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茶房 クロッカス その3

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 沙耶ちゃんも帰り、店もそろそろ閉めようとしていた矢先、思いがけない人がやってきた。
 カラ〜ン コロ〜ン
 ドアに目をやると、一人の男性が立っていた。どこかで見たことがあるような気がしたのだが、思い出せない。
「いらっしゃ〜い」と、とりあえず声を掛けた。
 その人はつかつかとカウンターの方へ歩いて来ると、
「前田さん、お久しぶりです。私のことを覚えていますか?」と、聞いた。
「えっ? ……えっとー、どこかでお会いしましたよねぇ。うーん、何となく顔に見覚えはあるんですが、……すみません。失礼ですが、どなたでしたか?」
 その人はにっこり笑うとこう言った。
「ああ、覚えてなくても当然ですよ。あの時、あなたはかなり動揺していたようでしたし、私とも一度しか会ってないんですから……」
「はぁ〜〜」
 まだ思い出せない俺は、相槌を打つしかなかった。
「四国で、……病院でお会いしました。前田さんのご両親を、事故の直後に、最初に発見した者です」
 そう言ってその人は、警察手帳を俺に差し出して見せた。
「あぁ、あの時の刑事さん」
 俺はやっと思い出した。
「あの時は、色々お世話になりました」
「いや、私は仕事ですから……。それより、刑事の私があそこにいることを不思議には思われなかったですか?」
「えっ? あっ、そう言えば、刑事さんなんですよね。俺は詳しいことは分りませんが、刑事さんというのは、何か事件を担当されるんですよね。俺の両親の事故は、特別『事件』というわけではないので、言われてみれば確かに変ですよね。どうしてあの病院にいらしたのですか?」
「あははは、やっと気付いてもらえましたか? と言っても特別な理由があってのことではないのです」
「――と、言うのは?」
「実はあの時、ご両親が事故に遭われた時ですが、私は反対車線を走っていました。ある事件の被疑者を追跡中だったんです。ところが目前であの事故です。私もびっくりしましたよ。しかし、追跡よりも事故の通報やけが人の搬送の方が優先だと思ったので、急遽そちらへ方向転換したのです。もちろん追跡中の被疑者については無線で事情を説明して、他の者に依頼しましたがね」
「あぁ、そうだったんですか」
「ええ、だから行きがかり上、こんな言い方は失礼かもしれないけど、結局ご両親に付き添っていたわけなんです」
「そうだったんですか。それはご迷惑をお掛けしました」
「いや、それはいいんです。それも職務のひとつだと考えていますから」
「はあ……で、今日はどうして?」
「実は私がご両親に駆け寄った時、お二人はまだ息がありました。だからすぐに救急車を手配して病院に搬送したんですが……」
「はあ〜」
「それで、救急車にも同乗して行ったのですが、その時ご両親は苦しい息の下で、『悟郎を頼む。悟郎を…悟郎を…』と、しきりに仰っていました。お二人とも私のことはきっと分かってはいなかったと思います。しかし私はそのことをあなたにお伝えする義務があったのに、当時は、先ほど言った事件の方が気になっていたため、お話しするのを忘れてしまったのです。そのことに気付いてからというものずうーっと、それが頭から離れなくて、しかしわざわざこちらまで来ることもできず、悶々としておりました。ところがつい最近こちらに移動になったのです。それでこちらの店を調べてきた。と、こういう言う訳なのです」
 そこまで話すとその人は、はぁーーっと大きく息をつき、
「本当に申し訳ないことをしました。すみませんでした」
 そう言ったのだった。
「あぁ、その為にわざわざ……。こちらこそすみませんでした。本当にわざわざありがとうございました」
 俺は頭を下げ、顔を上げると、
「親父やお袋がそんなことを言ってたんですか? そうですか……」
 と、独り言のように呟いた。
 その人にコーヒーをご馳走して、少し話をしたら、俺はまた当時のことを思い出して胸が苦しくなった。
「市内の警察署に勤務になったから、また寄せてもらいます」
 そう言ってその人が帰った後、俺は店を閉め、自転車に乗って家に帰った。