傀儡士紫苑 in the Eden
愁斗が姿勢の良い歩き方でリビングまで行くと、脚を広げてソファに座っている亜季菜の姿があった。
「ペースが早いですね」
愁斗はそう諭しながらローテーブルの上に捨てられた空き缶を眺めた。
500ミリリットルのビール缶が10つ潰れている。
ビールに飽きたのか、亜季菜はワインを瓶のままラッパ飲みしていた。
「愁斗もこっち来て飲みなさいよぉ〜」
語尾の伸び具合が酔っている証拠だ。
「ボクは未成年ですから」
「そんなこと言わないでよぉ、伊瀬クンったら『仕事中ですから』とか言っちゃって付き合ってくれないんだも〜ん」
その伊瀬はすぐそこのキッチンでツマミを作っていた。
二人ともまるでこの家の住人だ。
愁斗は部屋を見回して、1人足りないことに気付いた。
「アリスは?」
キッチンから出てきた伊瀬が愁斗の横を通り過ぎながら言う。
「なにも言わず出かけて行きましたよ」
「……なるほど」
愁斗には思うところがあった。おそらくこの客人が好きではないのだろう。愁斗の視線は服を脱ぎはじめた亜季菜に向けられた。
あんなだらしない女[ヒト]でも、アリスが面と向かって文句を言うことはないだろう。アリスの主人である愁斗を?飼っている?人物なのだから。
彼女がこんなところで酔っ払っている今も、彼女の資産は着実に増えている。
亜季菜に服を着させようとする伊瀬を見て愁斗はため息を吐いた。
「伊瀬さんはなんでそんな人に仕えてるんですか?」
「あなたと同じですよ愁斗さん。私も拾われたのです。私の場合は亜季菜様のお父上にですが……」
「まだ姫野家に仕えているわけは?」
亜季菜の父はすでにこの世を去っている。
「返せていない恩義を、娘の亜季菜様に返しているのですよ」
「こんな人じゃなくて、亜季菜さんのお姉さんに仕えればいいのに」
亜季菜はすでに寝息を立てて安らかな顔をしていた。二人の会話も耳に届いていないようだ。
伊瀬は亜季菜の身体を抱きかかえた。
「ベッドをお借りしてよろしいでしょうか?」
「はい、自由に使ってください」
背中を見せて消える伊瀬の姿を視線で追いながら、愁斗は深く息を吐いて眼を瞑った。
しばらくして伊瀬が一人でリビングに戻って来た。
「おそらく朝まで目を覚まさないと思います」
「そうですか……あの人、いったいなにしに来たんですか?」
お酒を飲んで、勝手に眠って、朝まで起きない。これではいったい何の用で来たのかわからない。
「いつもと同じですよ。突然、仕事の途中で愁斗さんの顔が見たいと言い出し、仕事をキャンセルして来ました」
「亜季菜さんの下で働いている人たちが可哀想ですね」
「亜季菜様の顔も見たことのない社員がほとんどですから、大丈夫ですよ」
その言葉の意味は社員数の多さを意味していた。
伊瀬は言葉を付け加えた。
「ユウカ様がしっかりしておりますし」
姫野ユウカ――その名は姫野グループの会長の名前だ。
帝都には?帝都の資源?で財を気付いた金持ちが多くいる。姫野グループもその一つだ。
有名な帝都成金を上げるとしたら、医療技術で成功した秋影家、魔導産業で成功した神星家、貿易で成功した姫野家が上げられるだろう。
沈黙が続いた。
愁斗も伊瀬も自ら口を開くタイプではない。
静かな表情を伊瀬に対して、愁斗は難しい顔をして柳眉を寄せている。
そして、愁斗は伊瀬に顔を向けた。
「調べて頂きたいことがあるんですが?」
「なんでしょうか?」
「こないだのウィルスの件です。過去に似たような事件はなかったんですか?」
「ありました」
返事は即答だった。
「ただし、同じという確証はありません。多額のお金が動く話ですから、どこも非公開に調査をしているようです」
新型のウィルスは金になる。
「……なるほど」
呟く愁斗の脳裏に浮かんだ。
「生命科学研究所にデータがある可能性は高いですね」
?生命科学研究所?というキーワード。
秋影コーポレーションが出資している施設であると共に、政府とのパイプも太い施設だ。外部から情報を手に入れるのは難しい。かと言って侵入はもっと難しい。
亜季菜のコネクションを使って情報を手に入れるのは不可能だろう。出来るのならば、とっくにしているはずだ。
帝都で情報を手に入れるためには情報屋を頼るのがいいだろう。けれど生命科学研究所の情報となると、トップクラスの情報屋が必要になるだろう。トップクラスだとして情報を手に入れられるかは不明だ。
表向きの帝都トップクラスの情報屋といえば、ミナト区のツインタワーに事務所を構える真という名の情報屋だろう。
ただしあの情報屋は客を選ぶと有名だ。
「サイバーフェアリーにアポ取れますか?」
愁斗の言うサイバーフェアリーとは真の事務所の名前だ。
「無理です」
「なぜ?」
「彼は個人の仕事しか請けません。企業と関係があると思われる人物の仕事も請けないそうです。彼は情報屋ですから、客の身元調査も完璧です」
「何度か接触しようとして失敗したとか?」
「ええ、企業としては彼を手元に置きたいと考えるでしょう。わが社もそのひとつということです」
「……なるほど」
愁斗の傀儡で仕事を頼むのは不可能だろう――身元がない。偽造しても見抜かれるだろう。
愁斗本人で仕事を頼むのはリスクが多い。下手に身元調査をされるのは身の破滅に繋がる。
リスクが大きすぎるとなれば、別の方法を考えるしかない。
「サイバーフェアリー以外に生命科学研究所のデータを入手できそうな手段はありますか?」
「あれば我々がやっています」
「……やはり」
愁斗は小さく頷いて押し黙った。
そして、ふと思い出したようにハッとした顔をした。
「そうだ、彼女を縛ったままだ」
呉葉を縛ったままだったことを、すっかり忘れていたらしい。
翌日、田中という男はツインタワービルに来ていた。
帝都の東端に位置するミナト区にそのビルはある。
ミナト区はリニアモーターカーが停車するギガステーションがあることや、千葉県が東京湾を挟んであることから、帝都でも三本の指に入る大都市だ。
帝都最大の臨海公園を見下ろすように立っている通称ツインタワービル。正式名称は黄昏の塔というが、その名前はあまり知られていない。
ツインタワービルはノースとサウスに分かれる一〇〇階建ての双子ビルだ。帝都でもっとも夕焼けが綺麗に見える場所としてデートスポットになっているほか、ノースビルはショッピングビルとして機能しているため、観光マップでも大きく取り扱われている。
ノースビルには帝都で一般的に買える物ならば、全て取り揃っていると言ってもいいだろう。もちろん武器も売っている。
サウスビルは企業ビルである。このビルの46階に電脳妖精[サイバーフェアリー]のオフィスはあった。
アポイントメントは取っていない。
田中は受付の女性を一瞥すると、さもその行動が当たり前のように、奥の部屋に入ろうとした。
「勝手に入られては困ります!」
受付の女性がカウンターから飛び出し、田中の前に両手を広げて立ち塞がった。
「所長の真さんにお会いしたいのですが?」
「アポのない方は困ります!」
「そこをなんとか」
作品名:傀儡士紫苑 in the Eden 作家名:秋月あきら(秋月瑛)