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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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傀儡士紫苑 in the Eden

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傀儡館


 ――地獄。
 そこはまさに地獄のごとき場所だった。
 天は赤く燃え揺れ、ガス状の暗雲が流れ渦紋を巻く。
 岩肌を剥き出しにした渇いた大地には、大きく口を開けて深奥まで続く亀裂が奔り、蜿蜒と続く遥か先には溶岩を噴出す群山が眺めた。
 足元から噴出した熱い蒸気を、少年は後ろに跳躍して躱した。
 少年の真後ろには、唐草を模した装飾の施された真鍮の扉があった。
 しかし、そこには壁がない。扉だけがそこに存在していたのだ。
 一見して意味を成さない扉のようであるが、そこを潜り抜ければその意味を知る。扉は別の空間へと旅人をいざなう。それを知る者たちは〈ゲート〉と呼んでいた。
 赤い空に木霊する遠雷に混じり、少年の耳には妖異たちの呻き声が聴こえていた。
 瘤だらけの赤黒い巨躯を持つ悪鬼。
 長い体毛を躰中に生やし、老婆のような顔を持った化け物。
 四つ足の凶猛な野獣も多くいる。
 少年に殺到する怪物の荒波。
 群から飛び出し、巨大な怪鳥が少年の頭上に目掛けて滑空して来た。
 鋭利な鉤爪を向ける怪鳥の前に、突如として立ちはだかった白い薄絹のドレス姿。
 そして、怪鳥はドレス姿の影が放った煌きによって、顔面から左右に身を裂かれたのだった。
 少年は女性に背中を預け、押し寄せてくる数え切れない怪物たちを凝視する。
 二人に対して、猛敵の数は果てない。それを掃滅する術はただひとつ。鍵は少年が握っていた。
 少年の黒瞳が、より深く闇を帯びた。
 敏速に動いた少年の指先から、煌く輝線が放たれる。
 その輝線は空に奇怪な紋様を描く――魔法陣だ。
 少年が叫ぶ。
「傀儡士の召喚を観るがいい、そして恐怖しろ!」
 魔法陣の?向こう側?から、巨大な魔獣のような〈それ〉の呻き声が鼓膜を震わせた。
 〈それ〉が豪快なくしゃみをすると、唾の飛沫が荒れ狂う嵐を巻き起こし、嵐は霧の巨人を創りあげた。
 この場でなによりも大きな霧の巨人は、霧に包まれた中でただ一つ蒼く輝く目玉で、三〇メートルの高みから周りの小物たちを見下ろした。
 脅えだす怪物ども。
 だが、もうしっぽを巻いても無駄だ。
 霧が怪物どもを呑み込み、叫喚と共に霧が紅く染まった。
 先の見えない霧の中で、聴覚が研ぎ澄まされ、怪物どもが次々と惨死していくのを知覚した。
 霧の巨人は興奮するように真っ赤に染まり、周囲の怪物どもは瞬く間に掃滅されてしまった。
 だが、まだ遠くで呻き声がする。
「……今日はここまで」
 少年は呟いた。

 豪雨が滝のように降りしきる闇夜の山道。
 苛立つアヤは力いっぱいハンドルを両手で叩いた。
「クソッ!」
 停止した車中から、闇を照らすヘッドライトを視線で追った。その瞳は憔悴しきっており、そのため実年齢の二四歳には見えないほど、顔も老人のようにやつれてしまっていた。
 ――車がエンストした。
 エンジンを掛け直そうにも、不気味な音を鳴らすだけで、それ以上はなにもアクションが起こらない。
 屋根を打ち付ける大粒の雨音。
 ヘッドライトは弱々しく闇に吸い込まれ心もとない。
 町までの距離もわからず、世界にたったひとりで取り残されてしまった気分だ。
「どうすればいいの、どうすればいいのよっ!」
 狂乱してアヤは長い髪の毛を掻き乱す。
 ケータイを手に握る――が、圏外。それに、今は人を呼んで助けを求めるわけにもいかなかった。
 車のトランクに積んである?モノ?が心配だ。人を呼んでトランクを開けられたら、いい訳もなにもできない。
 山中を走る途中、何度もトランクから音が聴こえた。それがなんの音かはわからない。その度に、中の?モノ?が壁に当たる衝突音だと自分に言い聞かせてきたのだ。
 ローヒールでアクセルを踏み潰すが、やはり車は前に進まない。
「イヤ、イヤ、イヤーッ!」
 こんな場所にいたくない。気が狂いそうだ。
 周りの闇が怖い?
 ――違う。
 別の?モノ?が怖い。
 居ても立ってもいられず、アヤは運転席から後部座席に移動して、ウインドーから辺りのようすを伺おうとした。
 水滴がついて曇るガラスを袖で拭き、アヤはその先に光るなにかに眼を凝らした。
 もう一度、ガラスを擦って再確認をする。
 明かりが見える。
 希望が灯る。
 すぐにアヤは助手席に移動して、ダッシュボードに入れてあった折り畳み傘を出そうとした。――傘はなかった。前に使ったままで戻し忘れたのだ。
 今日は厄日だ。アヤの苛立ちは募るばかりだった。
 しかたなくアヤは車のキーを抜いて、豪雨の降る車外へ飛び出した。
 雨が瞼に当たり視界を遮る。
 アヤは眉の辺りに手を添え、雨を遮りながらあの明かりに向かって走り出した。
 足元のジーンズに飛散する泥水。
 雨に濡れて肌に張り付くアンダーシャツ。
 出かける前に着替えたばかりなのについていない。
 濡れる髪を振り乱しながら、走りついたアヤは明かりが洋館から漏れていたものだと知る。
 助かったと思う反面、こんな山奥にある洋館を薄気味悪く思った。
 人里を離れる主は変わり者か偏屈者だと、アヤは勝手な先入観を抱いた。
 しかし、その先入観は少し裏切られる形になった。
 玄関をノックしたアヤを出迎えたのは十四、五歳の少年だったからだ。
「私はこの屋敷の主に仕える使用人ですが、あなたの用はなにでしょうか?」
 偏屈そうな中年か、老年が出てくるものだと身構えていただけに、アヤは面を喰らってしまったのだ。
 深い黒瞳に見据えられ、アヤは慌てる。
「車がエンストして困ってるの!」
「なるほど……夜道と豪雨で外は危険です。今日はここにお泊まりなさい」
 妙に落ち着いた相手の物腰に、アヤは一度冷静さを取り戻し、再び自分の状況に取り乱しそうになった。
「明日は会社に行かなくてはいけないの。だから車を貸していただけると嬉しいのだけれど……?」
 車に残してきた?モノ?が気がかりだ。アレを別の場所に運ばなくてはならない。
「残念ながら明日は月に一度の買出しに車を必要とします。だからあなたにお貸しすることはできない。朝一で買出しに向かいますので、その際に侍女にあなたを送らせましょう」
 翌日まであの場所に車を残してきて平気だろうか?
 朝まであの道を人が通る心配はおそらくない。だからこそ人里を離れたこの場所を選んだのだ。洋館があったのは予想外だった。
 ひとまずはこの屋敷で時間を潰し、冷静になってから今後の対策を練ろう。
 アヤは少年の申し出を受けることにした。
「一晩泊めてもらうことにするわ。それから、できれば送ってもらうのは、昼頃に延ばせないかしら?」
 車のトランクにはまだ?屍体?を乗せたままだ。
 雨が止むか、明るくなったら、残してきた屍体をどうにかする。朝一で町まで送ってもらったら、車をあの場所に残していくことになる。それから再び車をレンタルするなりして、あの場所に戻るには時間がかかる。そんなリスクは負いたくなかった。
 深く考えるように下を向いていた少年が顔を上げた。
「昼にという相談は、主人に聞いてみなければわかりません」
「わかったわ」
 俯いたアヤはすぐに顔を上げて手を叩いた。
「そうだ、あたしの名前は霜崎アヤ。ところであなたの名前は?」