傀儡士紫苑 in the Eden
愁斗の目はメルフィーナの不完全な美を見ていた。片方だけない腕。あれを斬ったのは愁斗の父。それも25年ほど前のことだ。
「僕の業は中学生のあの人すら超えられないのか……」
地の底から音がした。
竹やりの罠のごとく地面から突き出た根が愁斗を襲う。
地面を横に転がりかろうじて攻撃を躱す愁斗。地面に付いたメルフィーナの足から根が伸びていたのだ。
襲い来る根を断ち切り、捨て身の覚悟で愁斗は妖糸を放つ。
先の尖った根が愁斗の太腿を貫いた。
それと同時にメルフィーナの胴体は、肩から腰にかけて斜めに落とされていた。
血の線を走らせながら、メルフィーナの上半身がずるりと滑り落ちた。
しかし、やはり愁斗の業はまだ及ばぬ。
傷口から伸びた触手のような襞紐[ヒダヒモ]が二つの体を繋ぎ合わせた。
奥歯を噛みながら愁斗は太腿を刺した根を切り、根を抜かぬまま後ろに後退りをした。
傷付き脚を封じられた愁斗の耳に通信が入った。
《愁斗クン、どうして召喚を使わないの!》
カメラアイ越しに愁斗の戦いを見守る亜季菜の声だった。
召喚――それは傀儡士の最高奥義。
傀儡召喚はそこにいながらにして、時間と空間を超越し、超常的な力を持つ異界の住人をこの世に呼び寄せること。そして、〈それ〉を使役することができれば、あらゆる望みが叶えられると云われている。
「召喚は時と場所、僕の気持ちにも左右されます。今はできません」
愁斗はそう告げた。
たしかに召喚はいつでも自由にできるものではない。時と場所、地形や術者のフィーリングにも左右される。けれど、それは口実にすぎなかった。
愁斗は斬る気でいた。
なんとしても立ち塞がる壁を断ち斬らねばならなかった。
「もう逃げることもできぬか?」
メルフィーナは瑞々しい脚を伸ばしながら、一歩一歩と愁斗に近づいてくる。
「血を啜り、骨の髄まで喰らってくれる」
自由の利かない片足で逃げるのは不可能に思える。逃げる気もなかった。
愁斗に漲る魔性の気。
闇に属する魔性のもの。
この一撃に愁斗は全神経を集中させた。
「――視得たッ!」
渦巻く闇色を纏った妖糸が世界を断つ。
渾身の一撃はメルフィーナの脳天から股間まで奔った。
「妾は何度斬られようと……ッ!?」
異変を直ちに察したのは斬られたメルフィーナだった。
血を噴出し躰は左右対称に崩れ落ちた。
口も咽喉も半分にも関わらず、メルフィーナは魂の底から叫び声をあげた。
「妾は死なぬ!」
メルフィーナの躰が枯れていく。
その光景は止まっていた時間が突如流れたように、美しさの欠片もなく、干からび老婆のように、そして散り逝く。
灰と化したメルフィーナだったものは、塵と化して夜風に吹かれて消えた。
愁斗は地面に仰向けに倒れた。その瞳に星の輝きは映らない。汚れた宙[ソラ]は星の輝きを隠し、代わりに地上では文化の光が煌々と輝いている。
屋敷の中から駆け出してくる足音は愁斗のすぐ傍で止まった。
「愁斗クン大丈夫!」
心配そうな顔をして自分を覗き込む亜季菜に愁斗は、
「これでまた引きこもり生活に戻りそうです」
と、皮肉を言った。
太腿からは血が滲み出している。当分の間、まともに歩くことができないだろう。
地上に降りたヘリから、普通の車椅子に乗ったユウカが愁斗の元にやってきた。
「早く愁斗クンをヘリに乗せなさい、病院に運ぶわよ」
愁斗から視線を上げたユウカの瞳に映る十字の刺青。
「アナタが持ってるのは……!」
「箱だけさ」
そこには銀色のケースを持った瑠流斗が立っていた。開かれたシャツからは十字の刺青が覗いている。穴はなかった。
瑠流斗はケースを開けると、中に入っていた空のガラスケースを皆に見せ付けた。
メルフィーナの心臓は消えていた。
いったいどこに消えたのか?
ユウカの視線に気付いたのか、瑠流斗は口元に付いていた血を舐め取って、この世のものとは思えない艶やかな笑みを浮かべた。
それが消えた心臓の真相なのだろう。
心臓を失ったメルフィーナは……。
では、果たして愁斗の業は父の幻影を断ち切ったのか?
それを語るものは誰もない。
いつしか瑠流斗の姿も消えていた。
復讐の朱(完)
作品名:傀儡士紫苑 in the Eden 作家名:秋月あきら(秋月瑛)