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僕が許した父

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 父が湯河原町で生活保護を受けていたことは知っていた。以前にも福祉事務所から、僕のところに「扶養届」なる文書が送られてきたこともある。もちろん僕は、扶養はできないし、する気もない旨を記載して返送した。
 僕は湯河原町の土肥というところで生まれ、高校生の時までそこに住んでいた。
 土建屋で働いていた父は、酒を飲んでは、よく母に暴力を振るった。雨で仕事が休みの日など、朝から酒を飲んでは絡んできたものだ。母の話では、給食費が酒代に消えたこともあったらしい。
 今で言えば、父の暴力はドメスティック・バイオレンス(配偶者・恋人からの暴力)と言ったところだが、当時はそんな言葉もなかった。
父の母に対する暴力に理由などなかった。「家事が遅い」だの「酒が足りない」だの、ただ因縁をつけては、ひたすら暴力を振るっていたのだ。母はただじっと、父の言われ無き暴力に耐えていたのである。僕もまた、そんな母が殴られるのを黙って見て、怯えながら耐えるしかなかった。子供心にも、自分が大人になったら、父のようにはなるまいと思ったものである。いわゆる反面教師というやつだ。
 だがそんな母も、ついに堪忍袋の緒が切れる時が来た。僕が高校を卒業すると同時に、僕と一緒に川崎に家出したのだ。僕は川崎の製鉄所に就職が決まっていたので、母と安いアパートを借りることにした。
 湯河原の家も安い平家の借家だったので、住めば都だった。
 その後、母は父との離婚に向けて、裁判を起こすことになるが、それからが長い道程だった。家庭裁判所の調停まで二年はかかったと思う。
 僕が母と川崎に来てからは、一度も湯河原に足を向けていない。湯河原は母や僕にとって「鬼門」だったのである。そればかりではない。いつしか、西へ向かうことさえ、忌み嫌うようになっていた。
 だがここのところ、母もようやく明るさを取り戻してきた。今は午前中のみ、スーパーで清掃のパートをしている。六十を過ぎた母の年齢から考えれば、使ってくれるところがあるだけでも有り難い。いわゆる、生きがいとしての仕事だ。
 問題は先程の福祉事務所からの電話を、どう母に伝えるかだ。僕は枕を抱きながら、虚ろな目を天井に泳がせた。

 ギィーッ……。
 建て付けの悪い、安普請のドアが開く音がする。どうやら母が帰宅したようだ。
作品名:僕が許した父 作家名:栗原 峰幸