真神彬の姉の話
しかし一生祖母や叔父と暮らせるわけではない。いずれは独り立ちしなければならない。現代では食事は外食やコンビに弁当やスーパーの惣菜で済ませられるが、大変なことに維はそんなものをずっと食べるくらいなら食べないほうがマシという考えの人だった。祖母と叔父と弟の家事はあまりに完璧すぎたのだ。有言実行を体で表す維は、おそらく放っておいたら本当に栄養失調でぶっ倒れて餓死する道を選ぶ。
天才で頭がよいのに料理のスキルは育たなかった維にとって、ご飯が作れないの死活問題だった。
だがその問題も時間が解決するのではないかと予測された。
維と徹の関係がとても良好だったからだ。二人の間に恋愛感情と呼ばれるものははなかったが、いい関係であることに間違いはなかった。このまま都合よく恋愛に発展してくれればと、本当に都合よく、彬はそんな希望を持っていた。
その頃だ、徹の周りに女の影がちらほらと見えはじめた。学校の一学年下の後輩で、なかなかの美少女だった。徹の気持ちは不明だったが、後輩が徹に惚れているのは火を見るより明らかで、彬は焦った。第三の女の存在を頭に入れてなかった。あの攸弥でさえなぜか女受けするのに徹がもてないはずがない。
このままだと姉の人生お先真っ暗だ。
彬は姉の人生観(そもそもそんなものあるか知らんが)も自活能力も、まったく信じてなかった。
後輩の美少女は維と違って女子力が非常に高かった。それだけで維の勝ち目は絶望的だった。
維が身長百七十センチ越えに対し、彼女は平均的な百五十代後半。体格だけでも明らかに肉食系と草食系の違いがあった。どっちがどっちなど、言わずもがなである…。そして後輩はどうやら料理が得意のようだった。以前、徹が持って返ってきたクッキーとシフォンケーキは絶品だった。当然のことながら維に男の胃袋を掴む芸当などあるはずもない。暢気に相伴に与り舌鼓打っておいしいとか喜んでる場合じゃねぇよ、と彬は歯軋りした。
このままでは姉の未来が危ういとふらふらになるくらい消沈してた時、今にもこれから告白しますみたいな雰囲気の徹と後輩の姿を近所で見かけた。
「……や、ヤバイ、ものすごくイイ雰囲気だ」
青褪めて呟く彬の傍らで、攸弥は心底どうでも良さそうな顔で肉まんを頬張っていた。買い食いだ。一応学校で帰り道の寄り道と買い食いは禁止されているのだが、そんなものに攸弥の意思が左右されたためしはなかった。攸弥は自分が敷いたルールの中で生きている。
「攸弥、どうしよう。アレどうしよう!?」
「別にどうでもいい。俺興味ない」
この頃になると彬と攸弥はすでに派手な喧嘩をしなくなっていた。ちょっとずつ歩み寄り、友情を育んでいる。けれど攸弥は友人の悩みに乗ってやるほど人ができていなかったし、兄の恋人がどんな人間であろうが気にとめもしない。
「興味ないじゃすまされないんだよ。俺にとっては、っていうか維ちゃんにとっては死活問題なんだよ!」
「生活力ゼロどころかマイナスだもんな」
けらけら笑うものだから思わず頭を叩いた。攸弥は彬が自分の兄と維ができてしまえばとっても都合がいいと考えていることを知っている。それについてどうこういうつもりはない。もしそうなれば、ということも考えたことない。
「徹さんがあの人と付き合ったりしたら維ちゃんが…っ!」
「いいじゃん。高校生の付き合いが結婚に反映されるなんて珍しくないけど、そうならない場合のほうが圧倒的だぜ。お付き合い=結婚なんて、どこの少女マンガ的展開だよ。おまえは乙女か?」
完全なからかい口調を、彬は馬鹿に仕切った小ずるい顔つきで切り捨てた。
「馬鹿じゃないの。優良物件は先に押さえとかないと駄目なんだよ。後になってあの時こうしておけばと悔しがっても後の祭りだっつーの。この先徹さんレベルの懐の広い人間が現れるとも思えないし、たとえ現れたとしてもそれが維ちゃんがちゃんと人として向き合って付き合おうと思える対象になるかわからない。そもそもあの維ちゃんとまともに会話して受け入れられる仏のような人が徹さん意外にいるとは俺には思えない。もう後がないんだ。先手は打っておかなければ!」
「どんな手段で?」
「恋愛テクなんか小学生の俺にあるわけないだろうが。おまえ頭いいんだから考えてくれよ! たまには人の役に立たないとおまえの人生人として終わるぞ」
「俺もおまえと同じ小学生なんだけど…?」
「は? 人格破綻者のどうしようもない奴がナニまともな小学生ぶってんの?」
失礼なことに彬は心底不思議そうな顔で攸弥に言った。攸弥の額に怒りマークが浮かぶが彬は気づかない。見捨てて返ろうかと思った時、彬が悲鳴のような声を上げた。肩を掴まれ思いっきり加減なく揺さぶられる。
「ぁああああああああああ、どどどどどどうしよう! 本当にどうしよう!?」
どうしようはおまえの動揺っぷりだと攸弥は冷静に指摘した。揺らされて食べた肉まんが戻るかと思った。
向き合う徹と後輩の美少女。頬を染め、潤んだ目で徹を見上げる彼女は、なるほど可愛らしい。緊張に震えている姿もいじらしく、この人自分を可愛く見せる方法知り尽くしてるんだろうな、と攸弥は冷静に観察した。あんなどこにでもいる美少女を見るより、横であたふたとつまらないことで無駄にうろたえてる友人のほうがよっぽど面白い。
「仮にあの後輩を徹兄さんがふって維ちゃん選んだとしても、徹兄さんが苦労するだけなんだけど、おまえそのへんどう思ってるわけ?」
「何言ってんの? 維ちゃん一人面倒見るくらい徹さんにはわけないよ。だっていま面倒見てるどうしようもない馬鹿な弟はいずれ大人になって兄の手を離れるんだよ。いまは両方面倒見ててしんどいだろうけど維ちゃんひとりになるんだから楽勝でしょ!」
彬は確証もないのに、なぜかめちゃくちゃ自己中心的で身勝手で迷惑なことを自信満々に言い放ち、太鼓判を押した。どうやら彬の中で徹の苦労は一生続いても問題ない問題らしい。攸弥は今現在自分が兄にかけている迷惑を棚に上げ、生まれてはじめて人に憐憫の情を抱いた。
かないい雰囲気(のように見える)青春のワンシーンもいよいよ大詰めになった時、彬の理性が決壊し、少年は飛び出した。
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
友人の必死な姿に攸弥は噴いた。どんだけ必死なんだと爆笑した。
彬の登場に驚いたのは徹と後輩の少女だ。
「え、あれ? 彬、何してるの、こんなところで? あ、攸弥まで!」
彬は徹にしがみついて訴えた。涙目で超追い詰められた顔だった。
「この人と付き合ったら駄目だから!」
「え!?」
徹の顔が疑問符を浮かべて固まった。少女の顔が何ほざいてんだこのクソガキといった顔で引き攣る。しかもこの少年は明らかに少女が苦手とし、天敵と睨んでいるあの女に似ていた。
「ちょっと顔がかわいいくらいの女の人に靡いたりしたら駄目だよ。自分をそんな安く売ってどうすんの! こんな普通の人より徹さんにはもっと相応しい人がいるよぅ」
彬はマジ泣きしそうだった。
「えぇ!?」
徹はワケがわからず彬と事情を知ってそうな弟を交互に見た。無情な弟は我関せずと最後の一口の肉まんの欠片を口に放り込んだ。