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茶房 クロッカス その3

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「あっ! そう言えば……」
「ほらねっ、やっぱりそうだったんだ。夏季さん、可哀想……」
「……えーっ、でもどうしてなんだよー!? なんでー?」
「もう、マスター鈍いんだから。夏季さんはマスターのことが好きなんだよ」
「えー! そうだったのかー!?」
 俺は驚きの声を上げた。
「うふふ……。沙耶ちゃん、悟郎ちゃんを責めるのは可哀想よ。だって悟郎ちゃんには忘れられない人が……。ねっ! 悟郎ちゃん!」
 礼子さんはそう言うと、右目をパッチンと閉じてウィンクをした。
「う……ん、まあなぁ。あれっ? 俺、礼子さんに話したっけ?」
「うふふ……。忘れたのぉ? 前に聞いたわよ」
 ニヤッと礼子さんが笑って言った。
「えっ? それって何のことですかぁ〜?」
 沙耶ちゃんが不思議そうに尋ねた。
「あ、沙耶ちゃんは聞いてなかったんだっけ?」と、礼子さん。
「……??」頭を傾げる沙耶ちゃん。
「――実は悟郎ちゃんにはね、もう何十年も前の人だけど、忘れられない人がいるのよ!」 
 と、ひそひそ話を楽しむように、礼子さんが沙耶ちゃんに言った。
「ふぅ〜〜ん、そう言えば前に、そんな話、聞いたような気もするなぁ」
 仕方なく俺が、優子のことを改めてざっとだけ説明すると、
「そうなんだ。それじゃあ他の人は目に入らないってことよね。……ふぅーん」
 感心したように沙耶ちゃんが俺を見て、更に現代っ子らしくこう言った。
「でも、もう何十年も前のことでしょう? その人のことは早く忘れて、今、目の前にいる人を見るようにした方がいいんじゃないんですかぁ?」
「そうね、悟郎ちゃん。正直な所、私も沙耶ちゃんの意見に賛成だわ。だってその人、もう結婚だってしてるんでしょう? だったら尚更ねぇ……」
 二人からそう言われたら、俺としてもこう答えるしかなかった。
「そんなことは二人に言われなくたって分かってるさ! ただ、いいなぁって思える人と出会えないだけだよ」
「そうですかぁ? だったら夏季さんなんてとってもいいじゃないですか? 思いやりがあって優しいし、女らしくて控え目で……、マスターにはもったいないくらいですよ。ねぇ、礼子さん!」
「ふふふ、確かにそうかもねっ」
「でしょう? マスター、夏季さんと付き合ってみたらぁ?」
「うーん、でもなぁ……」
「夏季さんのこと嫌いなんですか?」
「えぇっ? 間違ってもそんなことはないよ」
「だったら……」
 沙耶ちゃんはしつこく食い下がってきた。
「あっ、大変だ! もうこんな時間だ。ランチの準備しなきゃ」
 俺が慌てたようにそう言うと、
「あら大変! 私も帰らなくちゃ。淳ちゃんが心配してるわ、きっと」
 礼子さんはそう言って、急いで花を生け終わると、そそくさと帰って行った。
 正直なところ俺は、何とかこの話題から逃げ出したくてそう言ったんだけど、優子へのどうしようもなく断ちがたい想いと、すぐ手の届く所にいる夏季さんの存在との狭間で、内心はかなり揺れていた。