真神彬の姉の話
一方、自分の顔にちょっとは自信のあった少女は、普通の人呼ばわりされてかなり癪だった。そりゃ確かに絶世の美少女と名高い真神維には多少劣るが、テレビ映りのいいアイドルや女優並に可愛い顔立ちをしている。芸能事務所から貰った名刺の数も多いし、同校はおろか他校の生徒から告白されたことも何度だってある。街に出ればナンパだってされる。顔だけといわれるのが嫌で勉強だって頑張っているから女子力アップに余念はない。性格は多少腹黒いところもあると認めるが、性格良くていい男がただで手に入るわけがない、というのが少女の持論だ。少女はけっこういい性格の持ち主だった。
真神徹はとてもモテる。すらっと背が高く、鼻梁がすっと通った整った顔立ち。そして文武両道に加えて性格も穏やかで落ちついていて優しいと男女ともに評判だ。こんな優良物件を野放しにしておく手はない。そのはずなのに、女子が徹から一歩引くのは真神維の存在のせいだ。あの女が徹の周りをうろちょろしてるから、女子は徹先輩には維先輩がいるから、と遠慮するのだ。二人は付き合っていないと公言しているにもかかわらず。
真神維ははっきりいって並みの女子では足元にも及ばないほどの美少女で、人格破綻者とはいえずば抜けて明晰な頭脳の持ち主だった。それだけで周囲の女子は彼女に気後れして徹に交際の申し込みができなかったが、少女は違った。気後れとか遠慮とかそんなものはトイレットペーパーのように便器にでも流してしまえばいい。少女はめげなかった。周囲が止めるのも聞かず、徹に自分をアピールし続けてお近づきになった。これは本人の努力の賜物だ。
それをこんなところで、明らかに真神維の血縁であると思しきクソガキに邪魔されてなるものか。うるうる泣きそうな美少年の姿に心は痛むが、恋は先手必勝。お手つきごめんの一本勝負(意味不明)。
だが少女の決断はほんのちょっとばかり遅かった。少女が口を開くより先に、彬が爆弾発言を投下した。それと同時に攸弥は傍らに立つ人影に気づいたが、彬と徹と後輩の少女は気づかなかった。
「お願い! 徹さん、うちの維ちゃん貰ってください!」
切羽詰っていた彬は結論を先に口にした。徹は不思議そうに首を傾げ、少女は内心嫌ァァァと悲鳴を上げた。
「……貰う?」
「ちょ、ちょっと待って、それこそ待って!」
「お嫁に貰ってください!」
徹は困った顔になった。
「それは別にかまわないけど」
「かまわないんですか先輩!?」
「それは維が同意してからのお願い?」
後輩のツッコミは残念ながら聞き流された。ショックで落ち込む。
徹の問い掛けに、彬の整った眉は八の字になった。
「同意、ないけど、でもきっと大丈夫だよ。俺が説得するよ」
「できるかな?」
「大丈夫だよ。だって維ちゃん、徹さんがいないと生きてけないもん!」
ここで「真神維はそんなに陽月徹を好いていたのか」とうっかり感動してはいけないのが真神維クオリティだ。
徹がいないと生きていけない→主に生活力(経済力より家事力において)の面で
「そうだね」
徹はそれを正しく理解していた。維の生活力のなさは天性のものだ。
「お姉さん、徹さんのことは諦めてください」
「諦めてくださいで簡単に諦められるほど気楽な思いじゃないのよ」
若干計算高い自分の恋心を棚に上げ、少女マンガのような台詞を吐く。だがそんなものが彬に通用するはずもなく。
この後、彬は少女をあっさり引かせる言葉を言い放った。
「だってあなたは普通に可愛いからこれからどんな人でも捕まえられるけど、維ちゃんは顔がよくてもどうしようもない変人だから、ここで徹さんのがしたらもう後はないんだよ! あの人はいま崖っぷちにいるの!」
それは少女を納得させるには充分な言葉だった。
徹に近づいたことで少女は多少なりとも維の人柄を知った。あの人はまさしく奇人変人だった。そんな彼女と普通に会話して言い聞かせることができる徹を、何度素晴らしい人格者だと感動したことか。少女はたいていの難関なら己の容姿と頭脳で乗り越え欲しいものを手に入れる自信があった。だが維はどうだろうか。顔もよくて頭もいい維。けれどそれを上回る人の精神を壊滅して改変してしまいかねない破綻した人格…。
そこで少女は気づいた。なぜ周囲が少女が徹に自己アピールするのをあれほど止めたのか、その真意。
維から徹を奪ったら、彼女人としてナニかが終わっちゃうでしょ。
そういう意味だったのだ。
少女はおとなしく身を引くことにした。
「どの方向から聞いてもあたしに対して失礼だよね、あいつらの発言」
「そうだね。でも間違ってないよ」
攸弥の傍らに立って様子を遠めに眺めていた真神維は、しょっぱい顔つきでぶつぶつ言った。
「別にひとりだって大丈夫だもん。田舎なら生きていけると思うんだ。山で猪とか兎狩ったら肉は食べられるし、野菜は畑で育てて春とか秋になったら山菜取りに行くの。季節の野菜とか素敵でしょ。魚が食べたくなったら川で魚釣って、そうやって自炊するの。あ、ご近所さんと物々交換とかできるかも。楽しみだよね!」
すっかりその気だ。それにしてもスーパーで買った食材で料理をするより、自然と隣り合わせの生活をしているほうがやっていけそうな気がするのはなぜだろう。もしかしたら彼女は野生の本能に近いところで生きているのかもしれない。都会的な垢抜けた美貌だが、その内面はあくまで自然に近いのだろうか。
「そもそも私の意思を無視して話を進めて酷いよね」
「徹兄さんじゃ不満?」
攸弥の問いに、維はあっさり答えた。
「不満! 徹くんが私を貰うんじゃなくて、わたしが徹くんを貰うのよっ!」
「あ、そういう意味…」
「徹くん次男だから問題ないよね」
「そっちは長男の彬がいるじゃない」
「彬は将来婿養子に行く予定だから、わたし婿養子派なの」
彼女はもうじき弟の天命だなんてまったく信じてなかった。事実、維の予想通り彬は死を免れ長い生の後、天寿を全うする。
数年後、徹と維は結婚した。
プロポーズは維からだった。
「徹くん、私と結婚したら毎日楽しいよ」
「それはいいね」
毎日楽しい=毎日全力で面白おかしい
奇人変人と名高い真神維との生活は、そりゃ退屈しないことだろう。きっと常人ならいつか疲れ果てるくらい。
だが日々弟と維に挟まれてあちこちいったりきたり面倒を見てきた徹はへっちゃらだ。
陽月徹という人は、けっして何かに秀でた人ではない。秀才ではあるが、それは天才といわれる維とは違い、彬や兄弟たちのように異能があるわけでもない。どこにでもいるような、ただ人よりちょっと包容力のある平凡で善良な人だ。だがそれが時に偉大なものであるのだと、彬は姉と結婚した義兄を見て思う。
なにはともあれ二人の夫婦生活は良好だった。相変わらず維は家事ができず自分の世界に飛んでいき、それを徹は仏のような包容力で受け入れる。徹は自分の世界から戻ってきた維から、その世界の話を聞くのが楽しいようだった。
時に怒ったり怒られたり、周囲を巻き込むような派手な喧嘩をしたりもしたが、後になって振り返ってみればそれはそれで良い思いでで…。維の言葉は嘘ではなく。