深淵「最上の愛」 最終章 残されたもの
小野田は戸村と絵美が姿を消した裏に水島が居ると確信した。自分を刑務所に行かせた張本人の戸村と元刑事の絵美に対する復習を邪魔するものはたとえ誰であろうとも許さない気持ちがあった。
顔を知られていない鉄砲玉と呼ばれる若い組員を神戸に行かせて水島を見張らせていた。水島は当然警戒していたので一人でぶらつくことは無かった。そして、意を決したのか数名の組員を連れて小野田の事務所に向かおうとしていた。話し合って、言うことを聞かなかったらその場で殺そうと組員にも伝えて緊張した表情で車を走らせていた。
「組長、今水島が何人か若いもんと一緒に事務所出てゆきましたぜ。どこに行くんでしょう?」
「そうか、お前直ぐに帰って来い」
「はい、そうします」
万が一を考えて小野田は組員を外に出して見張らせていた。夕方になっても水島たちの車が来ることが無かったので、ひとまずは安心して事務所の中で帰る支度をしていた。水島は、車から途中で降りて一人で小野田の事務所に向かっていたのだ。多分今頃自分たちが来ないので安心しきっているだろうと、裏をかいたのだ。一人一人と組員が事務所を出て家に帰ってゆく。多分小野田と後一人ぐらいしか残っていないだろうと意を決して、水島は中に入っていった。
予定通り小野田の事務所の裏側に一緒に出かけた組員が乗っている車を停車させた。
二人が車から降りてきて、裏口と玄関の前に立った。もう辺りは暗くなっていた。パッと見た目では顔を判断することは出来なかった。
「一人で中に入るから、お前ら待機しとり」
「代理、大丈夫ですか?」
「心配ない。話し合いに行くだけや」
「指示通りにします」
ゆっくりと階段を上がって事務所の扉をノックした。
「誰や?今頃」小野田がドアー越しに聞いた。
「水島や。話しがあるから来たで。中に入れてくれや」
「・・・なんやて、水島・・・うそやろ?」
「声聞き忘れたんか!ドアー開けてくれ」
「何しに来たんや、それ聞かせてくれ」
「話し合いや。戸村のことで頼みがあって来たんや」
「戸村のこと・・・ほんまか?何人や来たん」
「一人や。見たら解る。早よう開けたり」
恐る恐る小野田は扉を開けた。後ろに一番の子分が銃を後ろ手に構えて待機していた。
「話しに来ただけやな?水島」
「そうや、入るで」
あまりに堂々としていたので、小野田は圧倒されて中に引き入れた。
「早速やけどな、戸村許したってくれんか?あいつもう堅気になりよったさかいに。嫁さんも刑事辞めたし、危害加えること無いで。どうや?」
「わしは何にもしてないで。変なこと言わんとってや、水島」
「うそついたらあかん!何で東京まで行ってたんや?説明してみ!」
「わしはここに居ったで、言いがかりつけたらあかんなあ・・・山中組の代理やから遠慮してるけど事と次第によっては許せへんで」
「どないする言うねん!」
「解ってるやろ?生きて帰られへんで」
「俺が一人で乗り込んでくると思ってたんか?アホやな。回り全部家の若いもんが見張ってるぞ。変なことしたらここに居る小野田さんとそこの若いもん蜂の巣になるで」
小野田は「やられた」と感じた。渋い表情になり次の言葉を探っていた。
「戸村は籾山に殺しをやらせておいて自分は軽い罪となって出てきよった。可哀そうやないか?水島、そう思うやろ」
「殺した伊藤は籾山の弟みたいな関係やったと聞くで。なんでそんな弟分を殺したんや?そっちのほうが罪深いで。戸村は指名手配されたときに死ぬ覚悟をしとった。俺が引き止めなかったら今頃居らんかったやろ。籾山に責任押し付けて逃げようと思ってたんとちゃうで。小野田さんこそ、何してやったんや?」
「解ったようなこと言うやんけ。ぶらぶらしとった籾山を拾ったのは俺や。息子のように可愛がってたわ。山中組に行かせたのが間違いやった。戸村のこと本当の兄貴のように感じとったのに」
「それやったら、ええやないか。戸村や嫁さん追い回して何がしたいねん?」
「けじめや・・・わしの組員への示しや」
「水島と桂川組長の顔立ててくれへんか?どないや」
「桂川とお前の・・・」
「そうや、今後一切戸村とその家族に関わらないと約束してくれたら、俺は山中組を引退する。桂川組長から小野田組に手を出さないと約束させる。どうや?」
「・・・保証出来るんか?」
「こっちに来てくれた時に組長にみんなの前で誓約させる」
「そんな事お前が出来るんか?」
「約束する。水島の最後の頼みや、聞いてくれるやろう。今が最後やぞ、これを逃したら、俺が引退しても潰されるで」
「今返事せんかったら、どないするねん?」
「そうやな、交渉決裂ということで、あと5分ほどしたら外に居るもんがここに来るから悲惨なことになるやろうな」
「5分?そう言ってあるんか?」
「そうや、俺が入ってから30分で出てこんかったら殴りこめ、って言ってある」
「負けたな・・・お前に。しゃあない、約束する」
約束を取り付けて水島は事務所を出た。小野田がこんな約束を納得して守る訳がないと次の行動に出る準備をした。初めから決めていたように、自分が小野田を殺して自首するという展開に持ってゆくしかないと帰りの車の中で言い聞かせていた。
北海道へ身を隠していた翔太と絵美はもう一月を迎えようとしていた。寒かった天候も納まり春らしくなった札幌市内でこれからのことを話し合っていた。
「早いもんだな、もう一月になる。このままここで何もしないでいる訳には行かないから、東京に戻ろうか?」
「そうね、実家へは迷惑をかけるといけないから別の場所にしましょう」
「ああ、そのつもりだよ。腰を落ち着けないと子供だって作れないからな」
「うん、恐れていては始まらないのよね、きっと」
「一度は捨てようと思った命だ。いまさら恐れることはないけど、お前や子供たちには危険な目に遭わせる訳にはゆかないからそれだけが心配だけど」
「やっぱりここで暮らすほうが安心よね・・・どうする?」
「そうとも限らないさ。人ごみのほうが逆に目立たないよ。東京に戻ろう。両親に知らせておこう」
絵美は父の携帯にメールを入れた。住む場所を決めたら改めて連絡をすると書き添えた。
直ぐに電話がなった。父からだと思って着信を見ると「水島」と表示されていた。
「はい、どうされましたか?」
「すまんけど、戸村に代わってくれませんか」
「はい、待ってください。あなた、水島さんから・・・」
「えっ?なんだろう・・・はい、戸村です」
「北海道に居るんか?」
「そうです」
「安心して東京に戻って来い」
「どうしたんですか?」
「小野田と手打ちした。お前たちのことは忘れると言う約束や」
「それ、信じているのですか?」
「初めは信じられへんかった。けどこのあいだな娘に孫が生まれよったんや。元はといえば亡くなった組長の娘婿やろ。桂川さんと話して争いは止めようということになったんや。昔みたいに山中組と小野田組と水島組でしっかりしてゆこうって手打ちしたんや」
「本当ですか?」
「あんまり納得したくなかったけど、もう争いごとはやめなあかんって思っていたからちょうど良い機会やった。小野田も孫が可愛いんやろ、偉い変わりようやハハハ・・・」
作品名:深淵「最上の愛」 最終章 残されたもの 作家名:てっしゅう