。
 彼等が紫翠大陸の最南端にある蕗祠(ろし)から、わざわざ大陸中央に位置する奔霞を経由し、最北部の唐轍に向かうのは、単純にその道程が一番早く覇睦大陸に渡れるからでしかない。結果的には恒河沙と須臾という、“多少”問題のあるものの腕は確かな傭兵を雇う事もできたし、回帰間のずれと擣巓の不穏な動きを知る事も出来たが、本音の処、無駄な時間は成る可くなら避けたかった。
 唐轍に入るには、まず擣巓を知らなくてはならない。それは唐轍が擣巓に囲まれた小国だという事実からだ。
 風壁に面した国に置いて最大の問題点が、唐轍のように通行機関を一国ないしは二国に委ねなくては成り立たない事である。
 唐轍を取り巻く地形にも関係するが、ソルティー達が唐轍に入る為には必ず擣巓を経由しなければならない。
 今までは国王と言う名の唯一支配ではあっても、精霊信仰の名の元に、極めて安定した政治に守られていた擣巓を抜ける事に、何ら問題は無かった。
 その擣巓が、確証が掴めない段階とは言え、緊張状態が続いているのなら、遅かれ早かれ悪い影響が唐轍に発生する可能性は、極めて高い確率になるだろう。
 それだけ唐轍は、擣巓に依存する形で今まで国を治めてきたのだ。
 紫翠最大の精霊信仰を尊ぶ擣巓は、信仰を糧とする緩やかな軌道を辿ってきた数少ない平和な国だった。――が、一度歯車が狂い出すと、信仰が凶悪な牙と化す事は、過去の陰惨な歴史が雄弁に語っている事でもあった。

『まさか、トルトアが武器を持つとは考えてもいなかった』
 大通りから幾分離れた安手の宿屋は、幕巌に紹介して貰ったハーパーでも泊まれる部屋がある。その部屋に入ってやっと、二人は一息つく事が出来た。
 ただしそれと判る素振りを見せたのは、ソルティーだけだったが。
 彼は部屋に入ると同時に荷物を床に置き、その中から剃刀を取り出すと、備え付けの洗面台に向かった。薄汚れた鏡の中に映し出された自分の顔を見つめ、深い溜息を吐くと、徐に頬を覆った髭に剃刀を当てた。
 剃刀を滑らせる度に、洗面台の上に髭がバラバラと落ち、そうしながらソルティーは後ろで床に腰を下ろした相棒に話かける。
『国家間なら話は簡単だが』
『内乱であろう、それが真実だ。一つの信仰が数多の信仰を輩出するは、今に始まりを見た事ではあるまい』
 一見すると修行僧が瞑想しているような姿で、ハーパーは何処も動かさずに冷静な言葉を発する。その当たり前の言葉を聞きながら、ソルティーは鏡に映る自分の顔が酷く歪められた事に気付き、苦笑に変えた。
 運が悪ければ、自分達がどれ程急いでも擣巓に着く前に、国境閉鎖が敷かれるだろう。そうなれば通常でも難しいと言われている擣巓の入国は、更に難関となるのは必至である。信仰に安寧を求める者だけではなく、貧苦から逃げ出す者の多さで、国への門が閉ざされる事さえも多いと専らの噂さえ流れていると言うのに……。
 内乱が本当となれば、その前になんとしても唐轍に入り込まなければならない。
 しかし、回帰間の定められた制約で、跳躍を行う者の入国は半月前からしか許可が下りない。その為に、ソルティー達は擣巓までの道程を含めて五ヶ月近くを、この大陸に拘束されてしまう。
 最悪、紫翠大陸は覇睦大陸との繋がりを無くしてしまうかも知れない。深刻な事態でもあった。
『場所が悪すぎる。残り三月をホルカンクやタイクヴァルで過ごすとしても、トゥーテインに渡れなければ意味がない』
 苛立った言葉を口にしながら、剃り落とした髭を軽く叩き落とし、ついでに頭から水を被る。
 まだまだ洗い足りないが、濡れた髪を後ろに撫で付けると、前髪と髭で隠れていた顔が鏡の中に現れた。髪はくすんだ色から見事な金色に戻り、先刻までとは全くの別人とも思える整った顔立ちを睨む瞳は、晴れ渡った空の様に澄んだ青色だった。
 この姿で歩いていれば相棒だけでなく彼自身も人の、主に女性の注目を浴びていたに違いないだろうが、彼はそれ程自分の容姿に関心が無かったし、結構自分の髭面を気に入ってもいた。
『主は一体、先程から何に対して苛立っておられる』
 ハーパーはやっと長い首だけを動かし、後ろの鏡に映し出された厳しい表情を見る。
『何にとはどういう意味だ。トルトアの事以外に何がある』
『我にはそうは受け取れぬ。確かにトルトアの変事は考えなくてはなるまい事かも知れぬが、我にはさほど思案を巡らさねばならぬ事とは思えぬ。今の主は、他の物事を考えぬ為にトルトアの事を持ち出している風に見受けられてならぬ。その様な真意無き状態では、良き考えも浮かぶ筈もなく、徒に時を浪費するばかりではないか』
『……止めろ』
『我には主のお心を知る事は叶わぬ事であり、それが何であるかを問う術も無き者であるが、主がその様な事ではこれからの事も我に……』
『判ったから止めてくれっ!!』
 力一杯に壁を叩き付け、終わりを見ようとしないハーパーの小言をソルティーは大声で制した。
 壁には亀裂が残った。
『それ以上年寄りじみた事を言うのは止してくれ! お前の小言は、もう沢山だっ!』
 苛立った物言いをし、直ぐに自分が何を言ったかを知る。どうしようもない苛立ちと、後悔がない交ぜになった表情を浮かべたまま、ソルティーはハーパーの前に置かれたベッドに腰を落とした。
『済まない、言い過ぎた』
 顔を両手で覆い隠し、前にいるハーパーに許しを請う。
『否、我も過ぎた物言いであった』
『私は……、どうしてこう』
――自制が利かないんだ。こんな事では結局……。
 自嘲する笑いの中、どうしても上手く制御できない己の心をソルティーは感じた。
『話すよ。今日話をしたコウガシャと言う傭兵、若い方、と言っても無理か。眼帯をしていた方だが、彼に言われたよ『おっさん』とね。これが現実なんだと思った。確かに彼から見れば、私は充分そうなのだろうが、私にはかなり堪えたよ』
 溜息で気を落ち着かせながらも、ソルティーの言葉は一言一言に力が込められていた。
『我には、それ程気に病む言葉とは到底思えぬが。主は考えすぎているのではないか』