君が袖振る
第三章 誰?
龍介は、少し時間が掛かったが、こんな物語を拓史に語り終えた。
そして大きくふうと息を吐く。
今、自分のグラスにビールを注ぐ。
「なあ、拓史、ちょっと奇妙だろ。綾乃って、実はネット内で生きてるってことなんだよなあ」
龍介はグラスをおもむろに口に持っていき、独り言のように呟いた。
それを聞いていた拓史は、直ぐにそれに応答する風ではなく、干からびてしまった枝豆を一所懸命摘み上げている。
そして少し間を置いて、「なあ龍介、綾乃はもう死んでしまったんだぜ、そんなことあるわけないじゃん」と言い切ってしまった。その後はしれっと澄ましているのだ。
龍介はそんな拓史が気に食わない。「じゃあ、その作家の紫野って、誰だと言うんだよ、瑤子でもないんだぜ」と噛み付いた。
拓史は龍介のそんな言葉を聞き流しながら、ビール瓶をゆっくりと取り上げる。それを龍介の方に差し出し、龍介のグラスにもう泡も立たないビールをなみなみと注ぐ。
「あのなあ龍介、お前はいつまで経っても、甘ちゃんなんだよなあ。そんなのわかり切ったことだよ」
龍介はこんな拓史の言い草にムッとし、「わかり切ってるって、どういうことなんだよ」と詰め寄った。すると拓史はいかにも物知り顔で、いきなり言い放つ。
「それはなあ・・・・・・那美子さんだよ。そう、お前の婚約者の那美子さん、彼女が作家の紫野に決まってるだろうが」
龍介はこんな拓史の話しに、狐につままれたような顔となる。
龍介はとにかく驚いた。
その一つは、拓史は龍介の結婚することを風の噂で聞いたと話していた。そのことは理解できる。
だが、その結婚相手の名前、那美子だということまでを知っているとは。
その上にだ。 拓史は、「君が袖振る」の作者、それは那美子だと自信たっぷりに断言してきたのだ。
龍介は頭が混乱し、無言となってしまった。そして暫くの時間が流れる。
拓史はそんな龍介を、一種の哀れみを感じているかのように見つめ、一拍置いてやおら口を開いた。
「そうだなあ、あれは四、五ヶ月ほど前のことだったかなあ。今から思うと、あれは龍介が那美子さんにプロポーズした後の頃になるんだろうなあ・・・・・・那美子さんが、多分卒業年度別の生徒名簿からでも俺のことを知ったんだろうなあ、俺の所に突然やって来たんだよ」
「えっ、そんなことがあったのか」
龍介はただただ目を丸くしている。