哀恋草 第八章 父との再会
してやられた・・・時政はすでに遅かったことを察した。景時に下がるように命じ、自らも非を詫びて立ち去った。館に帰ってきて仰天した。騒いでいる門番達の顔が一様に引きつっていた。失態はここにも発生していたからであった。
怒りをあらわにして事態の詳細を聞き知った景時は、時政の詰めの甘さをなじった。時政には反論する気力も無く、ただ黙っていた。そのうちに胸の中で弥生と志乃に対する怒りがこみ上げて感情を抑えきれなくなってしまった。景時はその様相に一瞬おののき、席を外した。失態を演じた裏木戸の門番は、放免され泣く泣く着の身着のままで出て行った。かれもまた、弥生と志乃に強い怒りを感じていた。
名前は権蔵といった。鞍馬の出身で、親は小さな旅籠をやっていた。権蔵もあとを継ぐように言われていたが、侍への志願が強く、両親の反対を押し切って、守護職の屋敷に門番として雇い入れてもらった。わずか一年もしない間に、失態を演じて、帰郷せざるを得ないとは・・・情けなくて親に合わす顔が無かった。とぼとぼとしかし、足は実家へと向かっていた。
世の中で不幸に出会うとすれば、それは自らが選んだ道か、知らずに近づいた道かに分かれる。権蔵の歩いていた場所は不幸にして後白河の別邸の前を通る街道だった。日暮れに差し掛かり辺りは薄暗くなってきている。弥生は志乃と二人一蔵に着いて吉野へ先立つ準備をしていた。勝秀と久、光、みよは遅れて吉野へ向かう手はずになっていた。権蔵が歩いてきた気配に気付かずに、表門から出ようとした弥生の姿を遠目で見つけた権蔵は、じっと立ち止まって前にいる女を見据えた。
「誰じゃ?このように寂しい場所で女子一人・・・ん?あれは!弥生ではないか!」身を隠して気付かれないように、通り過ぎる弥生と志乃、一蔵の三人をはっきりと見た。後を着けるべきか、出てきた屋敷を見張るべきか・・・少し悩んで、反対方向に歩き、屋敷の場所を確認した。
「やはり後白河さまの別邸か・・・そうだ!時政殿に知らせて、あわよくば褒めてくださり、お勤めがまた叶うやも知れぬ!」権蔵は一目散に時政の館に向かい、走り出していた。
息を切らしながら時政の館に着いたのは亥の刻(午後10時ごろ)を廻っていた。夜中に表木戸で叫ぶ声に門番は仕方なく追い返そうと木戸を開けた。顔を見るなり
「なんだ、権蔵ではないか。こんな刻に何用じゃ?」
「急ぎ知らせたいことがござるゆえ、時政どのに取り次いでくれ!弥生と志乃を見たとそういえば解る」
「なんと!本当か?待ってろ、すぐに知らせて来るから」
寝巻き姿で時政は権蔵の前に来た。中に通して、話を聞いた。良く知らせてくれた、手柄じゃ、と肩をたたき、放免を取り消し元の仕事に戻ることを許した。朝を待たず、時政は数人の手勢を引き連れて夜道を鞍馬の後白河別邸へと急いだ。今度こそは逃がすまいと時政は策を練っていた。途中から半分の人数を逃げ道を防ぐように包囲させ、自分たちは正面から入って行く指示をした。
別邸にいる勝秀と女三人は、小紫の気遣いで夕餉を取りそれぞれに寝所へ入っていた。亥の刻過ぎといえばもう世間は寝静まっている。まして時政たちが取り囲んだのは丑満つを過ぎる真っ暗闇の時刻であったから、皆熟睡している。光はみよとともに鋭い感性の持ち主だったので、なにやら外の気配を敏感に感じ取っていた。
「光・・・外が騒がしいぞ!」
「はい、姉上様、気付きましてございます」
「皆を起こしなされ、早う!」
起こされた勝秀と久は、外の気配が時政の軍勢であろう事を予感した。何という事だ。ここまで来て、どうしたものか、考えあぐねていた勝秀に久は話しかけた。
「勝秀様、久に思案がござりまする。この別邸には以前、潜んでおりました折に、隠れ部屋を設けましてございます。そこに忍びながら、時政が近くに参ったその時、飛び出して捕縛するのです。我ら女ばかりで応対すれば、きっと警戒が弛むはず。私がここの部屋まで導きまするゆえ、その時に・・・」
「それは、そなたたちが危険に及ぶやも知れぬぞ。それに時政はすぐに縄をかけるやも知れぬし」
「大丈夫でございます。女子に甘い時政の事。私めが必ず部屋に連れて参ります。そのときまで、どのような事が起こりましても、冷静にお待ちくだされ」
久には一つの覚悟があった。光、みよ、子紫に手出ししないように、自分が犠牲になると言う事だ。チャンスは一度、それも一瞬のこと。上手く行くかどうかは自分の一存に任されている。勝秀が潜む部屋の壁が開けられ、刀を手にして中へ入った。たたみ一畳分の細長い場所で、壁ははめ込み式になっていて、中から押すと前に倒れ飛び出せるという作りだった。外した壁の一部を久がはめ込んだ。隙間から外が覗えるように、小さな穴が開いている。勝秀の目線の高さに驚くほどぴったりと開いていた。女四人はそれぞれの寝所に戻り、時政の進入を待った。覚悟を決めたそれぞれの表情はむしろ笑みがこぼれるほど、余裕のある落ち着きぶりに変っていた。
「みなの者!静かに致せ、起こさぬ様入り込むのじゃ。合図でいっせいに玄関から中へ飛び込め。よいな!」
中の様子を知らずに時政はゆっくりと手下の者たちと身軽な格好で手に刀を従えて玄関前に立っていた。
玄関の木戸を時政の家来は足で強くけって壊し、中へなだれ込んできた。一番後ろからゆっくりと入ってきた時政は、大きな声で叫んだ。
「守護職、北条時政でござる。無礼を承知で上がりこませてもらうぞ!騒いだり、逃げたりは捨て置かぬゆえ起きた場所でじっとされていよ。みなの者!手分けして探すのじゃ!」
まもなく四人は一番広い部屋に連れてこられて、座らされた。示し合わせているので強い不安はないが、やはり刀を手にした男たちに囲まれて、体が震えていた。
「これですべてか?よう探したのか?」家来は何度も家捜ししたが見つからなかったので、すべてだと返答した。
「久!光!みよ!それにそこもとは誰じゃ?」子紫のことだ。
「はい、子紫と言います。ここの留守を預かるものです」
「ん?妾か?達者よのう、法住寺様(後白河)は・・・他に居らぬようじゃな。久!弥生と志乃はどうした?」
「存じませぬ。途中で分かれましたゆえ、どちらに行かれたかは・・・」
「ウソを申せ!この別邸から大津方面に歩き出た二人と男一人を見かけたものが居るぞ。隠すと・・・ためにならぬぞ!」
「そのように脅されましても・・・どこへ出て行かれたのかは聞き及ばぬ事。お許しくだされ」
「ならぬ!こうするぞ!」
時政は光の脇に立ち刀を顔に近づけた。
光の頬に冷たい刀身が触れた。初めて殺されるかも知れないと言う恐怖が襲ってきた。覚悟を決めた心が揺らぐ。それは恥じるべき気持ちだと自分に言い聞かせた。
「もう一度聞くぞ!弥生と志乃はどこへ参った?」
「知りませぬ。何度聞かれましても知らぬことは知らぬとしか言えませぬ」
「強がりもそこまでじゃ!光の顔に二度と見られぬ傷がつこうぞ!」
時政は手にした刀の刃を縦にして再び光の顔に近づけた。
作品名:哀恋草 第八章 父との再会 作家名:てっしゅう